どうなる

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 「理想の国」の建国を目指して、コロンブスの発見したアメリカ大陸に、メイフラワー号が、イギリスのプリマスから船出をしたのが、1620年9月16日でした。この船は、マサチューセッツ州プリマスに、11月21日に着きました。

 この船に乗った人たちが、その理想を書面にしています。いわゆる41人によって署名された、「メイフラワー誓約」と呼ばれるものです。自由を求めてやって来た人々の理想の上に、「アメリカ合衆国」が建国されたのが、1776年7月4日でした。

 イギリスを出港した人で、無事に目的地に着いたのは53人で、航海中病没した人が半分近くいたのです。そんな困難を経て、国が作られて行ったわけです。そんな理想を掲げた国から、戦後、この国から送られた ” LALA物資 ” の脱脂粉乳を、私たちの世代は飲ませて頂きました。

 そればかりではなく、この国からやって来た教育者と医者が建てた学校で学び、この国からやって来た宣教師から学びながら、その事業を受け継ぎました。また子どもたちは、この国で教育を受けました。家内の家族は、終戦後、近くにいたアメリカ人の宣教師家族と親しく交流をし、家内の姉たちは、この国の方と結婚し家庭を持ちました。義母は、やって来た宣教師のみなさんに、《ございます!》の日本語を教えたのです。

 悲しい戦争が、日米の両国間に過去にありましたが、<喧嘩両成敗(けんかりょうせいばい)>で、恨みっこなしで好いのでしょう。中学生の時、国分寺名画座で、アメリカ映画を食い入るように観ました。片方の脳では、国粋的な考えを持とうとしているのに、ずいぶん矛盾した時期を通過していました。

 とくにジェームス・ディーンの出演した映画の三部作(理由なき反抗、エデンの東、ジャイアンツ)は、何度も何度も観直しました。敗戦の貧しい日本と繁栄のアメリカとの落差の大きさに、青年期前期の私は、これも複雑な思いでいたのです。

 これまで出会ったアメリカ人は、みんな親切で愛に溢れていました。過去の経緯など溶けて無くなってしまう様にしてでした。世界中で、難民が出たり、孤児がいたりすると、受け入れ養い育てています。私の次女の義理のお母さんは、未婚の母の産んだ子や、事情のある幼児を、何人も何人も育ててきた人でした。そう言った優しさを、この国の人たちは、一般的に持っているのです。

 この国の大統領選挙は、日本の場合と違うのです。そのためのテレビ討論会が行われていますが、なんども観続けてきましたが、何か後味が悪いのです。互いに、相手をけなし、醜聞を取り上げ、過去の失敗を糾弾するようになってしまい、驚くのです。

 「建国の夢や理想」、その夢を引き継いできたアメリカ国民の代表として、そんなことで好いのかとしきりに思いました。繁栄の富を、海外の必要のために捧げ、医療や教育や善行のために、驚くほどの数の人材を派遣し、多くの宣教師を派遣した国なのに、残念でたまりません。自分が何をするかの政策論争を忘れているのでしょうか。

 日本の武将は、戦場(いくさば)で、自分が誰であるかを名乗り合って、戦ったほどに、潔かったのです。その「潔さ」を微塵も、あの討論で聞く事ができませんでした。あのアメリカはどうしたのでしょうか。あの建国の父たちの夢や理想はどこへ行ったのでしょうか。

 これからのアメリカは、世界のリーダーとして、「良心の実行者」としての責務を果たす事ができるのでしょうか。経済や軍事のリーダーであるよりも、国としての品格のリーダーであって欲しいものだと、願うばかりです。

 ウクライナへの侵攻で兵を、国境付近に集結していたロシアが、ついに国境を越えて軍を進め始めてしまいました。アメリカは、” NOを貫いています。日本が、満州を侵略した時も、ロシアが朝鮮半島の三十六度線を越えようとした時も、北ヴェトナムが、ソ連の援助で、南ベトナムを攻めた時も、イラクがクウエートを侵攻した時も、同じように、アメリカは、「世界の警察」として介入してきました。

 独裁者を許してしまう背景には、秘密警察の恐ろしさがあるのでしょうか。それともウオッカの飲み過ぎで、正しく思考したり、判断したり、決定できなくなってしまったのでしょうか。いつも前線に立つのは、若者たちです。『人類は、過去に学ばない!』、そのままでいるのでしょうか。

 風見鶏(かざみどり)のように、傍観者ではなく、日本も、「義」に立って、正義が行われるようにして欲しいものです。対面や経済よりも大切なものがあるからです。ゴグやマゴグに関わる、旧約聖書に預言が、成就していくのでしょうか。ウクライナの遥か向こうに、1948年5月14日に建国された、「イスラエル共和国」があります。教えてくださった宣教師は、やがてアメリカが国力や影響力を落としていく時、「万軍の主」である神が、神に選ばれた民を、直接助けるようになる、と言っておられました。そんな時代が来ようとしているかも知れません。戦々恐々、どうなるのでしょうか。

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