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“ Memories of departed days ”は、「懐かし去りにし日々」といって言いのでしょうか。耳なのか心の奥なのか、日本中を折檻したかのような、アメリカンな音楽のこだまが聞こえてきて、歌い出しの部分が、鳴り響く時があります。あの頃の賑やかさは、昭和文化そのものなのでしょう。
1950年台の終わりころからでしょう、コニー・フランシスが、「Pretty little girl(可愛いベイビー)」、「Vacation(ヴァケーション)」、ニール・セダカが、「oh !Carol(おお!キャロル)」、「Calendar girl(カレンダー・ガール)」、「Happy birth day sixteen(すてきな16才)」、「One way ticket(恋の片道切符)」、またポール・アンカが「oh!Diana」、「You are my Destiny(君は我が運命)」などを歌って、ラジオやテレビから、しっきりなしで聞きえてきたのです。
ちょうど中学から高校時代でしたから、いっぺんに日本の若者を虜にしたのです。アメリカで大流行したポップ・ミュージックの波が、日本に上陸して、多くの若い歌手が翻訳版の和製のポップスを歌い、一時代を作り出しました。やがて名作曲家になる平尾昌晃が、女の子の名で、「ミヨちゃん」を歌ったのも、その流れだったのではないかなあと思っています。運動部の先輩が、当時、この替え歌を歌っていたのです。
映画ばかりではなく、音楽の世界の流行の波は、日本ばかりではなく、アジアもヨーロッパもアフリカも、大かぶりした時代でした。家内は、そう言った流行に疎かったのだそうですが、お兄さんやお姉さんたちが夢中になっていたそうで、自分が歌ってみると、聞き覚えがあると言っていました。
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今年2月、そのニール・セダカが亡くなっていたのを、最近、知りました。金星のように輝いていたスターも、人生の一幕を下ろしたのです。音楽業界が、生き残るために、流行を作るのでしょう。日本中で電子ギターが鳴り響いた時期もありました。「Rockabilly(ロカビリー)」で、野球小僧のすぐ上の兄も、新宿のABCだかACBと言った喫茶店に出入りしていた時期があったようです。
日劇(日本劇場)が、有楽町にあって、日本中に若者を集めて賑やかだったのを覚えています。スターもステージも劇場も消えてしまうのは、じつに寂しいものです。自分の子どもたちの時代は、グループ・サウンズで、少年たちが5、6人、舞台の上で踊り走りまくっていた時代がありました。その後発で、女子組が何十と言うほど作られていました。
問題を起こしたり、解散したりで、その流行も終わっていったのです。何だか大人たちのお金儲けに利用されていたのではないでしょうか。いつの世も同じなのでしょう、マグマのような動きが世界中を占領し、沈静化していく、そのことの繰り返しです。
スターたちが亡くなっていくニュースは、青春が霧のように消えていくように感じてしまうのですが、どの時代にもスターや、英雄が必要なのでしょうか。自分が果たし得なかった夢を、目に見せてくれて、その代替の活躍で満足するの
でしょう。きっと、夢中になって白球を追い、投げ、打った野球小僧たちが、Los Angeles Dodgersで、大谷翔平が夢を叶えてくれてると思うに違いありません。
(“ウイキペディア”のセダカ、セダカの出身のブルックリンの区の花のレンギョウです)
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