.
私の記憶では、国鉄でも私鉄でも、国鉄が民営化してJRになってからも、電車の一等車に乗ったのは、ただ一度だけでした。それは、職場の慰安旅行で、伊豆に出掛けた時でした。その年の幹事が、『たまには一等車に!』との奮発で、東京から、伊豆急行直通で下田まで乗ることができました。普通車の硬い座席とは違って、《重役》になったら、こんな気分かなとの気持ちで、ゆったり座ることができたのです。
その職場の出張時には、出張規定で、二等車の利用でしたから、福岡県に出張した時、東京から博多まで"ブルートレイン“の「あさかぜ」の二等寝台でした。帰りも予約してあったのですが、福岡の協会の事務局長が、福岡発、羽田着の飛行機の搭乗券を買ってくれて、それで初めて飛行機に搭乗したのです。
戦闘機ノリを夢見ていた軍国少年の私でしたが、離陸時と着陸時は、“ギュッ!"と手を握ってしまう様な緊張を、いまだに忘れていません。それでも"アッ!"と言う間の羽田でした。
実は、滞華中に、アモイから私たちに住んでいた街に帰る時に、一等車に乗車して帰ったことがありました。アモイ駅の乗車券売り場の「軍人用窓口」に並んで、2〜5時までの<二等座>を買おうとしていたのですが、空きがありませんでした。一等車だけがあったので、それを買い求めたわけです。街の駅に、車で出迎えてくださる方がいましたので、遅くならないために奮発したのです。
やはり、ゆったりと座れました。ただ後ろの一団の話し声が高く強くて、だいぶ迷惑でしたが、「郷に従え!」で、じっと"我慢の子"をしていました。これで中日両国の《一等車乗車経験》をすることができたわけです。このアモイ駅の軍人用窓口ですが、軍人の他に、外国人や年寄りを優先する窓口の様で、列に並ぶ時間が少なくてよかったのです。
アモイ駅の最初の窓口係は、女性でしたが、もう少し笑顔と優しさがあったら、ご自分もハッピーになれそうでした。ところが隣の窓口に回されたのですが、そこの若い男性の係りの方は、穏やかで、外国人の中国語をしっかり聞き取って、優しく接してくれたのです。爽やかで好かった!
帰国後の今、コロナ禍で旅行もままならないのですが、そろそろ自転車から飛行機や特急電車や新幹線や高速バスに乗り換えて、長崎や熊本に行ってみたいのです。そうでなくとも〈中遠足〉をしてみたい、ムズムズとした願いが湧き上がってくる、雪の後の陽を浴びて思う二月です。
.