『 年が若いからといって、だれにも軽く見られないようにしなさい。かえって、ことばにも、態度にも、愛にも、信仰にも、純潔にも信者の模範になりなさい。(1テモテ4章12節)』
ナポレオンは、30代でフランスの指導者になりました。明治維新の原動力になったのも、主に30代の人たちでした。令和の日本の政治の世界では、いまだに六十代は「新人」、「青二才」だと言われます。もちろんそう言うのは、現状を憂えず、維持を願う年長の老人たちからですが。
アメリカが、アイゼンハウワーの後任を選ぶときに、さまざまな裏のやり取りがありましたが、結果的には、アメリカの政治史上初の43歳のケネディーを、第35代大統領に選ばれました。当時私は、華の高校生でした。他国の大統領でしたが、一番驚いたのは、この方の若さでした。
同級生が、新大統領の叫んだ “ New Frontier “ に感銘して、新宿駅前の喫茶店で熱く、その spirit を語ってくれたのです。繁栄のアメリカも例外なく抱えていた、平和と戦争、無知と偏見、貧困と豊かさといった問題に、ケネディーは就任に際して語ったわけです。この新大統領は、西部開拓者の子孫かと思ったら、アイルランドからの移民の商人、実業家の子だったのです。
今の日本の総理大臣が、「新資本主義」を、よく語っているのですが、資本主義に、新旧があるのを知って、ちょっと戸惑っているのですが。何を意図して、そう言ってるのか、もう少し聞き続け、様子を見て行きたいなと思っております。
室町幕府の足利尊氏は、33歳で征夷大将軍となっていますし、織田信長は、39歳で天下人となっています。近代の我が国初代の総理大臣の伊藤博文でさえも、43歳で就任しています。
若く指導者となった方たちの生き方や、したことに賛成できない面も、多々あるのですが、経験だけが人の力ではありませんし、パウロがテモテに、《若さ》を軽く見られないようにと勧めたことには、神の意図がみられます。彼がキリストの教会の牧者とされた時に、パウロが勧めた言葉です。
歴史を見ますと、若い人が用いられ、一国の危機を救った事例は多くあります。先代の非を改めて、善政を行った逸材がいたことを立証しています。若者が傲慢にならずに、先人への敬いを忘れずに、その知恵に聞いた例も多くあります。聖書に、
『あなたは白髪の老人の前では起立し、老人を敬い、またあなたの神を恐れなければならない。わたしは主である。(レビ19章32節)』
とあります。私の若い日々に、年配者がおいででした。よく人生訓を聞かせられ、どう生き、何を選択するかを教えてくれました。そうしてくださった方々のお顔や言葉が思い出されてまいります。今あるのは、そう言った方々からの金言、知恵があったからでしょうか。
情熱、夢、正義への愛、祖国愛、人間愛、気高さなどが豊かな時期こそ、社会的な責任を負い、果たすために相応しいに違いありません。融通が聞き過ぎて、誰か特定な人や集団の益にのみ思いを向けてしまうことのないのは、年齢的に老いる前の方が柔軟でいいのでしょう。もちろん、老成した者には知恵がありますが、彼らだけが知恵者なのではなく、若くても豊かな知恵を備えた人はおいでだからです。
老若が折り合いながら、補助し合いながらことがなされるのが理想なのかも知れません。高校の頃に一夏、湯河原の海で過ごしたことがありました。その時一緒だった上の兄の同級生で、運動部も同じだった方が、先頃亡くなられたと聞きました。バリバリの sportsman でした。有名な企業に就職し、役員をされた頃、兄の勧めで教会に来始め、信仰者となった方です。そんな年齢になったのだと思わされています。人生短しですね。
(キリスト教クリップアートから「ソロモンの知恵」、吉浜海岸です)
.