親族の絆の強さを感じて

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 精神科医であった土居健郎が、1971年に「甘えの構造」という本を書いて、ベストセラーになりました。日本人の心理的な本質に、「甘え」が存在するということで、もっと自分を知りたくて、この本を私も買い求めました。

 アメリカ人の宣教師さんと8年ほど、地方都市で過ごして、この方から聖書や教えを学んだのです。その8年は、この方にとって、この私は、すこぶる手を焼かせたに違いありません。きっと私の言動に、不可解さを覚えたに違いないのです。それでも忍耐されて、宣教と弟子の養成に励んでくださいました。

 街の中心に、ハンバーグ店があって、彼は、よくそこのテーブルに座って、幸せそうに、それを食べていたのです。その丸型パンに、薄切りトマトと玉ねぎとレタスを重ね、ドレッシングをかけたバンバーグのサンドイッチは、アメリカ人にとっての国民食であり、ふるさとの味であり、幼い日から食べ慣れたスナックだったのです。そっと家を抜け出して、食べている姿を、何度か見かけたのです。

 とくに身近に接している私は、不可解な相手だったに違いないのです。2年ごとにアメリカに帰られて、数ヶ月後に、日本に帰って来られると、肥っておられたではありませんか。その帰りの飛行機が羽田の上空に来ると、そして空港に降り立つと、なんとも言えない重圧感が感じられのだ、と彼が言われたことがありました。

 きっと、それは厄介で不可解な私との再会があったので、そんな重い気分になったのかも知れません。そればかりではなく、この方の家族が住んだのは、地方都市で、けっこう伝統的で山にめぐりを囲まれる、ややっこしい「しきたり」があったのです。とくに珍しい外国人には、表面的には親切なのですけど、複雑さがあったようです。

 ヤンキー・スピリットで押し通せると良かったのですが、繊細な心の持ち主でしたから、日本人に対して、その人間理解は大変だったと思うのです。今回、ハワイを訪ねて、1ヶ月ほど生活をしましたが、ダニエル・イノウエ国際空港に着いても、街中を通っても、空気の軽さを感じたのです。天気は良く、吹く風は心地よく、食べ物も美味しく感じたからです。

 ところが羽田に帰って来ましたら、スーツケスが一つ見当たらないではありませんか。JALの航空便手荷物係の方が、手持ちのタブレットで調べたり、スマホで連絡をとってくださったのですが、いっこうに不明のままでした。見つかり次第連絡を差し上げる、とのことで、出迎えてくれた息子とやっと会えたのです。けっきょく日曜日に宅配されてきて一件落着でした。

 便利さの中にも、人間のする行動や判断に限界があって、デジタル化やAI時代になっても、ストレスになることは増えこそすれど、減ることはなさそうです。人間が関わりますし、民族風習が違うといったえ難しさがあります。便利さが増しても、煩雑さや不可解さは残ることになります。で、空気が重く感じられてしまうのでしょうか。

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 「甘えの構造」は、日本人の精神構造の中にある独特で、根本的な点を指摘しています。人の悩みや孤独感の根底にあるのが、「甘え」なのだそうです。日本人には、特有な心理構造があって、それとは対照的な西洋人には、その心理の中に、常に「神」が必要とされる点と比較されて、著者は書き進めていたのでしょう。

 心理学には「自我境界」という言葉があるようです。自分と相手との間に、「境界線」があるからです。西洋社会では、この境界線を早期に確立し、自立した「個」として生きることが教育を通して学ばれてきています。しかし、日本人の心理の中には、「曖昧さ」が残るのです。相手への期待が大きくて、話さないでも分かっくれる、と言う思いが強いと言われます。行き過ぎた期待感があって、それが裏切られると、すぐに傷ついてしまうわけです。

 これが「甘え」なのでしょうか。だれもが思い当たることが多そうです。日本社会に起こる問題は、この辺のことが原因として多いのでしょう。期待過剰で、そうしてもらえないと、すぐに傷ついてしまって、だから人間不信に陥り、関係作りが下手なのではないでしょうか。一緒に、団体で行動したいのが私たちで、そうしてくれない者には、冷たく接してしまいます。

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 「絶対神」を持っている西欧人と、八百万の神の下にある日本人の精神行動との違いなのかも知れません。いつだったか、例のバンバーグ店で売っている、アップルパイを、その宣教師さんに預かって欲しいと頼まれたのです。冷蔵機が故障して、冷凍庫のパイが溶けてしまうので預かったのでしょう。ところが、それを勘違いして、頂いたと思って、私は食べてしまったのです。新しい大型の冷蔵庫が届いたのでしょう、パイを返してもらいに宣教師さんが来られたのです。

 「預けた」宣教師さんと、「頂いた」私と家族の思いの違いで、そんなチグハグさの一件が懐かしく思い出されます。相手への期待の違いが、そうしたことを生んだのでしょう。彼は苦笑いをして帰って行きました。そう言えば55年の結婚生活、子育て時代の年月は、家族間に、そんな期待感と裏切られる経験との連続だったのかも知れません。それでも相手を知り、赦せた年月だったのでしょうか。

 この土曜日にブラジルから、家内の兄の子、甥夫妻がやって来られ、芝公園のレストランで会食があって同席しました。そこに来ていたのは、家内の従兄弟、家内の兄嫁とその家族、私たち夫婦と二人の息子でした。美味しいご馳走と、話の盛り上がりで実に楽しい夕べでした。

 父(家内の兄)から聞いたブラジルへの移民の経緯、父の子育や3人の兄弟姉妹たちのこと。4才の時に横浜でブラジルに行く彼のお父さんを見送った父の従兄弟の思い出話。そのお父さんの弟の嫁と息子家族の話。そのお父さんの妹(家内です)の思い出話と家内が二人の娘を連れて、ブラジルを訪問した時の思い出話。15才で叔父を訪ねた長男の思い出話。幼かった次男は叔父の子とビジネスの話をしていました。大きなテーブルを囲んで、隣同士だけでなく、みんなが交わりに参加していました。

 そのやりとりをを聞きながら、日系移民の子としてブラジル人として育てられ、ビジネスに励む彼とヨーロッパ系の夫人とに、文化や精神性をこえた「親族の近さ(姻族の夫人も含めて)」を強く感じたのです。ブラジルで教育を受け、ブラジル人として60年間生きながら、日本人のmentalityを受け継いでいるのは、「血」なのでしょうか。内も外もない、垣根を越えた近さは、なんなのでしょうか。「甘え」が、素敵に作用しながら、良い関係を見せていたのでしょうか。どうも「甘え」は悪者ではない一面を持っているに違いありません。

(ウイキペディアの移民募集ポスター、甘い蜂蜜、ブラジルの位置図です)

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