ball in the field

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 明治の少年たちが、base ball に魅せられて、ball を投げ、打ち、取り、ベースを走って、日暮れを忘れて興じた姿は、戦後の物のない時代、母親の手作りの道具で、横丁の空き地に線を引き、三角base で遊んだわれわれ世代と同じ楽しみや興奮があったのでしょう。

 一高に学んで、ball in the field base in the field  野球)を大いに楽しんだ松岡子規が、次のような句を詠んでいます。

久方のアメリカ人にはじめしベースボールを見れど飽かぬかも

今やかの三つのベースに人満ちてそゞろに胸のうちさわぐかな

九つの人九つのあらそひにベースボールの今日も暮れけり

 1902年、34歳の若さで、結核で亡くなった子規が、こよなく愛し、自らも元気な時には興じ、病をえて地元に帰って、母校の松山中学校で教えたのが、子規の野球でした。21世紀の日本人選手が、野球発祥のアメリカのリーグで、活躍するなどと、まさか予想もしなかったことでしょう。

 父も、次兄も、二人の孫たちも、彼らを熱狂させ、させている野球ですが、実に面白いsports ではないでしょうか。日本では、すでに camp in したプロ球団が、今年も戦うのですが、American League では、労使の紛争が未解決で、開催できるかが危ぶまれています。

 隣家のご婦人が、有名校の野球部顧問をされていて、東京六大学に進学した卒業生が送ってくれたと言って、野球の ball  の何倍もある、大きな梨を昨秋、いただきました。野球の味はしなかったのですが、とても美味しく食べたのです。

 スタルヒン、沢村、小鶴、青田、千葉、大下、与那嶺、稲尾、別所、藤尾、江夏、衣笠、吉田、落合、台湾の嘉義農工、カナダのバンクーバ朝日などなど、野球の話は尽きません。

 市の北の運動公園があって、そこの野球場で、市内の中学校や県内の高校の大会が行われるのですが、この2年、野球関係者でないただの市民は、コロナ禍もあり、stand に座ることも許されず、外野のfence の隙間から覗き見しているおじさんの肩越しに眺めただけでした。

 試合を待っている選手たちから、『こんにちは!』と元気な声が掛けられて、何とも嬉しいのです。高知に行った時に、名門校に留学した青年の入学式に、親御さんの代理を買って、行った時も、grand の横を rent-a-car で通った時に、大きな ground で練習をしていた選手たちが、同じような声をかけてもらい、いい気持ちでした。それで応援せずにはいられなくなってしまったのです。

 母の故郷の島根県代表が、岩手の盛岡の高校と戦っている試合を、上海からの船が大阪南港に着いた私、〈上海帰りのジュン〉は、乗り換え駅で、応援に駆けつけるおばさん軍団に、ticket をもらったので、おばさんたちの後について甲子園に行って、三塁側の外野 stand  から応援したことだってあります。

 まだ catch ball ができるでしょうか。野球部の catcher の次に遠投記録を持っていたのですが、試してみたい思いで、暖かくなったらやってみようかなの「立春」です。

(Illust eakika によるイラストです)

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