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 『目を高く上げて、だれがこれらを創造したかを見よ。この方は、その万象を数えて呼び出し、一つ一つ、その名をもって、呼ばれる。この方は精力に満ち、その力は強い。一つももれるものはない。(詩篇4026節)』

 毎晩、ベランダに出て、夜空を見上げるのが習慣になってしまいました。大気が綺麗なのでしょうか、煌(きら)めく星が見られます。バス通りの車や人や店ではなく、天然の世界は、人の心を和ませ、はるか神秘の世界に誘(いざな)われるようです。春や夏によく出かけた、八ヶ岳の「少年の家」から見上げた星空が、驚くほど雄大であったのを思い出します。そこには、「プラネタリューム」があって、一緒に出かけた子どもたちが、見上げているうちに眠ってしまうほど静かで、幽玄で、まるで宇宙に引き込まれてしまうほどだったのでしょうか。

 福岡の大分との県境に、お茶の名産地で有名な八女市があります。そこに、「星野村」があって、友人に連れて行ってもらったことがありました。名前の様に、まさに「星の村」なのです。綺麗な星空が広がって、「星のふるさと」とか「日本で最も美しい村」の一つだと言っていて、小さいのですが、有能な天体望遠鏡を持った天文台もありました。

 小学生の頃だったでしょうか、父親にひどく叱られて、家に入れてもらえなくて、山の木の間に、藁や枯れ草を敷いて、泣きながら夜空を見上げて、一晩を過ごしたこともありました。涙が光っていたのか、星が光っていたのか、真っ暗闇に星が瞬(またた)いていたのが、今でも星を見上げると、懐かしく思い出されます引き込み線に停めてあった、貨物車の後尾にあった車掌室で寝た日もありましたが、そこでは星空の記憶はありませんが。

 何といっても、星空が一番大きかったのは、内モンゴルの省都フフホトの郊外に連れて行ってもらった時に、見上げた大パノラマの世界でした。本当に、<降る様な>と形容するほど、満天の星の煌めきに圧倒されたのです。あんな世界に生きていたら、この地上に起こることなど、本当にチッポケなものにしか思えなくなります。自分の存在が小さくも見え、何か、星の世界に吸い込まれるかの様だったのです。

 脳梗塞の後遺症で、リハビリをしていた方を、時々車に乗せて、病院に通ったことがありました。先年、亡くなられたのですが、この方が、釣りが好きで、カナダまで行くほどでした。その方を励まそうと、『元気になったら、オーロラを観に、アラスカに行きましょうね!』と誘ったことがありました。果たせなかった約束ですが、天然の世界は、人の作った世界にない「夢」があるのです。

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ball in the field

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 明治の少年たちが、base ball に魅せられて、ball を投げ、打ち、取り、ベースを走って、日暮れを忘れて興じた姿は、戦後の物のない時代、母親の手作りの道具で、横丁の空き地に線を引き、三角base で遊んだわれわれ世代と同じ楽しみや興奮があったのでしょう。

 一高に学んで、ball in the field base in the field  野球)を大いに楽しんだ松岡子規が、次のような句を詠んでいます。

久方のアメリカ人にはじめしベースボールを見れど飽かぬかも

今やかの三つのベースに人満ちてそゞろに胸のうちさわぐかな

九つの人九つのあらそひにベースボールの今日も暮れけり

 1902年、34歳の若さで、結核で亡くなった子規が、こよなく愛し、自らも元気な時には興じ、病をえて地元に帰って、母校の松山中学校で教えたのが、子規の野球でした。21世紀の日本人選手が、野球発祥のアメリカのリーグで、活躍するなどと、まさか予想もしなかったことでしょう。

 父も、次兄も、二人の孫たちも、彼らを熱狂させ、させている野球ですが、実に面白いsports ではないでしょうか。日本では、すでに camp in したプロ球団が、今年も戦うのですが、American League では、労使の紛争が未解決で、開催できるかが危ぶまれています。

 隣家のご婦人が、有名校の野球部顧問をされていて、東京六大学に進学した卒業生が送ってくれたと言って、野球の ball  の何倍もある、大きな梨を昨秋、いただきました。野球の味はしなかったのですが、とても美味しく食べたのです。

 スタルヒン、沢村、小鶴、青田、千葉、大下、与那嶺、稲尾、別所、藤尾、江夏、衣笠、吉田、落合、台湾の嘉義農工、カナダのバンクーバ朝日などなど、野球の話は尽きません。

 市の北の運動公園があって、そこの野球場で、市内の中学校や県内の高校の大会が行われるのですが、この2年、野球関係者でないただの市民は、コロナ禍もあり、stand に座ることも許されず、外野のfence の隙間から覗き見しているおじさんの肩越しに眺めただけでした。

 試合を待っている選手たちから、『こんにちは!』と元気な声が掛けられて、何とも嬉しいのです。高知に行った時に、名門校に留学した青年の入学式に、親御さんの代理を買って、行った時も、grand の横を rent-a-car で通った時に、大きな ground で練習をしていた選手たちが、同じような声をかけてもらい、いい気持ちでした。それで応援せずにはいられなくなってしまったのです。

 母の故郷の島根県代表が、岩手の盛岡の高校と戦っている試合を、上海からの船が大阪南港に着いた私、〈上海帰りのジュン〉は、乗り換え駅で、応援に駆けつけるおばさん軍団に、ticket をもらったので、おばさんたちの後について甲子園に行って、三塁側の外野 stand  から応援したことだってあります。

 まだ catch ball ができるでしょうか。野球部の catcher の次に遠投記録を持っていたのですが、試してみたい思いで、暖かくなったらやってみようかなの「立春」です。

(Illust eakika によるイラストです)

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 聖歌に、「春をつくられた神」があります。

原に若草が青く萌え出すと

雪解け水が高く音立てる

私たちも春の喜びを歌おう

春をつくられた神さまを歌おう

 2週に一度ほど出かける、わが家のベランダから眺められる、今年の大平山は、雪の白景色を見せることがなく、春を迎えるのでしょうか。季節季節に山容を変化させてくれるのですが、流石、「立春」ともなると、枯れ木に蕾がついて、膨らんでくるさまが遠望できるのです。

 遠望だけでは満足できない私は、出かけて行って、その梢を見上げるのです。枯葉がカサカサと音が開いて、足元がにぎやかでしたが、何度か強い風の日があって、道の吹き溜まりにも、みう全く枯葉が見られなくなってしまいました。その代わりに蕾が出てきています。


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 参拝客は、階段を登って行きますが、 trekking   の私は、登山道はキツ過ぎて、車道を歩き、途中でコースを外れて、横道に行くのです。最近は、折り畳みの杖を買い込んで携行し、キツくなると背のリュックから下ろして使うのです。猪が出てきたらと、木こりの鉈(なた)も潜ませているのです。

 山がワクワクしている様に、私の心にもワクワクした、春への期待が高まってきています。もう「立春」ですね。山の中を歩き、巴波川の脇道を歩いていると、花や草木や鳥や魚を眺めていると、コロナを忘れられて、創造の天然を楽しめるのです。

 (三期目の胡蝶蘭が今朝開き、咲きました)

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質問

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 『しかし、きょうは野にあって、あすは炉に投げ込まれる草をさえ、神はこのように装ってくださるのです。ましてあなたがたには、どんなによくしてくださることでしょう。ああ、信仰の薄い人たち。 (ルカ1228節)』

 よく質問されたことがありました。『神が愛なら、どうして?』と言われるのです。どうして人に不幸があるのか?、病人、障害者、孤児、悪党がいるのはどうしてか、なぜ悲惨な地震や津波や飢饉が起こるのか、などと言うものです。

 私の母は、生まれるとすぐに、養女に出され、養父母に育てられています。一度、小学校一年生の時に、母のふるさとを訪ねたことがありました。母にお小遣いをもらおうとした時に、『無駄遣いはいけない!』と、厳しくおばあさん(母の養母)に注意されたのを覚えているのです。それで、今思うに、母は放任ではなく、しっかりと躾を受けて育てられたのが分かります。

 ですから両親に捨てられたのですが、養父母に愛されたのだと思います。養父は早く亡くなって、養母の手で育てられたようです。でも、友だちには兄弟や姉妹がいるのに、自分は一人ぼっちだったのが寂しかったと、私に、母が言ったことがありました。

 母が幾つの時か聞きませんでしたが、自分が、この母の子ではなく、お母さんは奈良に、お父さんは下関にいる、と言うことを聞いたと話してくれました。そんな母を、教会学校に連れて行ってくれた幼馴染がいたのです。そこで、聖書に記される神さまが、「父」であると教えられ、〈父(てて)無し児〉の自分に、《本物の父親》のいることを知って、大変に慰められ、喜んだのだそうです。

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 『お転婆だった!』と、母の親族で、母の子ども時代を一緒に過ごした、同世代のおばさんから、そう聞いたのです。その母は、讃美歌を歌い、聖書のお話を聞くこと、何よりも、「父である神」に祈ることで、孤独が慰められていたのです。それで熱心に教会に通っていた母の信仰について、『耶蘇は親の面倒を見ない邪教だ!』と養父母に告げ口をしたのです。それで教会に出席するのを禁じたのです。

 そんな母を、『台湾に売り飛ばしてしまえ!』と言って、そうされかけた時に、教会に知らせてくれる人がいて、教会は地元の警察に話し、警察は母を保護したそうです。命からがら、人身売買の難を脱れることができたのです。

 「サンダカン八番娼館底辺女性史序章(山崎朋子著、1972年刊)」と言う本に、天草の貧しい家から、ボルネオに売られた「からゆきさん」が描かれています。映画では、母と同級の田中絹代が、サキを演じていました。母は、ボルネオではなく、台湾に売られるところだったのです。やがて父と出会って結婚し、父の子四人を産んで、育ててくれました。自分の人生の不幸を、創造者の所為にしたのではなく、不幸を転じて幸福に変えてくれた神を認め得たのです。

 神は、意地悪をされるような、冷酷な方ではないことを知ったので、母の95年の生涯は、素晴らしかったのではないでしょうか。

 草を装うように、いえそれ以上に、母は祝福された一生を生きることができたのです。それを聖書は、『神のわざが現れるため』であったと言います。人の周りに起こる不都合さの原因は、人にあります。そう人の「罪」によるのです。その罪を、人が認め、その罪を赦すために、イエスさまが十字架、代わって死んでくださったことを信じられて、母は基督者として生き、夫も子たちも、孫たちも、その信仰を継承し得たのです。まさに、「よくしてくださる神」と出会ったから、いえ、神に見つけ出されたからです。

(熊本の天草、キクを演じた田中絹代です)
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如月

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 作詞が相馬御風、作曲が廣田龍太郎の「春よこい」があります。

春よ来い 早く来い
あるきはじめた みいちゃんが
赤い鼻緒の じょじょはいて
おんもへ出たいと 待っている

春よ来い 早く来い
おうちのまえの 桃の木の
つぼみもみんな ふくらんで
はよ咲きたいと 待っている

 今日から二月、旧暦だと「如月(きさらぎ)」と言います。この月名は、まだまだ寒さが厳しい時季ですので、上着や下着をもう一、二枚と重ね着したいと、どなたも思うのでしょう。それで「衣更着(きさらぎ)」になったのだそうです。お隣の中国でも、「如月ruyue」と言ってきていますが、通常は「二月eryue」なのですが、月の呼び名も、大陸との関係があるわけです。

 寒い冬が終わり、春に向かって万物が動き始める時期という意味があります。つまり、同じ漢字を使っているものの、「きさらぎ」と「にょげつ」で表している意味は違っているということになります。

 英語ですと February と言います。Februaryは、ローマ神話の月と贖罪の神「フェブルウス(Februus)」が由来なのです。『古代ローマでは、戦争で亡くなった戦士の霊を弔うために、毎年2月に慰霊と浄化のお祭りである” Februa”を行っていました。フェブルウスはこのお祭りの主神とも見られ、お祭りの名称もフェブルウスから取られています・・・』(Kiminiブログから)

 私たちの家のベランダから、西に「大平山」がみえるのですが、山肌が、枯葉色から盛り上がるような薄ピンクのような感じがしてきているのです。実際に先週、この山に行ったのですが、芽がふくらんでいるのが確認できたのです。春到来の準備万端が整っているのでしょう。

 この歌に出てくる「みーちゃん」は、作詞者の御風のお嬢さんだそうで、1921年(大正10年)に生まれているとのことで、母より三歳年下だったのですから、想像がふくらんでしまいます。雪深い新潟県糸魚川生まれですから、なおのこと、春を待って、外を「じょじょ」を履いて歩きたい思いが強かったに違いありません。

 この歳になっても、春の到来は、コロナ終息の願いと共に、どなたの思いの中でも強いのでしょう。わが家のベランダでは、ペチュニア、ラベンダー、ガーベラ、カランコエ、金魚草の花が、今朝など零下4℃の寒さを耐えて咲いています。

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