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『麗しさはいつわり。美しさはむなしい。しかし、主を恐れる女はほめたたえられる。 彼女の手でかせいだ実を彼女に与え、彼女のしたことを町囲みのうちでほめたたえよ。(箴言3章30~31節)』
教員をした時期が、短期間ですが、私にありました。その2年目に、高2と高3の学年をまたいだ「特別講座」を担当するように、教科主任に要請されたのです。それで、何を、どう教えるかも任されましたので、しばらく時間をもらって、テーマを決めたのです。
女子校でもありましたから、戦争後に強くなったのは、「ストッキング」と「女性」だと言われ続けてきていましたので、これから70年代、80年代を生きていく女子高生に、「平塚雷鳥」を取り上げて、この人を取り上げてみたかったのです。
雷鳥は、明治44年に、「青鞜社(せいとう社)」を建て上げ、婦人を読書の対象とした、婦人月刊誌「青鞜」の初刊号を発行するのです。やがて、大正デモクラシーの動きの中で、婦人たちの意識を高めていくための啓蒙活動の画期的な働きをし始めていきます。その初刊号の初めに、
『元始、女性は太陽であった!』
と書き出して、『真性の人であった。今、女性は月である。』と続けたのです。遥か昔、女性は輝いていたのに、今は自ら輝くことなくなってしまっていたからなのです。それは画期的な主張でした。『女三界に家なし。』、一生涯、父、夫、子のもとにあり続けて生きるので、そう言われていた女性でした。女性は権利を主張することなく、男に隷属するだけで、そんな立場を捨て、女性は権利や立場を獲得しなければならないとの声を、青鞜社は上げたのです。
それ以前、与謝野晶子は、歌人として世に出て、「君死にたもうなかれ」と詠んで、弟の日清戦争出征を、姉として憂えて、明治の中頃に世に出ていました。今でこそ女性に参政権が認められ、国会議員にも多くの女性が選ばれ、党首になったりしていますが、戦後の1945年12月17日に、衆議院議員選挙法が改定され、翌1946年(昭和21年)に、衆議院議員選挙が行われて、39名の女性代議士が誕生します。
雷鳥は、明治維新政府の高級官吏の子として生まれ、東京女子師範大学(現在のお茶の水女子大学です)に学んでいます。その雷鳥らの発刊した「青鞜」とは、英語の“ Bluestocking “ の邦訳で、すでにイギリスでは、そう呼ばれた女性の女性の知的交流を目的に、活動が起こっていました。その影響を受けての月刊誌の発刊だったのです。なかなか認められないままでしたが、女性の間では、活発な啓蒙運動が行われていきます。
その動きに加わったのが、慶應義塾の教授を父に生まれ、小説家の物集和(もずめ和子)がいました。途中で脱退していますので、自らには脱退者だと言っていたそうです。その他にも、何人もの賛同者がいました(写真を参照ください)。
しかし、第一次世界大戦勃発による、用紙価格の高騰、1914年の平塚の引退・出産、後の編集人になる伊藤野枝の無政府主義者の大杉栄との愛人騒動などで、「青鞜」は、1915年(大正4年)の第6号を刊行して、発刊を停止し、青鞜社も事実上解散となって行きます。
でも、そう言った声を上げたことは、新しい時代を迎える、礎石となったのは事実で、意義深かったと思われます。恋愛、結婚、心中未遂事件などがあって、それらによる非難は、男だけではなく女性たちの中からもあって、賛同を得られなく、その啓蒙活動は挫折してしまいます。
津田英学塾(現在の津田塾大学です)の学生であった、長崎出身の神近市子は、この青鞜社の働きに参加していました。戦後に台頭し、政治家として活躍した女性でした。あの大杉栄と伊藤野枝との日陰茶屋事件で、殺人未遂を犯して服役しますが、戦後、社会党の国会議員になって五期当選しています。
声を上げていく女性の社会運動の中で、恋愛問題や金銭問題が枷(かせ)となって挫折していくことが、けっこう目立つのですが、権利主張は、男女平等の精神の中で活発ですが、その限界を超えていく必要を感じます。そんなことで、学びたかったので、短期間でしたが、意識の向上と、20〜21世紀を強く生きていく女性であって欲しくて、一緒に学んだのですが、あの生徒のみなさんは、どうのように生きていっているのかが、気になります。
権利の主張は強くても、義務を生きていっているでしょうか。聖書は、
『同じように、妻たちよ。自分の夫に服従しなさい。たとい、みことばに従わない夫であっても、妻の無言のふるまいによって、神のものとされるようになるためです。 それは、あなたがたの、神を恐れかしこむ清い生き方を彼らが見るからです。 あなたがたは、髪を編んだり、金の飾りをつけたり、着物を着飾るような外面的なものでなく、 むかし神に望みを置いた敬虔な婦人たちも、このように自分を飾って、夫に従ったのです。 たとえばサラも、アブラハムを主と呼んで彼に従いました。あなたがたも、どんなことをも恐れないで善を行えば、サラの子となるのです。(1ペテロ3章1~6節)』
妻帯者だったイエスさまの弟子のペテロは、『・・・むしろ、柔和で穏やかな霊という朽ちることのないものを持つ、心の中の隠れた人がらを飾りにしなさい。これこそ、神の御前に価値あるものです。』と勧めました。内面的で霊的な必要に触れているのです。日常の義務に生きることは、つまらないことではありません。
子どもを保育所に預けて、市民活動、政治活動を活発にしていたお母さんたちは、自分の産んだ子を、「社会の子」だと言って、育児放棄をして、社会改善運動にのめり込みました。結局、ある方は恋愛問題を起こして、結婚も家庭も失う結末を迎えてしまいました。母親の務めは、つまらないものではありません。立派に、子どもたちを育て上げたお母さんは、素敵に輝いた人生を過ごしているのです。
(“ウイキペディア“の「落穂を拾うルツ」、”CS教材”の「落穂を拾うルツ」です)
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