望みを繋いで今を

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 高校2年の修学旅行には、北海道に出かけました。青函連絡船で、青森から函館に渡り、旭川の層雲峡や根室港、オホーツクの海や国後島を眺めたでしょうか。アイヌのみなさんの住宅地を訪ね、熊の彫り物も家族への土産に買ったのです。函館近郊のトラピスと修道院のバター飴やチーズ飴が美味しかったのも思い出します。生まれた年に生まれた昭和新山の山容を見て、同じ16年を納得した時でもありました。

 下の兄が生まれた年に、日米が開戦し、その戦争は拡大化して、さらには泥沼化していきました。引くに引かれぬ時代でしょうか、アメリカ軍の猛攻は太平洋で拡大していましたし、中国大陸では戦線が広がりに広がって、兵士への物資の補給もままならなかった頃でした。

 その様な、終戦間近な年に生まれ、同じ時代の風に吹かれ、同じ時代の出来事に驚かされた同年世代の動向は、やはり気になります。戦時下に生まれた同級生の名前に、征夫(まさお)、勝利(かつとし)、益荒男(ますらお)、武士(たけし)がありました。良い兵士になること、戦いに勝つこと、そんな願いを込めて、生まれてきた子に、あの時代の親御さんが名をつけていた世代だったのです。

 私の生まれた頃には、米軍機による本土攻撃がなされ、空爆で、いくつもの都市が焼かれ始めていました。父は、山奥で、爆撃機の防弾ガラスの原料の石英の掘削に追われていた頃です。多くの同級生のお父さんたちは、背嚢を担ぎ、銃を肩にかけ、ゲートルを足に巻き、軍靴を履き、密林や泥沼の戦場を進んだのです。

 終戦の前年は、もう負け戦の連続で、戦地は惨憺たる様相を呈していたのです。生まれた翌年、広島と長崎に原子爆弾が投下され、夥しい人々がその災禍にあわれました。何度も、記事に書きましたが、同級生の中には、お父さんのいない家庭の子が何人も、どの学年にもいたのです。

 父親がいて育った子も、父を戦争で失うと言う特別な時代背景で、父を亡くしてしまった子と様々です。そんな戦争のない平和の時代、敗戦の中から立ち上がった時代、物の豊かな時代、価値観が大きく変わっていく時代、新たなる社会や家庭の中に複雑な問題を生み出していく時代に育ったわけです。

 そんな同時代に生まれた同級世代の中で、同じ様な背景にあって、有名無名の違いはあるのですが、野球界や蹴球界や芸能界などの脚光を浴びる表舞台で活躍した同級生たちが、亡くなっていくことが、昨今多くなっています。今日も、その一人が亡くなったとのニュースを聞きました。

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 釜本茂邦、京都で生まれています。京都府立山城高校出身で、サッカー部でインターハイで優勝し、早稲田大学第二商学部に進学し、関東大学選手権で活躍し、日本代表選手して、1968年のメキシコ・オリンピック第3位のスタメンでした。名ストライカーとして活躍した人だったのです。日本サッカー会副会長、参議院議員を歴任しています。2025年8月10日、今日、81才肺炎で亡くなっています。

 倍賞明、東京で生まれています。女優の倍賞千恵子の弟でした。日大第三高校野球部で一塁手でした。甲子園の春の選抜、夏の選手権で、それぞれ準優勝したのです。日本大学に進学し、東都大学選手権で優勝、全日本大学選手権でも優勝を記録しています。社会人野球で活躍した、指導者でもありました。2019年1月に、前立腺ガンで74歳で病死しています。

 この二人は有名で、自分も知っていました。ハンドボールで頑張ろうと思った時期が、自分にもありましたが、母の入院11ヶ月で、3年の5〜6月頃に、部活を断念しなければなりませんでいた。兄たちは就職して家には不在で、中学生の弟がいました。父一人に任せて置けなかったのです。帰宅して、母の着替えの下着や食べ物を届けたりする務めがあったのです。インターハイや国体への参加と制覇を目指しながら、それを果たせませんでした。野球やサッカーに比べると、マイナーな運動部でしたが、それなりの目標はあったのです。やむを得ず、そうしたわけです。

 また、渡瀬恒彦は、島根県安来市で生まれ、兵庫県淡路島で育っています。三田学園で中高6年間、兄の渡哲也と同時期に寮生活をしたそうです。早稲田大学に進学し、電通に就職しています。兄が俳優になった影響で、この人も俳優の道に進みます。この人と顔が似ていると言われたことがあり、若い頃の彼のスチール写真を見ますと、自分でも似てると思うほどでした。50才の頃に脳梗塞を起こし、70過ぎに胆嚢がんにかかっています。2017年3月に、72才で病を重くして亡くなりました。

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 この様に、同学年の逝去の知らせは、自分の時も、そう遠くなくやってくるのだと、改めて思わされているのです。『私たちの齢は七十年。健やかであっても八十年。しかも、その誇りとするところは労苦とわざわいです。それは早く過ぎ去り、私たちも飛び去るのです。(新改訳聖書 詩篇90篇10節』とあります。自分も飛び去る備えをしているこの頃です。

 心騒ぐことなく、その時を迎えたいなと、また思わされています。25才が、自分の人生のTurning point となっていたでしょうか。永生の望みの中に、自分があるのだと信じられての今です。望みを、主なるイエスさまに繋ぐことができ、感謝して、その時を迎えたいものだと、心の中に決めているのです。

(今朝咲いた「朝顔」、近所に咲く「ノウゼンカズラ」、「ある信徒」さんのイラストです)

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