およげ!たいやきくん

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 作詞が高田ひろお、作曲が佐瀬寿一、歌が子門真人の「およげ!たいやきくん」が、1976年に発表され、戦後最大のメガヒットで、一世を風靡しました。

まいにち まいにち ぼくらは てっぱんの
うえで やかれて いやになっちゃうよ
あるあさ ぼくは みせのおじさんと
けんかしおいて うみに にげこんだのさ

はじめて およいだ うみのそこ
とっても きもちが いいもんだ
おなかの アンコが おもいけど
うみは ひろいぜ ももいろサンゴが てをふって
ぼくの およぎを ながめていたよ

まいにち まいにち たのしいことばかり
なんぱせんが ぼくの すみかさ

ときどき サメに いじめられるけど
そんなときゃ そうさ にげるのさ

いちにち およげば ハラペコさ
めだまも クルクル まわっちゃう
たまには エビでも くわなけりゃ
しおみず ばかりじゃ ふやけてしまう

いわばの かげから くいつけば
それは ちいさな つりばりだった

どんなに どんなに もがいても
ハリが のどから とれないよ

はまべで みしらぬ おじさんが
ぼくを つりあげ びっくりしてた

やっぱり ぼくは タイヤキさ
すこし こげある タイヤキさ
おじさん つばを のみこんで
ぼくを うまそに たべたのさ

 

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 作詞家の高田ひろおは、北海道の釧路の出身で、美しい海を見ながら育ったのだそうです。10才頃、銭湯帰りに鯛焼きを買ってもらったのです。それを腹巻に入れ 帰ったら、ぬくもりが気持ちよかった思い出がありました。真冬の釧路はしばれたのでしょう、上京しながらそんな経験を思い出していたのです。

 東京で学ぶというのは、地方の若者は憧れだったに違いありません。山形出身の級友が、『東京って寒いね!』て言っていました。比べられないほど寒い山形に生まれ育ったた彼が、そう言ったのが不思議でなりませんでした。山形の冬は、暖房が効かされていのに、東京のアパートは、壁も薄く、小さなストーブでは寒かったのでしょうか。『山形の冬は暖かいんだ!』と感じたのが不思議でした。

 「擬人法」だったのでしょうか。あくせく忙しい東京、だだっ広い東京で、手狭まで窮屈な部屋で、密集して生きている東京人に、故郷の広さを知ってもらいたくて、釧路の広い海で泳いで欲しくて、たい焼きに託して夢をもって生きて欲しかったのでしょう、そう高田は詩作をしたのです。

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 高度成長期の東京での「まいにち」は、繰り返しあくせく働く人で溢れているではありませんか。しかも同じような仕事に追われ、それに没頭している。今の日本も、窮屈で不自由なのでしょう。焼かれた「てっぱん」、鋳型の中で同じ形にされます。店主と「けんか」ができたのは勇気があったのかも知れません。時には、精神安定のためには、心の爆発もいいかも知れません。そして「にげるうみ」もあったのもいいですね。

 いやな毎日を生きてる「ぼくら」を泳がせたかったのでしょう。「ももいろさんご」に歓迎され、「ひろいうみ」で「およぎ」、自由を満喫できたのです。「なんぱせん」が住処になります。ところが「サメ」に襲われ、そこも理想の場ではなかったのです。逃げたら「はらぺこ」になってしまう。岩陰に、何を避けたのでしょう、エサだと思ってパクりとしたら、「つりばり」でした。釣りをしてた「おじさん」に釣られた自分が、「タイヤキ」だと気付くのです。けっきょく、そのおじさんに、「うまそにたべら」てしまいました。

 そんな物語りで、鯛焼きは、しょせん鯛焼きであって、食べられて使命を全うするのです。浅草で、次男の買ってくれた鯛焼きが美味しくて、ちょっとだけ食べようとした家内が、丸々食べてしまうほどでした。これも彼女には必要だったかも知れません。この数ヶ月、子育て中に聴いた「およげ!たいやきくん」が、唇に浮かんできて、唄ってしまいます。

(“いらすとや”のたい焼きです)

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