この写真は、広島県庄原市・国営備北丘陵公園で、[HP/里山を歩こう]が、小学生の総合学習(自然観察教室でしょうか)の講師で出かけられ、そこで撮影されたものを、配信してくださったのです。今では、挙式の前に、花嫁を、プロのカメラマンがいない様に見受けられるので、友人たちによって、撮影がなされているのでしょうか。庄原市での慣例なのでしょうか。花婿の姿が、ここには写り込んでいませんが、花嫁だけなのでしょうか。
この私たちの住む街でも、結婚式が挙げられる前に、省内や市内の名所旧跡を、プロの写真家、着付け係、案内人が、二人を車で移動しながら撮影し、ものすごく豪華な写真集を作るのです。芸能人の写真集の様な私家版です。それが結婚式の一部なのでしょうか。そう言った流行りなのでしょうか。どなたも、それをするのです。写真集をいただいたことがありませんから、親族やご本人たちの記念なのでしょう。
これを「前撮り」という様です。花嫁にとっては人生の《若き日の盛り》のもっとも綺麗な時の記念となるのでしょうね。水を差す様ですが、あんなに綺麗だったのに、歳をとると、美貌が外面ではなく、内面に移って行くのでしょうか。跳ねる様に美しかったオードリーヌ・ヘップバーンの晩年の写真を見た時に、その落差の大きさに驚いたことがありました。彼女は、そんな美貌の衰えた自分を恥じることなく、晩年を生きた女性で、素晴らしいなと思ったのです。やっぱり、女性の美しさとは、内面なのでしょうか。
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人はやはり内面が大事と考えます。若い時の美しさも老いればやがて衰えます。そして、死を迎えあの世に旅立つのです。そして、生まれ変わりして、魂の修行の道を永遠に歩んでいくのだと思います。その途中で、この世に生きた証を銀河の流れと友情の深さをダブらせて描いた『銀漢の賦』は着想の面白さで、私は葉室麟の時代劇作家としての力量の凄さを改めて知りました。そんな彼がこの日本に生まれ合わせた幸せを私は感謝したいものです。ありがとう、日本。ありがとう、武士道。ありがとう、漢詩。そして、ありがとうこの世です。地球がいつまでも美しい星であってほしいと願います。