行合いの雲に

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 平安時代の「古今和歌集」に、次のような和歌があります。

 夏と秋と ゆきかふ空の かよひぢは かたへすずしき 風や吹くらむ

 今季の猛暑は、昨年以上の暑さが、列島を覆って、台風の襲来で、強風が吹き、大雨が、これほどまでかと思わせ、大きな被害を置き土産にして去っていきました。まだ8月、これからも台風が生まれ、列島をうかがうことが予想されます。

 それでも、昨日今日、ベランダから見上げる空は、この和歌のように、夏と秋とが、オシクラマンジュウでもしてるかに見えるのです。

 国際紛争も、内戦もなく、平穏な時代だったのでしょうか、空を見上げて、入道雲とうろこ雲がせめぎ合うように、詠み手にはうかがえたのでしょうか。移ろいゆく季節を、そう感じられる感性の持ち主、凡河内躬恒(おおあしこうちのみつね)が羨ましいのです。

 この住宅の手入れをしていない植え込みには、もう芒(すすき)の穂が、初秋の風を受けて静かに揺れています。「涼風」と言いたいのですが、まだ熱風なのです。でも季節は、確かに秋になっていて、虫も鳴きはじめています。

 それで、この季節の初秋の空を、「行合(ゆきあい)の空」と、昨日の朝のNHKの天気予報の担当の方が、そう言っていたのです。人と人とが、この人の世では行き合うのですが、季節にも、雲にも、人に出会いがあるようにあるのだと感じたのでしょう。なんとも文学的で素晴らしい言い回しです。

 心なしか、昨日今日は夏が行き、秋が来ていそうに感じられるようです。こんな季節の移ろいの日本語の表現は、実に趣があります。

 そういえば、数えきれないほどの出会いや行き合いがあったでしょうか。 そんな出会いが、幻燈のように脳裏に蘇ってまいります。多くの方は、すでに召され、思い出ばかりになっていますが、磨かれ、気付かされ、教えられてきたみなさんです。

 たしかに、願わなくても、会うは別れの始めなのです。父とは、もう少し、孝行の真似事でもしてみたかったし、社会人としてどう生きていくか、信仰者としてどう、神のみ前にあるかをみて、忠告や叱責をして欲しかったのですが、父61、自分が26の時に、死別してしまいました。父が老い始めた頃で、突然の別れでした。でも再会の望みがあります。驚き、感謝することでしょう。

(“ウイキペディア”の夏の雲の積乱雲です)

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