貯蓄

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– cartoon illustration of an ant with sack full of berries

 

 『われ太平洋の橋とならむ!』と、入学面接で語って、その夢を、国際連盟の事務次長の職を務め上げて果たしたのが、盛岡藩士の子で、札幌農学校や一高で学び、アメリカやドイツで学んだ、新渡戸稲造でした。フレンド派の Quaker 教徒として、科学と信仰を両立させた人物です。

 私は、個人的に若い時に、この方の書物を読んで大きく啓発されたのです。15歳で入学した札幌農学校では、active (活動家)とあだ名される、教師と殴り合いをするほどの荒くれの問題学生だったのですが、キリストを信じて以降、同じく信仰を持った同級の内村鑑三たちから、Monk (修道士)と呼ばれるほどに柔和な人になったと言う話が好きで、いっぺんに新渡戸の自称《弟子》になってしまいました。

 この新渡戸稲造の友人の森本厚吉が、東京で始めた女子経済専門学校の校長を、晩年の1929年から数年務めたのです。その学校で、私はしばらく勤めさせていただきました。そんな縁があって、なおさら、その影響力は大きいのかも知れません。

 この方が、「修養(1910年刊)」と言う題の本を書いています。『いかに誹謗を受けても、自ら楽しみ、いかに逆境に陥っても、そのうちに幸福を感じ、感謝の念をもって世を渡ろうとする。それが僕のここに説かんとする修養法の目的である。』と、その総説にあります。

 この本の中に、「貯蓄」と言う項があります。聖書の「箴言」にも、次の様にあります

『なまけ者よ。蟻のところへ行き、そのやり方を見て、知恵を得よ。蟻には首領もつかさも支配者もいないが、夏のうちに食物を確保し、刈り入れ時に食糧を集める。なまけ者よ。いつまで寝ているのか。いつ目をさまして起きるのか。しばらく眠り、しばらくまどろみ、しばらく手をこまねいて、また休む。だから、あなたの貧しさは浮浪者のように、あなたの乏しさは横着者のようにやって来る。(箴言6611節)』

 新渡戸稲造は、貯蓄には四つのものがあると言っています。

金銭の貯蓄

 日本人には「余力」が不足していると言います。『今日あって明日なき命!』という生き方は、格好はいいのですが、通常は、明日は必ず来るのですが、積極的で合理的であるべきなので、計画的に金銭の貯蓄はすべきです。『貯蓄心のある人は、善良な国民である!』と言っています。ジョンズ・ポプキンズ大学を創設したポプキンズは、貯蓄と節約をして生きた人で、大学だけではなく、病院まで建てています。5セントの電車にも乗らずに歩いて、蓄えたほどだったそうです。公共的なことに、その貯えを使った人でした。

体力の貯蓄

 日本人は〈戦国的道徳〉を受け継いでいて、遠い将来のことを考えるのは、卑しいことだとして、飲めや歌えの不健康な生き方をする傾向があるそうです。青年が血気旺盛な時に、体力を浪費して、老いては病気に悩むのです。虚栄心や享楽を避け、衛生上にも身体的な健康を保つことが必要です。悪習慣から離れて生きることが良いのです。

知識の貯蓄

 結婚して、ご主人が肺病に罹ります。一年の余命宣告を受けたのですが、ご主人は知識欲旺盛で、取り寄せた英字新聞を、ご夫人が読み聞かせて、病床の夫を慰め励ましたのです。その広告欄に載っている新薬を取り寄せては、それを服用させた結果、寿命が5年も伸びたのです。それは不要無用と言われた英語を、ご夫人が若い頃に学んでいた結果でした。蓄えた知識は、そんなことをさせてくれる一例です。知力を涵養することの大切さが分かります。

徳の貯蓄

 これは、『職業の貴賎、金力の有無、社会階級の高下、身体の強弱に関係なくできる。』、大切なのは、しようとする「意志」の問題だと言っています。徳を積むことによって、闇夜も恐れることなく朝を迎えられ、朝日の輝くのをみると、心がそれが反射してくるのです。資本や書物がなくとも、徳を蓄えることはできます。自分の境遇を、ありにままで感謝して受けとめ、嬉々として生きられるのです。

 私の最初の説教は、「蟻の貯蓄」について、阿蘇山の麓のキャンプ場で、その多くは学生さんたちでした。その集いで話をさせていただきました。あの夏の光り輝く光景を、昨日のように覚えています。結婚したばかりの夏のことでした。

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