誤解

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 「人間万事塞翁が馬」、飼っていた馬が死んでしまって、その代わりに駿馬を、老人が手に入れるのです。ところが、息子がこの馬に乗っていて、落馬して足を悪くしてしまう不幸に見舞われます。ところが戦争が起きてた時に、足が不自由になってしまったが故に、兵役につかずにすんだのです。この中国に伝わる諺が誕生した由来です。

 悲嘆に暮れるような不運が、いつかは幸運に変わるものなのでしょう。「カス」で素行の悪い息子だって、鷹揚な親の養育の中で、ありのままで、精一杯育て上げたら、立派な大人にもなれる、「子はカスがいい」と育てた母親は、その子から、やがて慰められるのです。

 家内がよく言っていたのですが、『どんな愚かで、悪い親でも、その親に育てられる方が、立派な赤の他人に育ててられるよりもよいのです!』とです。私は、子育ての最中に、『親は親なるが故に親として遇する!』という格言を知って、親は神さまが、その子に与えたのであるから、どんな愚かで、無教養の親でも、親であるから、親として受け入れ、感謝し、尊敬するようにと教えられて、親の欠点だけ見て非難するのではなく、親であるが故に、親として受け入れ、敬意を表すべきだと理解したのです。親の恩は、忘れてはならないのです。

 良い指導者に恵まれた人が、優秀な人材になって、自分の努力ではなく、親や指導者の忍耐で、有為の人間になり、本人も、お母さんや教師のお陰だと感謝したことでしょうか。と言うのは、いつだったか、ある家庭雑誌を読んでいました時に、ひとりのお母さんの勘違い、誤解だったのを、横道に逸れた息子の可能性を信じ、立派に立ち直らせたと言う話を読んだことがありました。

 このお母さんは、『子はカスがいい!』と聞いて、そう信じ切って、どうにも手のつけられない〈カス〉のような素行不良の子を、ありのままで受け入れて、立派に育て上げたのです。学業も素行もよくないわが子を諦めないで、捨てもしないで、育てたお母さんの〈勘違い〉を、実に微笑ましく読んだことでした。

 生意気で、不純物だらけの〈滓(かす)〉のような私を、父も母も諦めないで育て上げてくれたことを思い返して、子どもの頃を振り返ると、親の温情への感謝が想い出されて、感謝が涙と一緒に、胸の奥からあふれてきそうです。何度も学校に呼び出されて、いろいろ注意を受けても、母は悲観しなかったのでしょう。退学処分を受けず、いつの間にか、上の学校にも進学し、学校の教師にまでになり、四人の子の父親になった私は、不思議でなりません。

 「子は鎹(かすがい)」と言う言葉の誤解だったわけです。夫婦を繋ぎ止める子どもの役割について、そう言う様です。木造建築で、持ちられる「鎹」の様に、お父さんとお母さんの危機的な状態を、繋ぎ止める「鎹」の役割を、子が担っているのです。

(”フォトライブラリー“の「鎹」です)

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