小春日和

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被災した鉢の花が、二種類、新しい家の四階のベランダに、運び込まれています。朝顔、ハイビスカスです。高根沢に避難している間、水遣りなしで、前の家の軒下に放っておかれたのに、命を繋いで、手狭なベランダで咲いています。

完全に、洪水を被ってしまった鉢ですが、逞しく生き続けているのを放置できずに、自転車に乗せて運んできたのです。庭の土に返した、ホットリップスは、勢い良く咲き続けていました。プリンセス・ダイアナは土に戻り、また季節到来で咲いてくれることでしょう。

庭が広くて、木槿(むくげ)や薔薇を植えたかったのですが、ここベランダでは、ちょっと無理の様です。180円で、ハイビスカスを買った店が、濁流に浸かった上に、火が出て全焼してしまったと聞きました。今、その花の蕾が膨らんできて、陽を浴びて、間も無く咲こうとしています。

何か、いのちのが再生、回復して行く様子を眺めている様に感じております。何年も前に、家内が駅前の花店で買って、プレゼントしたハイビスカスが、弟の家のベランダで、世話が好いのでしょうか、咲き続けているのだそうです。

この写真の〈サルビア〉は、秋になって買って来て、高根沢に持って行って、再び持ち帰った花です。そしてテーブルの上には、何度も床に落とされては、花や茎をへし折られてしまった〈胡蝶蘭〉の小鉢が置いてあります。そんなことにめげず、今まさに茎の先端の赤みをつけた新しい芽が、咲く準備をしている様です。

《花ある風景》が、コンクリートの建物中に、住んでいるのを忘れさせてくれる、「小春日和」の午後です。

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銀杏

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家内の入院当初は、獨協医科大学病院の病院棟と駐車場の間を走る道路には、まだ幕内の正月でしたから、枝だけの銀杏並木だったのが、春には若葉が芽生えていました。その葉が、今や黄色く色づき、落葉し始めていた、昨日の通院でした。

美事な銀杏並木は、獨協名物で、構内の春の桜と共に、季節を感じさせられて、病院職員も患者さんも、何となく物思いにふける晩秋でした。もう一二週間で、医師や教師や坊さんが走る「師走」になろうとし、2019年も暮れ様としています。

昨日は、二桁目の化学治療の投与が、家内に行われ、無事に通院治療がすみました。最近は大きな変化がありませんが、徐々に体重も増え、食欲もあり、一人で散歩がてら、近くの郵便局や「なにわ寿司」のお店に、昼食にと買い物にも行く様になって来ています。

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帰りが遅いので、心配になって迎えに行きましたら、行き過ぎようとしていた陶器屋の中から、家内に呼び止められてしまいました。お店のおばさんと談笑していたのです。〈人と話をしたい〉のだそうです。そんなこんなで、穏やかな日を過ごしております。

訪ねて来る息子たちに、〈眼を細め〉ている様子を見ていると、まるで苦くない《良薬》になっているかの様で、お腹を痛めて産んだ子たちは、闘病中の家内には、最も嬉しい訪問の様です。多くの人に支えられ、応援されて、今年が暮れゆこうとしています。溢れる感謝の日々です。

(下の写真は、2階のレントゲンの待合室から撮ったものです)

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ことば

.あんなに大きな船を右左に、向きを変えることができるのは,小さな「舵(かじ)」です。通常は,水の中に潜っていて、人の目に触れることはありません。戦艦だろうが、重油タンカーだろうが、舵の向き一つで、進路が変えられるのですから、船乗りは,その《舵の役目》の大きさを熟知しているのです。

子どもの頃、父の机にあった、モールス信号機に、強烈な興味を、私は持ちました。無線で、要件を届けることができると言う機械装置の不思議さに圧倒されてしまったのです。それで無線通信士になろうと思いました。それには,船に乗るのが一番でしたから、船や海にも、果てしなく関心が向けられていました。木製の船の模型のキットを買っては、作ったこともあるほどです。

船の舵と同じ様に、人間の「舌」も大きなことをするのです。私の愛読書に、「舌は小さな器官だが、大きなことを言って誇る。」と書いてあります。そして、「舌は火であり、不義に世界だ。」とも言っています。さらに、『人は,この舌を正しく制御できないこと』についても触れているのです。そういえば、言葉で失敗する人って、どこの国でも、結構多いのではないでしょうか。

戦後日本の舵取りして、名相と言われた吉田茂総理大臣でさえも、国会・衆議院を、口を突いて出た一つ言葉で、解散しなければならなかったのです。質疑応答の折、西村栄一議員の言葉と態度に怒ったのでしょうが、自席の帰り際に、小声で、『バカヤロー』と言った言葉を、マイクロフォンが拾ってしまって、小声では済まされなくなって、結局、衆議院が解散したのです。1953年のことでした。

『あの一言を、言わなければよかった!』と思っている人は,大勢いらっしゃることでしょう。人間の舌、語りだされる言葉は,実に影響力が大きい様です。東日本新大震災と、原発の事故で、福島から横浜の小学校に転向しなければならなかった少年に、バイキンというあだ名をつけたり、保証金があるのだからと、『お金を持って来い!』と言われ続けた、《いじめ体験》を記した手記が、あの頃問題になっていました。

この子は、不登校を続けていたのですが、こんなことも書いています。『いままでなんかいも死のうとおもった。でも、しんさいでいっぱい死んだからつらいけどぼくはいきるときめた!』と。故郷ではない横浜で、いじめに潰されないで、健気に生きている少年がいたのです。

小学生のいじめに、《大人の不用意な言葉を、家庭やどこかで聞いて、学校でオウムの様に語る》、こう言ったことが背後にありそうです。誰にでも起こりうることを、自分の問題として引き受けられないことが、こう言ったいじめを生みます。

この手の《言葉の暴力》は,どこにでも、限りないくありそうです。《不義の世界》、舌を正しく使える本物の人間に、人は育たなければなりませんね。「言葉は剣(つるぎ)」となることが多々あるのです。

(〈剣〉の様な形のペーパーナイフです)

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長く住んだ街に、そろそろ吹き始めるのが、「八ヶ岳颪(おろし)」でした。冬の到来と共に、何もかも凍りつかせてしまう様な、刺す様な冷たい風でした。若い頃から、真冬に雪が降っても、ズボン下を履く習慣がなかったのですが、五十代の後半になって、〈見栄〉をはる必要もなくなり、暖かく過ごせる様に、「タイツ」を履き始めたのです。

でも、動くとすぐに汗をかいてしまうので、困ったのですが、一月に、こちらに住み始めて、ズボン下を履きませんでしたが、今冬は、使うことにします。引越しの荷物に中に、見つけたからです。長男の嫁御が、数年前に、裏地のついた「暖パンツ(冬用のナイロン製のズボン)」を買ってくれたことがあって、それが、とても暖かで、履き始めたら、もう離せません。

群馬名物の〈空っ風〉の「赤城颪」が、隣県のこちらでは「男体颪」になるのでしょうか。今年の一月、二月は、その「暖パンツ」が、体を温めてくれましたので、もうタンスの中に準備中ですので、間もなく引っ張り出すつもりでおります。

寒さ対策は整いました。車に乗らなくなったので、しっかり冬用の備えが必要でしょうか。家内の通院用に、その「暖パンツ」を買って上げなくてはいけないのです。ナイロン製品のなかった子ども時代には、母が綿入れの寝間着や、防寒上着を作ってくれました。起毛の暖かな毛布などなかったのに、寒くて寝れなかった記憶はないのです。

それにつけても、朝起きた時に、襟元に、雪が積もっていたという、北海道開拓部落で子ども時代を過ごした〈道産子おじさん〉の話には、驚かされました。もっと寒い話は、シベリヤに抑留されて、極寒の冬を生き延びた人の話です。極端に少なく、栄養補給などできない食料で生活していた寒さは、想像に絶します。

異常な暑い夏の裏返しに、異常な低温の冬がくる様に感じてしまいます。はたして、どんな冬がやってくるのでしょうか。明け方近く、今朝はエアコンを入れてしまいました。スイッチひとつで、こんな「暖(だん)」が取れるのが、不思議に感じてしまう朝です。

(冬用の上着の「綿入れ」です)

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ラザニア

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先日、高根沢町に滞在中に、お隣の矢板市の一軒の家を訪問しました。そこに、消防士に転職された、一人の青年がおいでになっていたのです。消防と救命救急のお仕事を、自分のなすすべき仕事と決めた方です。

国を守る兵士も、国の治安に当たる警察の公安も、この青年の様に、消火活動や救命活動などに就く方たちによって、国の安寧秩序が守られて、安心して社会生活が送られているのを知ります。素敵な顔と考えを持たれた若者でした。

このところアメリカのカルフォルニア州のロスアンゼルスと、オーストラリアの頭部のサウスウエールズ州やクイーンランド州などで、山林火災が起こっているというニュースが報じられています。森林を焼き尽くして行く火が、都市部をも焼き続けている様です。

それは落雷による自然発火だそうです。このところ、火山の爆発、地震、台風、そして火事と、自然災害が頻繁に起こっています。まさに、「地震」、「雷」、「火事」、「親爺(台風のことを言っているという一説があります)」の猛威です。

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台風の暴風雨に熊本の本渡で見舞われ、落雷の危機に八王子で遇い、台風の大波に湯河原海岸で引き込まれ、階上のガス爆発で家具一切が使えなくなる経験を中部山岳の街でしたことが、これまで私にはありました。ところが、この10月の台風19号の浸水被害にあったのには、ほんとうに驚きました。〈100mmの暴雨〉の話は聞いていましたが、風呂桶をひっくり返した様な雨に遭って、家が浮いて流れてしまうのではないかと、ちょっと大げさに思ってしまったのです。

今回、市から「罹災証明書」が発行され、〈家屋の半壊〉という認定でした。そんな経験から、『上階に住みたい!』との家内の願いを汲んで、この家に住むことを決めたのです。被害の大きさは少ないのですが、こんな危機に、手を伸べて助けてくださったみなさんに感謝でいっぱいです。

下の息子が、まだ4歳ほどの頃でしたが、『消防車になりたい!』と言ってたことがありました。消防士の勇気ある活動を、何かで知って、自分も「消防士」になってみたかったのです。「クルマ」も「ヒト」も同じに感じた幼い次男の言葉が新鮮でした。

前の家も今回の家も、メディカルセンターに近いせいで、救急車がサイレンを鳴らして、日に何度も何度も、近くを走って行くのを頻繁に聞くのです。 人の生死に関わるお仕事に従事されるみなさんがおいでで、私たちは安心して、生活することができます。

あの日、この若き消防士が、ラザニアを作って来られました。非番の日に、家内と私が来ると知って、腕を奮ってくれたのです。餃子ではなくラザニアだったのが、素敵で、美味しかったのです。

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楽天的に

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転んでしまって泣いている子どもに、『チチンプイプイ!』とか、『痛いの痛いの飛んでけ!』などと、親が、痛い箇所に手を置いたりして言ってあげると、激しく泣いていた子どもが泣き止むことがありました。同情してもらって嬉しくて激しく泣く子と、かえって泣き止む子とか、色々といるようです。

世界中に、どれほどの種類の「薬」があるでしょうか。その中に、「偽薬(ぎやく)」と呼ばれるものがあります。砂糖や澱粉を薬仕立てにして、『これを飲むと好くなりますから!』と言って病人に飲ませると、治ってしまうことがあるのです。それを「プラセボ効果」と言っています。

医科大学の先生が、こんなことを言っていました。『薬の数が多いのは、みんな効かないからです!』とです。効かないはずの澱粉が、薬効など全くないのに、『鰯の頭も信心から!』と言われるように、信じて飲むと、心理作用で効いてしまうのです。人間とは不思議な存在ですね。

としますと、どんなに辛く悲しいことが起きても、心持ち次第で、それを乗り越えることができるのでしょう。古今東西、恵まれない家庭環境の中で育った子どもの方が多いおいでです。彼らは、それを跳ね返して、たくましく生きていけるのです。もちろん人の一生に、偽物はありません。一回切りの人生を、みなさんが、懸命に生きてきています。

『笑う角に福来る!』とも言います。故事ことわざ辞典に、『いつも笑い声が溢れる家には、自然に幸運が訪れる。明るく朗らかにいれば幸せがやってくるという意味。また、悲しいこと・苦しいことがあっても、希望を失わずにいれば幸せがやって来るということ。』とあります。

それは 、浮世の辛さの真っ只中で、生きる現実の厳しさの中で、《楽感的に生きて行くように》との勧めなのでしょう。泣き明かして生きるよりは、朗らかに生きたほうが得策です。生きている限り、生かされている限り、好いことがあるからです。“Hasta mañana/アスタマニャーナ"、スペイン語のフレーズで、『何とかなるさ、クヨクヨすんな!』だそうです。

(地中海原産の「オレガノ」の花からオイルがとれます)

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かんれき

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芸能界には、あまり関心がないのですが、『山口百恵、還暦!』と聞いて、ちょっと驚いています。次男が生まれる頃に、歌手生活から引退して、家庭主婦となった、「稀代の歌手」で、歌の上手さは抜群でした。表彰されることが少なかったりで、妬まれる様なことがあったのでしょうか、ちょっと不運だったのですが、銀幕の舞台から潔く退いて、一般人として、幸せに生きてきた様です。

この山口百恵は、中国の若者たちの心を、強烈に捉えたのです。外国の文化や芸能が受け入れられる様になった時期に、「映画」では高倉健が、「歌」では、この山口百恵が、数億人単位のフアンの心を掴んでしまったのです。

1978年10月に、鄧小平氏の訪日後に、未曾有の〈日本ブーム〉が嵐の様に、中国全土を巻き込みました。その最たる出来事は、高倉健が主演し、中野良子、原田芳雄が共演した、映画「君よ憤怒の川を渉れ(1976年日本で公開)」でした。中国で「追捕(zhuibu)」というタイトルで、1979年以降、上映され、何と3億人が観たと言われています。隣の村まで歩いて出かけて、観たという人にも会いました。

外国映画の中から、日本映画が第一号として解禁上映されたわけです。また、栗原小巻や中野良子、そしてこの山口百恵は、中国青年の憧れのスターとして喝采を受けたのです。私が会った、五十代から六十代以上のみなさんから、「杜丘(duqu)」の名前を聞きました。誰だか分からないでいると、高倉健が演じた主人公の名前だったのです。『 “ shankou” も知ってる!』と聞かれました。『アッ、「山口(百恵)」だ!』と言ってしまったほどです。

その山口百恵が、〈六十歳〉になったのですね。世の中が、まるで無色で、娯楽も何もない時代に、日本人女性、《スター(中国語では〈明星mingxing〉)》の代表の様な彼女でした。この名を言う時に、これ以上できない様な満面の笑顔で、十代の男の子の様に、はじけて、恥じらって、五十過ぎの大学の音楽教師が聞いてきました。

それは、彼には、いえ彼らには衝撃的な出来事だったに違いありません。同じ様なスタイルの服装をし、靴も帽子もバッグも、何もかも〈ニッポン〉への憧れで溢れていた時代を生み出した、山口百恵の《還暦》なのです。

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input

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ここ北関東の農村は、今や、稲刈りのすんだ田圃が、延々と広がっています。石ころや雑木林の地を開墾した時代があって、豊かに生産する時代となったのでしょう。〈穀倉地帯〉とでも言えそうな土地柄です。

県内産のお米が美味しいのです。とくに、台風による川の氾濫で、避難した町、高根沢で食べたお米が、とびっきりの美味しさでした。お邪魔したクラブの二階のゲストルームの台所のテーブルの上に、そのお米が、私たちの食用にと、ご用意くださっていたのです。

滞在した三週間近くの間、ちょうど食べ切ったほどの量でした。避難民への親切さが、より美味しく感じさせられたのでしょう。どなたかの家で獲れたお米でした。近くの農協の即売所に、御当地米が売っていて、きっと、「したつづみ」と言う銘柄米だと思ったのです。

下の息子と一緒に通過した、新潟県下の高速道路のサーヴィスエリアの売店で買った、「魚沼こしひかり」に匹敵する様な味でした。やはりお米を食べ続けてきたからでしょうか、米の旨さが分かって、食が進んでしまうのです。今では、夕食時に、家内と二人で〈一カップ〉を炊いて食べ続けてきているのです。

華南の街で、黒竜江省産のお米が売っていて、「東北米dongbeimi」を買って食べていました。ある時、「秋田小丁qiutianxiaoding(秋田小町)」と言う銘柄の米が売っていて、それ以来、それを食べていたのです。懐かしくも美味しかったのです。

ところが、若い友人が、日本に出かけて買って帰ってきた、「富山産米」を10kg袋で頂いて食べたのです。その旨いこと、中国産には申し訳ないのですが、旨さの違いがはっきりと分かるほど、美味しかったのです。

ところで、子育て中のわが家では、一番安い米を食べていました。ですから子どもたちの口は、お米の味の音痴になっているのではないかと思ったほどです。ところが、時々、『米が獲れたので食べてください!』と言ってお米を頂いたのです。ある時は、一年近く、買わないで、〈頂き米〉を食べ続けたのです。

冷害に強い米、いもち病などへの研究がなされ、日本のお米は美味しいわけです。冷たい水で、夏場に育ったお米が美味しいのだそうです。今年も収穫を終えた田圃には、〈ひこばえ(蘖)〉が伸びていて、田植え後の様な感じがしています。

子どもの頃に、兄二人、弟一人、そして私の四人の息子に、腹一杯食べさせてくれ、養ってくれた父や母を思い出しています。とりわけ〈死に損ないの私〉の滋養強壮、栄養補給のために、『生きよ!』と祈りながら、市販などされていない、瓶詰めの《バター》を、どこからか手に入れては、私に舐めさせてくれた父でした。兄たちや弟には舐めるのは禁止にしていたのです。

子どもたちは、私が、トーストしたパンに、タップリとバターを塗るので、健康維持のためにでしょうか、『多過ぎるよ!』と注意してくれるのです。そうしてしまうのは、バターの味が、私の人生や脳や記憶に、インプットされているからなのでしょうか。今朝も、タップリと・・・・・!

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ほろほろと

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季節に「音」があるのでしょうか。小林一茶が、

ほろほろと むかご落(ち)けり 秋(の)雨

と詠んでいます。「むかご」は、〈零余子〉と漢字で表記しますが、山芋の蔓になる「実」で、食用として食卓にのることもあります。

林の中の蔓に見付けて、手で摘んだことがあります。頬張って食べた記憶もありますが、茹でて食べるのが一番で、秋の味覚の一つでもあります。山芋を〈自然薯(じねんじょ)〉と言ったりします。

オリンピックのマラソン競技を、札幌で行うと聞きましたが、前回の「東京オリンピック(1964年)で、円谷幸吉が健闘して、《第3位》で、銅メダルに輝いたのを思い出します。私の上の兄と同じ年の生まれでしたが、メキシコ大会での活躍が、過剰に期待されていましたが、腰痛などで、その期待に耐えられず、自らの命を絶ってしまったのです。

責任感も強かったのでしょうか、〈挫折体験〉についていけなかったのかも知れません。人生の重大な決断を、自ら下したスポーツ選手の一生として、重いものがあります。彼の遺書は、次の様な一節で始まっていて、その文面が残されています。

『父上様 母上様 三日とろろ美味しゅうございました』

とです。彼の出身の福島県須賀川では、「三日トロロ」と言うのでしょうか。『「三日とろろ」は、お正月の三日目に、長寿や健康を祈願してとろろ汁を食べる風習です。山芋には整腸作用や滋養強壮作用があるとされることから、お節料理のご馳走に疲れた胃をいたわる効果もあります。(ヤマサ醤油のレシピ)」とあります。

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今頃でしょうか、母がよく作って食べさせてくれました。手伝いで、摩った長芋を、摺鉢の中に入れ、〈摺りこぎ棒〉で摺ったのです。そこに、母が作った〈だし汁〉を入れて合わせていました。麦飯の上にかけて、ツルツルと飲む様に食べたものです。円谷にも、私にも、美味しい夕食だったのです。これも《お袋の味》で、どんな料亭の「とろろ汁」もかなわない味でした。

「ほろほろ」の音は想像の音でしょうけど、そう聞こえてきそうな情景が浮かんできます。山椒の木の枝で作られた、イボイボの〈摺りこぎ棒〉が、摺鉢を擦る、「ゴロゴロ」の音が、秋を秋らしく思い出させてくれる、ちょっと物悲しい曇り空の晩秋です。

マジカルキッチンからとろろ汁ご飯、“ photohito ” の零余子です)

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強かに

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猫、犬、ウサギ、馬、牛、山羊、羊、豚、たまに鹿や熊や猪くらいが、これまで私の身の回りにいた動物でしょうか。小学校の頃に、上野の動物園に遠足で行きました。写真とか絵本でしか見たことのない動物を見て、新しい感動を覚えた日だったのです。中学校二年生の頃に、「多摩動物公園」ができて、出掛けてみました。その大きさと、動物の種類の多さ、柵のない檻の中で、自由に行動したり、バスの乗車して園内を見学する様子は、今までの動物園にないことでした。

子育てをした街にも、小さな動物園がありました。白熊が、左右に頭を振って、不快感を表していて、何と無く気の毒に持ったりしたものでした。圧巻だったのは、長女が、あの大きな象を見たときに、へたり込んだではありませんか。絵本の象と、本物との違いに驚いてしまったからでした。あの姿は忘れられません。

先日、動物の習性を聞いたのですが、草食動物のキリンの睡眠時間、熟睡時間は、三十分にも満たないのだそうです。弱肉強性の世界で、常に警戒心を怠らないためなのだそうです。惰眠を貪ってしまう人間との違いに驚かされます。でも、なかなか眠れない方も、多いそうですが。

札幌の病院に入院していた時、北海道民の自慢は、やはり「旭川動物園」でした。廃園の危機から、日本でも一、二を争う様な、人気を勝ち取ったことへの誇りなのでしょうか。映画にもなって、観たことがありました。もう少し長く入院していたら、抜け出して、旭川まで行って、入園してみたかも知れませんが、叶えられませんでした。

ある動物園に、〈一番怖い動物〉の檻があるそうです。猛獣でしょうから、興味津々で、檻の中を、みなさんが覗き込むのだそうです。そこには猛獣の代わりに、鏡が置いてあって、見学者の顔が映る様にしてあったとか。本当なのか、冗談なのか分かりません。

人間って、〈したたか(強か、健か〉ではないでしょうか。生まれてから、物を掴むことも、立ち上がることも、歩むこともできないまま、完全に受け身であったのにです。〈したたか〉について、“ goo辞書に、「[形動][文][ナリ] 粘り強くて、他からの圧力になかなか屈しないさま。しぶといさま。「世の中を―に生きる」「―な相手」 強く、しっかりしているさま。「―な後見役」「―な造りの家」 p 強く勇猛であるさま。「力が強く勇気があって―な豪傑である」〈魯庵社会百面相 程度がはなはだしいさま。「いと―なるみづからの祝言どもかな」〈・初音〉 分量がたいへん多いさま。「国の事など―に申し居たるさま見るに」〈夜の寝覚・一〉」とあります。

いい意味で、『この人は〈強か〉に生きている!』と言われる様に、残された日を生きていくことにしましょう。

(“ creema ” の木製の象です)

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