アリランの歌

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 朝鮮民族の望郷の歌である「アリランの歌」を、目を閉じた父が懐かしそうに歌っているのを何度も聞いたことがあります。戦前、京城に住んで、仕事をしていたことがあった若き日の父には、かの地での出来事を思い起こさせる歌だったのでしょう。ところが、この歌の替え歌を、上の兄が歌っていたことがありました。悪意からではなかったのですが。それは朝鮮半島から、仕事の機会を得るためにやってきた労働者を侮辱した歌詞でした。運動部の仲間から教えられて、そうしていたのです。

 なぜ日本人は、隣国の朝鮮半島や大陸のみなさんを侮辱するのでしょうか。インスタント・カメラのことを「バカ○○○カメラ」と言うのですが、『バカでも○○○でも写せるカメラ!』との意味なのですが、多くの人は知らないで、このことばを使っています。侮蔑用語ですから、決して使ってはいけません。

 記録を残すための文字が無い、着る物も持たないで裸、食べ物を栽培する術も知らなく空腹だった我々の祖先に、文字も、糸をつむいで織って布を作る技術も、穀物や蔬菜の栽培法も、錬金術も、みんな教えてくださった人たちの祖国の方々なのにです。しかも、多くの方々は日本に帰化したのです。ですから、私たちの体には、朝鮮民族や中華民族の血が、色濃く流れているに違いありません。私たち日本人が「純血種」だと言うのは、民族的にはありえません。能力も容姿も肌の色もまったく変わりがありませんし、若い女性がはにかむ様子は全く同じです。もちろん能力も資質もですが。

 それなのに豊臣秀吉は、「朝鮮征伐」と銘打って朝鮮半島に派兵して、この国を蹂躙しました。まったくの暴挙でした。また日清戦争に勝ったと錯覚して以来、この中国の資源や市場を奪おうと、軍隊を駐屯させ、物資の運送の鉄路を敷き、工場を建設し、石炭やさまざまの資源を略取し、ついには戦争までしでかしたのです。東南アジアも同じようにされたのではなかったでしょうか。

 私たちの愛唱する演歌だって、その始まりは、大陸や朝鮮半島にあると言われています。いつでしたか、私たちの町にある大学の大学院に留学していた方が、「北国の春」を、きれいな中国語で歌ってくださったことがあります。これは逆輸入でしたが、悪びれずに喜んで聴かせてくれたのです。謙遜にも日本人教師から工学を学び、流行歌も覚えてくださり、冷ややかな目を向ける人たちの目も気にしないで、何年も学んで学位を得て、帰国された方でした。この方とは、まだ交信が続いております。

 東アジアの諸国は、すべての事々のルーツを共有しているに違いありません。昨晩、韓国人の若い女性の個人的な家庭背景の話を聞きました。女に生まれたばかりに、つらく暗い子供時代、思春期、青年期を生きてきたのです。彼女の祖父母が「男の子」の誕生を期待していたのに、そうでなかったからです。『生まれてこなければよかった!』と、男装して生きてきた彼女だったそうです。しかし今は、自分の心の傷が癒され、その祖父母でさえも赦しておられます。自分が綺麗な女性に生まれたことをしっかりと受け止め、感謝して生きてると言っておられました。このようなことは、日本にも昔、あったような話ではないでしょうか。

 いま、困難な関係の中にありますが、それぞれの民族の出自を思い返しながら、そこにある共通項を確認し合いなが、明日に向かって共に歩んでいこうではありませんか。互いを受け入れ合うことが可能だと信じるからです。

(写真上は、「アリランの歌」のレコード盤、下は、1926年に公開された映画「アリラン」のポスターです)

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