二日遅れ

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今朝のわが家の花壇です。予想に反して、20輪もの朝顔が開いてくれました。賑やかな朝を迎えました。先ほど、“ 小朋友 “ が、幼稚園の登園のついでに、「敬老の日」のギフトを持ってきてくれました。家内は大喜びで、今一緒に、幼稚園に送るお母さんの運転の車で、幼稚園に行っています。結婚前に、幼児教育をした家内には、懐かしい世界なのでしょうか。
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ホイットマン

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ウォルター・ホイットマン 

あなたの道を他人が歩むことはできない。
その道はあなた自身で歩まなければならないものだ。

好きな人たちと一緒に生きる。
私はそれだけで十分だ。

あなたが教訓を学んだ相手はあなたを賞賛し、
優しく寄り添ってくれた人々だけだろうか?
あなたとぶつかり論争した相手からも
素晴らしい教訓を学んだのではないだろうか?

あなたはあなたとして生きればいい。
それで十分です。

あなたの生き様は、
偉大な詩になるだろう。

私たちの魂を満たしてくれるものは真実だけです。

情熱…。
それなくして生きていると言えようか?

世界中の誰もが私を賞賛したとしても
私は一人静かに座っているだろう。
世界中の誰もが私を見捨てたとしても
私は一人静かに座っているだろう。

私は幸福を求めない。
…私自身が幸福だからだ。

多くの人は特別な地位を獲得するために
大衆から抜きん出ようとする。
そういう野心を持っているものだ。
しかし真に人生を極めている者は
大衆の一部であることに偉大さを見れる。

その一歩一歩を自身が生きた証とせよ。

自分自身が最良の手本になればいい。
そういう手本になる人物が一人でもいれば、
その集団は千年輝くものになる。

寒さにふるえた者ほど
太陽の暖かさを感じる。
人生の悩みをくぐった者ほど
生命の尊さを知る。

[注]ウォルター・ホイットマン((1819~1892年)、「自由詩の父」と言われたアメリカ詩人でした。アメリカ文学に多大な影響を与えております。詩集「草の葉」が有名。夏目漱石によって日本に紹介されています。

( “ ゆるキャラ 太陽のイラスト無料素材 ” からです)
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喇叭花

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昨日は、長男家族が、〈ジジババの日〉に訪ねてくれ、「すき焼き鍋」を一緒に囲みました。みんなで食べると、さらに美味しいもので、感謝な昼食でした。今日は、連休明け、曜日に関係なく生きていて、毎日が、「敬老の日」です。

今朝も、「喇叭花lǎbahuā/朝顔」が10輪ほど咲いています。肌寒かったのが嘘の様に、また暑さを感じている、昨日今日です。週末には長女が単身で帰京します。いつの間にか、親が引っ越してしまった土地への帰還です。

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栃木人

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“ S、O、N、Y SONY “、テレビがわが家に入ってきて、民間放送局の番組には、広告(コマーシャル)が入って番組が放映される中、この文句のコマーシャルが、頻繁にテレビ画面に流れていたのです。と言うか、覚えやすかったのか、口を突いて出てきてしまうphraseだったのでしょう。

トランジスタラジオ、テープレコーダー、カセットテープレコーダー、テレビと言った電気製品が矢継ぎ早に作られ、製造販売されて行くのでした。当初、「東京通信工業」の設立者の一人、井深大(まさる)は、アメリカの「ベル研究所」が、トランジスターを開発したことをアメリカ訪問中に知ります。トランジスタの製造ライセンス契約に、同僚の盛田昭夫が成功して、日本で製造を始めたのです。

一時期は、この通信機器業界の牽引者の様な役割を担ってきた企業でした。私自身、発売当初カセットレコーダの一号機を買ったことがありました。その創業者の井深大は、栃木県人で、日光市の出身です。その祖先は、会津藩の家老の家筋だそうです。親戚には、飯盛山で自刃した白虎隊隊士の井深茂太郎、明治学院総理を歴任した井深梶之助、ハンセン病に一生を捧げ井深八重がいます。

一方、井深大のお嬢さんは、知的障害をお持ちでした。そう言った関係で、障害者が自立出来る機会を社内の生産部門に作られ、19781年に、大分県に身体障害者が働ける工場の「サンインダストリー(後のソニー・太陽)」を設立して、操業を始められたのです。この会社の理念を、『障害者の特権なしの厳しさで健丈者よりも優れたものを!』と、井深大を掲げました。

社会の弱者の視線で見ることのできる、企業経営者であることが、井深大の大きな特徴でしょうか。こう言った企業人がいたことは、栃木としては誇るべきだと思います。

(日光市の市花の「ニッコウキスゲ(日光黄菅)です)
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青春

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青春

サムエル・ウルマン

青春とは人生の或る期間を言うのではなく心の様相を言うのだ
優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、怯懦(きょうだ)を却ける勇猛心、安易を振り捨てる冒険心、こう言う様相を青春と言うのだ
年を重ねただけで人は老いない。理想を失う時に初めて老いがくる
歳月は皮膚のしわを増すが情熱を失う時に精神はしぼむ
苦悶や、狐疑、不安、恐怖、失望、こう言うものこそ恰も長年月の如く人を老いさせ、精気ある魂をも芥に帰せしめてしまう
年は七十であろうと十六であろうと、その胸中に抱き得るものは何か曰く「驚異えの愛慕心」空にひらめく星晨、その輝きにも似たる事物や思想の対する欽迎、事に處する剛毅な挑戦、小児の如く求めて止まぬ探求心、人生への歓喜と興味。
人は信念と共に若く 疑惑と共に老ゆる
人は自信と共に若く 恐怖と共に老ゆる
希望ある限り若く 失望と共に老い朽ちる
大地より、神より、人より、美と喜悦、勇気と壮大そして
偉力と霊感を受ける限り、人の若さは失われない
これらの霊感が絶え、悲歎の白雪が人の心の奥までも蔽いつくし、皮肉の厚氷がこれを固くとざすに至ればこの時にこそ
人は全くに老いて神の憐れみを乞う他はなくなる

[岡田義夫氏(1891-1968)訳]

“YOUTH”

Youth is not a time of life -it is a state of mind ; it is a temper of the will, a quality of a imagination, a vigor of the emotions, a predominance of courage over timidity, of the appetite for adventure over love of ease.

Nobody grows old only by deserting their ideals. Years wrinkle the skin, but to give up enthusiasm wrinkles the soul

Worry, doubt, self-distrust, fear, and despair ― there are the long, long, years that bow the head and turn the growing spirit back to dust.

Whether seventy or sixteen, there is in every being’s heart the love of wonder, the sweet amazement at the stars and the starlike things and thoughts, the undouted challenge of events, the unfailing childlike appetite for what next, and the joy and the game of life.

You are as young as your faith, as old as your doubt; as young as your self-confidence, as old as your fear, as young as your hope, as old as your despair.

So long as your heart receives messages of beauty, cheer, courage, grandeur, and power from the earth, from man and from the Infinit, so long you are young.

When the writer are all down and all the central place of your heart is covered with the snows of pessimism and the ice of cyncism, then you are grown old indeed and may God have mercy on your soul.

( “ 友人の写真集 ” から)
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あさがお

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秋の朝を迎えて、朝顔も秋桜も、その陽を受けて輝いています。きっと新しい期待と新しい命とを喜んでいるのでしょう。盛りの頃に比べて、朝顔の咲く数は少なくなりましたが、それでも今朝は11輪もが、グロリーの花弁で、ほめたたえている様です。好い一週をお過ごしください。
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戦後史の中で、驚いたことは、「あさま山荘事件」でした。『ここまでやるか!』、人としての限界を超えて、思想や主義主張のために、人が、これほど残忍になれるのかと思い、同世代の暴挙に驚いたのです。集団の持っている怖さは、ドイツのナチスのしたことで、人は学んだのですが,〈集団心理〉が煽られると、良心とか平常心が麻痺するのか、消えてしまうのか、悲惨な結果を残します。

これは、1972年2月19日から2月20日にわたって、軽井沢にあった、河合楽器の保養所であった「あさま山荘」に、反政府集団の過激派、「連合赤軍」が、人質をとって立てこもり、警視庁機動隊と長野県警と起こした事件でした。5人の犯人が手にしていた銃は、ここ栃木県真岡市の銃砲店から強奪されたものでした。

この様な犯罪者集団は、一致することなく、内部から崩壊して行くのが常です。権力闘争とリンチや粛清が繰り返され、疑心暗鬼に陥るので、社会の変革や革命以前に、内側から壊れ、崩れて行くのです。寝布団の中から、『洟(はな)をかむティッシュを取ってくれ!』と言った仲間を、〈資本主義的行為〉と言って殺してしまったと言う話を聞いたことがあります。それ以来、私は、人にものを頼むのに、気を使う様になりました。

60年安保闘争、70年安保闘争の中で、学生運動が過激化し、主導権争いをして、結局、このあさま山荘事件の後には、この種の革命運動は弱体化し、沈静化てしまいました。いまだに実行犯は指名手配中なのです。

1970年の2月だったでしょうか、ある学校から招聘されて、教師に採用されることになり、卒業証明書と成績証明書が必要になったのです。それで卒業した学校の学事課に行ったことがありました。都電通りから入った正門が、バラ線で巻かれていて、30センチほど空いていた正門をくぐった時、とても悲しい思いをしたのを覚えています。自分の麗しい過去が、トゲトゲの鉄条網で縛り付けられた様に感じたからです。

穏健な雰囲気を校風にした母校も、学生運動の火の粉を被って、殺伐とされていたのです。何も生み出さない暴力によっては、解決はきません。たとえ暴力で、彼らの目的が達成されても、やがて、〈時〉が来ると、同じ暴力で打ち壊されるのが常なのです。心の中に平和がない限り、平和は向こうからはやって来ません。

(浅間山です)
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乾いたパン

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戦後史の中で、驚いたことの一つは、「ベルリンの壁の崩壊」でした。〈寝耳に水〉と言うほどの出来事だったのです。欧州戦争が終わったあと、ドイツは、1949年5月に東西に分割され、ベルリンも西と東に分けられ、ソヴィエトとアメリカとの統治が始まりました。一国が分断されると言うことは悲劇でした。同じ様に、朝鮮戦争も38度線を境に、南北に分断され、ソヴィエトとアメリカの二大勢力の支配下に置かれたのです。

中国も中華人民共和国と中華民国とに分断され、日本も南北分断の危機があったのですが、それを免れたわけです。そう言った戦後史の中、突然(もちろんそこに至る予兆や前触れはあったのですが)、1989年11月9日に、ベルリンの壁が崩壊したと言うニュースを聞いて、驚かされたのです。

壁によじ登った市民たちの手にあるツルハシが、壁をうち砕いている映像が、テレビに映し出されたのです。これを契機に、東ヨーロッパ諸国が共産党支配から、連鎖反応の様にして抜け出して行ったのです。ルーマニヤのチャウセスク独裁政権が終わって、この夫婦の死体が、テレビで放映されていたのには、驚かされたてしまいました。
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歴史の出来事には、《定められた時》があるかの様です。その《時》が来ると、怒涛の様な渦の中で大きな変革がもたらされるのです。現在も、国際紛争が、あちらこちらにあります。民族と民族の戦いも、一向に止みません。〈いけない〉と分かりながらも、振り上げた手を下ろそうとしない、積年の遺恨が双方にあって、蒸し返してきています。

《世界平和》が、絵に描いた餅の様に、空虚な叫び声が、上がっては消えて行くのです。一番の懸念は、〈愛の冷却現象〉です。夫婦、親子、親族近親、友人関係が、利害関係の損得が大きな部分を占めて、犠牲とか我慢とかが消えてしまっています。憎悪や遺恨が心を一杯にさせ、愛が冷えてしまっているのです。そう言った人たちが、街にも国にも溢れています。

本来の愛は、大水をもってでも消せないはずなのに、冷却から抹消、暴力や殺人になってしまっています。動物は生きるために狩りをしますが、それ以上には至りません。「殺してはならない」と言う不文律を犯して、それが人類に入り込んだ日から、どれほどの血が流されてきているでしょうか。禁止の一線を超えてしまってから、土地は人の地を吸って、血が叫び続けています。

安心して帰って行ける家庭の回復を、子どもにも、大人にも、その必要が迫られています。私の愛読書に、

「一切れのかわいたパンがあって、平和であるのは、ごちそうと争いに満ちた家にまさる。」

とあります。一切れの乾いたパンを分け合って食べる家族関係の回復です。お腹が満腹にならなくても、心が、《思いやり》や《同情》や《優しさ》で溢れていた方が、人は幸せなのです。これは《原理》です。家も地域も街も国家も、肥え太って憎しむよりも、大切なものがあるからです。

霜降りの牛肉を、お腹いっぱい食べるよりも、優ったことに目を向けて行くなら、「平和」は来ます。必ず来ます。一人、一軒、一国でいいから、そこから始めたらいいのです。そして《今》始めたらいいのです。冷却や憎悪の壁を、ツルハシで砕くのです。

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雨蛙

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ハイビスカスの花びらと鉢の淵に、雨蛙がのっていて、居心地が好さそうです。どこを住処にしているのか、朝になると、もしかすると夜通し、花のそばにいるのでしょうか。何を食べているのかも、ちょっと気になります。

百日草の花をアップして撮ってみました。実に忠実に咲き続けています。もう咲き始めてから、100日になるでしょうか。朝顔は、「花の命は短くて」の晩期を迎えています。好く咲き継いでくれました。
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筍には、「孟宗竹(もうそうだけ)」とか「淡竹(はちく)」とか「真竹(まだけ)」とかの種類があります。春先に、八百屋の店頭に並んで、私たち日本人が食用にしてきたのは、「孟宗竹」です。春の味覚でしょうか、八百屋さんから買って帰って、米のとぎ汁で茹でると、えぐみが取れて、薄醤油で鰹節の出汁で、母がよく煮てくれました。

「淡竹」というのは、真竹が出回ってから、しばらくして採れる筍です。中国の華南は、竹林が、そこかしこにあって、春先になると、芽を出す筍を、私たち日本人と同じように食用にします。珍しいのは、「干笋gunsun /乾燥筍」です。前の家の大家さんは、私たちの街から4時間ほどの地方の出身で、毎年、ふるさとから送ってくるそうで、調理がなかなか難しいのですが、その干笋を毎年頂くのでした。

竹とか筍と言えば、「破竹の勢い」と言う言葉があります。その意味を、“ 大辞林 ” には、『〔北史 周高祖紀〕竹は一節を割ればあとは一直線に割れることから、物事の勢いが激しく、とどめることができないさまをいう。 「 -で勝ち進む」』とあります。

また『若竹の様にのびのびと育つ!』と、ずんずん背が伸び、心が広げられる様子を表現したりします。病院の待合室で座って待っていると、診療科にもよりますが、〈内科〉での一番多い年齢層は、私たちと同世代の年配者です。罹病率が年齢とともに高くなるからでしょうか。そこで〈人間観察〉をしていると、50、60、70年も前には、『この方は、「若竹」の様にしなやかで、「破竹の勢い」の年月があったのだろう!』と思ってしまうのです。

かく言う私も、青年期には、10キロを走っても、なんでもない顔をしていたのに、今では、バスに乗ろうとして、5mも走るると、ゼイゼイしてしまっています。『青年老い易く!』、まさにその如くの今です。

長持ちするフィラメントを作るため、さまざまな素材をためしていたエジソンの元に、ある時、中国土産の「扇子」が届きました。竹製だったのです。閃いたエジソンが、その竹で、「フィラメント」を作りました。すると、200時間も光り続ける白熱電球ができあがったのです。
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色々な竹を手に入れては、実験を重ねて、ついに、日本の京都の石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)に生えていた「八幡竹」を手に入れてフィラメントを作ると、1200時間もの間、灯り続けたのです。そのフィラメントによって、白熱電球が実用化されます。

破竹の勢いにはほど遠く、弛みない努力と実験の結果、エジソンは、夜の暗闇を明るくする白熱電球を発明したのです。今では、LEDの電球が発明されて、驚くほどの寿命を持ったものが誕生しています。

また、気っ風の良さをいうのでしょうか、「竹を割ったよう(竹が真っ直ぐに割れることから)」なと言います。気性がまっすぐなこと。素直で、悪いことのできない性格のたとえ。「唐竹を割った様な」とも言う様です。そんな気っ風は、節(ふし)だらけの自分の憧れでもあったのですが。

(京都の「八幡竹」の竹林、エジソンの竹の炭素電球です)
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