甲府盆地には、桃の花が似合う

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 『七月になったのに涼しいんだけど!』と言ったら、『歳をとってきたんだから、ちゃんと暑さ対策をしてね!』と言われてしまいました。例年になく梅雨の雨が多くて、汗だくになっていてもおかしくないのに、そう感じないのは、自分たちだけかと思っているこの頃です。

 昨夕、故郷から、桃が送られて来ました。律儀な弟からの贈り物です。春先、桜の花が咲いて間も無く、桃の花が桃園に咲き始めると、甲府盆地は、まるで桃色の絨毯を引き詰めたような圧倒される光景を、見ることができるのです。御坂名物の絶景です。甲府に居を構えた太宰治が、「富嶽百景」を書き残しています。その一節です。

「河口局から郵便物を受け取り、またバスにゆられて峠の茶屋に引返す途中、私のすぐとなりに、濃い茶色の被布(ひふ)を着た青白い端正の顔の、六十歳くらゐ、私の母とよく似た老婆がしやんと坐つてゐて、女車掌が、思ひ出したやうに、みなさん、けふは富士がよく見えますね、と説明ともつかず、また自分ひとりの咏嘆(えいたん)ともつかぬ言葉を、突然言ひ出して、リュックサックしよつた若いサラリイマンや、大きい日本髪ゆつて、口もとを大事にハンケチでおほひかくし、絹物まとつた芸者風の女など、からだをねぢ曲げ、一せいに車窓から首を出して、いまさらのごとく、その変哲もない三角の山を眺めては、やあ、とか、まあ、とか間抜けた嘆声を発して、車内はひとしきり、ざわめいた。けれども、私のとなりの御隠居は、胸に深い憂悶(いうもん)でもあるのか、他の遊覧客とちがつて、富士には一瞥(いちべつ)も与へず、かへつて富士と反対側の、山路に沿つた断崖をじつと見つめて、私にはその様が、からだがしびれるほど快く感ぜられ、私もまた、富士なんか、あんな俗な山、見度くもないといふ、高尚な虚無の心を、その老婆に見せてやりたく思つて、あなたのお苦しみ、わびしさ、みなよくわかる、と頼まれもせぬのに、共鳴の素振りを見せてあげたく、老婆に甘えかかるやうに、そつとすり寄つて、老婆とおなじ姿勢で、ぼんやり崖の方を、眺めてやつた。

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 老婆も何かしら、私に安心してゐたところがあつたのだらう、ぼんやりひとこと、

「おや、月見草。」

 さう言つて、細い指でもつて、路傍の一箇所をゆびさした。さつと、バスは過ぎてゆき、私の目には、いま、ちらとひとめ見た黄金色の月見草の花ひとつ、花弁もあざやかに消えず残つた。

 三七七八米の富士の山と、立派に相対峙(あひたいぢ)し、みぢんもゆるがず、なんと言ふのか、金剛力草とでも言ひたいくらゐ、けなげにすつくと立つてゐたあの月見草は、よかつた。富士には、月見草がよく似合ふ。」

 バスの車窓から、道の端に咲く月見草を見て、老婆ならずも、富士山に似合うのは、どうも月見草らしいのです。ところが令和の世になって、郡内の河口湖から御坂道を辿って、山道を抜けて、甲府盆地が広がって、目の間に広がるのは、果物王国の一宮の桃畑です。その一面に広がる絨毯の花園は圧巻でした。甲府盆地には、桃の花が似合ふ!

 秋の葡萄、初夏の桃、広州名産の果物ですが、葡萄の花は目立ちませんが、桃の花は艶やかで、圧倒的なのです。丹精して養い育てた桃の木に、この花が咲くと、お百姓さんは「受粉作業」をするのです。それはたいへんな作業で、蜜蜂の自然受粉では間に合わないのでしょう。

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 実った瑞々しい桃の果実が、美味しそうな匂いを放って、箱を開けると部屋に満ち溢れているのです。ちょっと硬めの果肉は、実に美味しいのです。まだ小学校に上がらず、元気だった私は、甲府の街に連れ出してくれた父と、乗合バスに乗って帰宅しいました。バス停で降りた辺に、茶店があって、桃が売られていて、『準、喰ってくか!』と言った父と、店の椅子に座って食べたのが、この季節の桃でした。二、三個食べたでしょうか、それで、お腹を下した私を見て、父が母に叱られていたのを思い出します。

 今年の初桃を食べましたが、秋口には葡萄の最盛期になります。今のように大粒の改良種のなかった時代、デラという種類の小粒の葡萄も、実に美味しいかったのです。戦国の雄、武田信玄も食べたといわくつきの「甲州ぶどう」は、他県では出回らないのですが、独特に美味しいのです。父の友人から、父宛に、木箱に入った、このブドウが、毎秋に送られて来ました。美味しかったのです!

(“ウイキペディア”の桃の花、御坂峠から富士を望む錦絵です)

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