『私はあらゆる時に主をほめたたえる。私の口には、いつも、主への賛美がある。私のたましいは主を誇る。貧しい者はそれを聞いて喜ぶ。私とともに主をほめよ。共に、御名をあがめよう。(詩篇34篇1~3節』
「凝り性」と言われる人が時たまおいでです。飽きっぽい自分とは対極にいる人です。同級生に、映画オタクがいて、とくにアメリカ映画が大好きで、封切られると、上映館に飛んで行って観るのだと言っていました。そんなに小遣いを、親からもらうのかと思って驚いていました。英語の勉強にはなったのでしょうか、歳を重ねた今も、同じように、映画専門チャンネルにアクセスしてるのでしょうか。そんなに夢中になれる彼が羨ましかったのです。
『犬を連れ、桜を愛(め)でて、寿司を食う!』、日本人の好きな物事を調査した、NHKの「放送文化研究所」の榊原一所長は、日本人を端的に、そう表現していました。2007年3月に行われた、その調査の結果は、現代の日本人の特徴を捉えているようです。動物では「犬」、木や花では「桜」、食べ物では「寿司」という答えは、男女差と年齢差のない、おしなべて日本人の総体的な好みなのだそうです。
いつでしたか、モーツアルトの作曲した楽曲が聴きたくなって、まだCD全盛期の頃に、買ったことがありました。そのタイトルは、「音楽療法のモーツアルト」だったのです。きっとあくせく日を過ごしていた頃だったので、温泉にでも行って、ゴロッとして、聴きたくなったからだったでしょう。
実はクラシック音楽は、“ジャジャジャ、ジャン!”をラジオで聴いていたからでしょうか、嫌いだったのです。朝、NHKのラジオ放送で、「名演奏家の時間」と言う番組がありました。肺炎になって入退院を繰り返していた就学前から、小学校の3年生ほどまでの間、微熱が出ては、けだるくて学校に行けなかった時に、聴いたのです。
母に連れられて病院に行かない日は、布団の中で過ごしていました。その時、ラジオから聞こえてきて記憶がはっきりしているのが、クラシック音楽だったからです。目が回って、セキが出て、ウトウトしながら聴いていたのですから、子守唄の記憶ではないのです。学校に行けない惨めさの中で聴いたからでしょうか、クラシックを聴くと病んでいた日々が思い出されたのです。
学校に行きたいのに行けないのです。給食もない時代でしたから、給食に誘われもしないのに、学校が好きでした。行けば、行ったで、『ちっとも落ち着いていないわ!』と、担任に言われるし、いたずらの度が過ぎて、廊下や校長室に立たされるのですけど、学校に行きたいのです。でも行けないのです。
怠けているようですが、天井の節目を見ていると、グルグルと目が回ってしまい、浅い眠りに誘われ、またセキがでる、そう言った繰り返しでした。もしかしたら、モーツアルトを聞いて元気にされたかったのかも知れないかな、とも思って、自分としては珍しい行動でした。でも今、改めて、このアマデウス・モーツアルトを聴きますと、本当に元気になれそうなのです。
私が一番好きなのは、JAZZなのです。これを聴いていると、心がうきうきしてくるし、明日に希望を持って生きていこうとする活力が湧き上がるようなのです。隠れジャズ・ファンだったのですが、教会に、自分の意志で行き始めた頃に、アメリカから伝道者が母教会に来られて、アメリカのカリスマ派の教会の礼拝で、賛美されている「コーラス」を紹介してくれたのです。それはJAZZ調、ハワイアン調のメロディーで、実に軽快でした。
その後、多くのコーラスは、作ろうとして作って、技巧的なものが多くなってしまっているように感じられますが、彼が紹介して、教会のみなさんが翻訳したコーラスは、きわめて単調でした。聖霊なる神さまが、与えてくださったメロディーと歌詞なのです。
そんな私の趣味を知った子どもが、Cuban JazzのCDを紹介してくれたのです。その中に、”Buena Vista Social Club chanchan“だったでしょうか。もう30年も前になってしまいました。どこかに紛れ込んでしまっている今、それでもYouTubeで聴くこくことができます。
教会の賛美で、初期のコーラスは、ジャズの影響を強く受けていたでしょうか。そのワーシップ・ソングスのCDも、買ってきてくれましたし、注文して買ったたこともあります。母教会に、平松実馬と言う伝道者がこられた時に、「人生劇場」の替え歌で賛美しているのを聞いたことがありました。驚かされましたが、素晴らしくインパクトがあったのです。
でも短調よりも長調のメロディーに、主の臨在 があふれているように感じられます。難しくなく《単調!》がいいようです。「山路越えて」の讃美歌も好きです。母教会で、英語の歌詞を、翻訳していた光景が、時々思い出されてきます。瞬く間に、多くの教会で賛美されるようになっていきました。聖書のことばにメロディーが付けられて歌われていたのです。
『正しい者たち。主にあって、喜び歌え。賛美は心の直ぐな人たちにふさわしい。(詩篇33:1)』
まだ幼なかった子どもたちと一緒に、主を愛(め)でて、賛美を歌った日々がありました。それは素晴らしい日常だったのです。次男が来ると、ウクレレで、母親と一緒に主を賛美しています。賛美の凝り性はいいものです。
(“Christian clip arts”に賛美です)
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