柿を断わる石田三成

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 戦国の武将に、豊臣秀吉に仕えた石田三成がいました。その出自は、近江国(現在の滋賀県)の土豪の家に生まれた人でした。幼少期には、お寺の小姓として仕えていたそうです。ある時、そこに鷹狩りにやって来た豊臣秀吉との出会います。出会いは、人生を決めると言われますが、戦国の知将と呼ばれるのですが、秀吉に出会ったことが、三成の運命を大きく変えていきます。

 語り継がれる逸話に、「三献の茶」があります。喉の渇いた秀吉に対し、三成は、最初は大きな茶碗に「ぬるめのお茶」を差し出したのです。次に、「中程度の熱さのお茶」を、茶碗にれて秀吉のもとに持っていきます。

最後は、小さな茶碗に「熱いお茶」を少しだけ出したのです。主君の様子を見て、たかがお茶に、それほどの心配りをして淹れ、差し出した、心細やかな気配りのできる家来だったようです。そう言った三成に、感服した秀吉は、彼を重臣として召し抱えたのです。

 秀吉が天下統一を果たしていく上で、三成の最大の功績は戦場での武功以上に、平時に、驚くほどの心遣いができたことが、やがて、「五奉行』のの筆頭として、秀吉に仕えさせていきます。中心的存在として、秀吉の数十万人もの軍勢の食料を準備し、賄いに励んだのです。おだのぶながにw「猿」と呼ばれて、身そば近く仕えた、若い頃の藤吉郎時代に、主君のはく草履を、懐で温めで、足下に置いた秀吉の心を動かすに十分だったのです。小事に忠実な者には、大事が任されるのでしょう。

 私には2才違いの弟がいます。今でも、『準ちゃん、一呼吸、深呼吸をしてから、ね!』と、この歳になっても言ってくるのです。彼は、父のお客さんが家に来ると、玄関の三和土(たたき)にしゃがんで、父に言われてではなく、自ら客人の靴を磨くのです。その様子を何度か見たことがありました。一度や二度ではありません。そんなことの出来る弟に、意地の悪い兄だったことを思い返して、反省の今です。

 若き日の三成は、そんな人物だったのです。「山崎の戦い」と言う戦いが、あった時のことです。今の東海道線に「山崎駅」がありますが、そこが、戦国期の戦場でしたが、私を育ててくださった宣教師さんは、その駅の近くの教会で奉仕をされていた時期がありました。日本の古都の京都で、教会を形成したいと言って出掛けたのです。その教会に呼ばれて一度、出掛けたことがありました。まだ若かった三成は、織田信長を本能寺で撃った明智光秀を打ち返す豊臣の軍勢の指揮をとったと言われています。

 キリスト伝道は、霊的な戦いだと言われて、その宣教師さんは、京都を目指したのです。何だか私たちの国の戦国武将のように感じたのです。神に反逆する一大勢力は京都にあると、考えられて、まだ三十代で若く熱心だったこの方は、勇躍出掛けたのです。そうする宣教師さんに驚いたのを思い出します。

 そんなことを思い出しながら、日本の歴史に登場する人に、ちょっと関心があって、この石田三成を思い出したのです。まだ柿の出回る季節ではありませんが、その柿が好きだった父が何度か話してくれた、三成の逸話を思い出したのです。柿にまつわるエピソードです。

 まだ四十ほどだった三成は、秀吉の忠臣として、秀吉の亡き後も、徳川家康が天下取りをしていく時にも、豊臣勢に忠誠をし続けていきます。天下分け目の関ヶ原の合戦で、ついに捕えられてしまうです。関ヶ原の戦いのあと、逃げて再起を図るも捕まってしまった三成は敗軍の将として、京の六条河原で処刑されることになりました。

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 その処刑の前に、喉の渇きをおぼえた三成は、警護人に白湯を求めました。しかし白湯はもらえず、渡されたのは干し柿でした。すると三成は、『柿は痰の毒と言われていて、体に良くないのでいらない!』と断ってしまいます。これから死ぬというのに今更、体の毒になるからと、干し柿を断ったのに、徳川方の兵たちは笑ったそうです。

 それに対して三成は、『大志を志す者は、最期の時まで命を惜しむべきだ!』と言ったのです。死の間際でさえ三成の生き方は揺れ動くことはなかったのです。当時、柿は渋柿で、生では食べられなく、柿の皮を剥いて干した柿が食べられていたのだそうです。それに三成の大の好物だったのだそうです。それに心を動かすことなく、自分の体を労わろうとした心こそ、三成の人となり、生き方だったのです。

 命が果てようとし、今生の最後に、大好物を食べてもいいのに、そうしないと言うのは、私には信じられません。そうできた三成には、驚かされてしまうのです。そんな人だったからでしょうか、三成には多くの逸話が残されているようです。

 戦国の世を生きると言うのは、武家の家に生まれた者には、厳しい生を求められたわけです。戦争末期に生まれ、食糧をはじめ、あらゆる物の欠乏する戦後を、育ててくれた両親を思うと、感謝が尽きません。今も、国を思い、命をかけて、国を、国土を、父や母や子や兄弟姉妹を守ろうと、戦っている兵士がおいでです。

 人類は戦禍を越えて、今を生きるのですが、戦国の世とは、どれほど厳しい時代であったかを思わされてしまいます。石田三成だけではなく、人として立派に生きた人が多くあったことでしょう。柿の好きなことでは、父は三成と同じで、その血を引くのでしょうか、生柿の次郎柿とか御所柿に目のない私も、もっと自分の身体を大切にして、余生を送らねばと決心させられた、七月最初の日の朝です。

(“ウイキペディア”の石田三成にht旗印、ころ柿です)

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