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作詞が武島羽衣、作曲が田中穂積の「美しき天然」、哀調のメロディーで、ちょっと悲しくなる哀調のメロディー、ワルツ調の歌ですが、美しい日本の自然を謳い上げていて素晴らしい詩です。
1 空にさえずる 鳥の声
峯より落つる 滝の音
大波小波 鞺鞳(とうとう)と
響き絶えせぬ 海の音
聞けや人々 面白き
此(こ)の天然の 音楽を
調べ自在に 弾き給(たも)う
神の御手(おんて)の 尊しや
2 春は桜の あや衣(ごろも)
秋は紅葉の 唐錦(からにしき)
夏は涼しき 月の絹
冬は真白き 雪の布 b
見よや人々 美しき
この天然の 織物を
手際(てぎわ)見事(みごと)に 織りたもう
神のたくみの 尊しや
3 うす墨ひける 四方(よも)の山
くれない匂う 横がすみ
海辺はるかに うち続く
青松白砂(せいしょうはくさ)の 美しさ
見よや人々 たぐいなき
この天然の うつしえを
筆も及ばず かきたもう
神の力の 尊しや
4 朝(あした)に起る 雲の殿
夕べにかかる 虹の橋
晴れたる空を 見渡せば
青天井に 似たるかな
仰げ人々 珍らしき
此の天然の 建築を
かく広大に たてたもう
神の御業(みわざ)の 尊しや
一昨日は、ちょっと疲れたかなと、『エイッ!』 と決心して、小さなリュックに、タオル、石鹸、シャンプー、髭剃り、シェービングゲルを入れて、散歩に出ました。途中、同世代の自転車屋の主人と、その店頭で近況を語り合いました。家内の近況を聞いてこられたので、健康談義をしばらくしたのです。
真夏の太陽が、雲間に隠れて、灼熱の道を歩かないですんだのです。道々、季節季節の花を庭園の咲かせて、いつも目を和ませてくれたのですが、この8年ほど歩き続けているコースに、もう手の行き届かなくなっている庭が所々にあります。寄る年並みで、お年寄りが庭に出られなくなってきているのかも知れません。荒れてはいませんが、季節季節に、ていねいに咲かせていた、綺麗な花々が見られなくなっているのが物足りなくなってきています。
散歩する自分も、膝が痛くなってきて、前のようには速歩できなくなっての漫(そぞ)ろ歩きですが、まだ歩けることに感謝しての一歩一歩なのです。小学校の門のそばに菜園もありますが、春になると、そのお世話してこられたお爺さん世代もみられなくなって、ナスやピーマン、草花も見つけられません。
2019年の秋の13号台風が、巴波川を氾濫させて、洪水になった年に、知人の家で、床上浸水に被災した年に、この街に住み始めての、初めての洪水の体験でした。度々の洪水に見舞われて、その川の流れを、地下に逃げ水の隧道を作る工事が行われてきて、ほぼ終わったようです。トンネル掘削の新鋭機器を導入しての工事は、工事の起点の横道が、散歩コースでしたので、その工事を見続けてきたのです。
土木をしたいと思っていた中学生の頃を思い出し、散歩の足を止めて、何度も工事の様子を眺めてきました。もちろん隧道の中は見られませんが、工事車両の出入りが頻繁でした。使われた掘削機の大きな円形のシールドマシン、「円筒形の鋼殻(シールド)の内部で前方のかッターヘッドを回転させて土砂を削り、後方で壁面(セグメント)を組み立てながら軟弱地盤や都市部を掘進する機械。 」が、任務を果たし終えて、工事の終点近くに置かれていて、今更ながらの新鋭機に驚かされました。
さて、その温泉ですが、2005年の春に、地下1000mから湧き出した、「炭酸水素塩温泉(重曹泉)」なのだそうです。日本では「美人の湯」、「冷の湯」、またヨーロッパでは「肝臓の湯」などと呼ばれている泉質で、けっこう人気で、戦後のbaby boomer世代が7、80%でしょうか。一仕事終えた世代のみなさんが、各黙して往時を思い返している、自分がそうだからですが、そんな温泉浴に風景です。
様々に工夫を凝らした浴槽があるのですが、源泉の下のぬるい湯の大きめの湯壺が好きなのです。そこで、温泉が流れ落ちていく水音を聴くのが好きなのです。まさにボーッとして聞き入っていると、眠気に誘われるのです。その心地よさは、母親の胎にいたころの「安心感」を呼び起こすのかも知れません。
天然の音楽、織物、建築、映し絵と言ってもよいのでしょうか、水の流れや落ちていく音は、滝から落ちて来るのも雨音も、温泉の注ぎ口からから落ちてくる音も同じで、何か安心を与えられるように思えるのです。また轟々と降る雷雨も同じなのです。天然の営みの音は、創造の音楽に違いなさそうです。
です。
(真夏の散歩道に咲いていた花々、湯西川です)



