淡き色の桜を愛でて

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 行春や 鳥啼魚の 目は泪   芭蕉

 ここ栃木市に住み始めてから、7年目を迎えています。これまで、なんどか東京都内に所用で出掛けることがありました。東武電車の乗りますと、巴波川、永野川、渡瀬川、利根川を渡り、北千住駅に電車が止まる手前にある、隅田川を渡るのです。

 「矢立の始め」と、芭蕉が、「奥の細道」に書き始めたのが、この隅田川の下流にある「千住」でした。ここには、江戸府内に家康が架橋した「千住大橋」がありました。深川の「雛の家」を出た芭蕉と曾良は、この橋のたもとで舟から降りて、日光街道を北上して、旅を進めていきました。

 私にとって東京の玄関口は、「新宿」でした。明治22年に、この新宿から「立川」まで、蒸気機関車が開業しています。その鉄道を敷設したのが、甲武鉄道でした。途中に、「中野駅」と「境駅(今の武蔵境駅)」、そして「国分寺駅」を置いたのです。

 なぜかと言いますと、江戸の町民に水を供給した玉川上水の川岸に、江戸時代に植えられた一里半(6km)ほどの、桜並木があって、名所だったそうです。そこで、江戸府内のみなさんは、新宿で蒸気機関車に乗って、境駅で下車して、国分寺駅まで歩いて、桜見物を決め込んだ様です。

 江戸彼岸桜、ソメイヨシノなどの桜は、春を告げる花で、古来、江戸の町民の心を掴んでしまったのでしょう。日本人と桜は、切っても切れない繋がりを持ち続けているわけです。

 『お隣りの下野市の下野国分尼寺には淡墨桜があって、見事なのです!』と、思川桜の好きな私の弁を聞いて、教えてくださり、観桜の企画を立ててくださって、先日、ご夫妻と私たちで観桜に出掛けたのです。

 この淡墨桜は、日本三大桜の一つで、岐阜県本巣市根尾谷にある桜で、樹齢千五百年の古木なのだそうです。花が蕾のときは薄いピンクをしていて、満開になると白色、散りぎわになると、淡い墨色に変色するそうで、「淡墨桜」と呼ばれ、樹高16.3mほどの桜です。

 そこから株分けされたものが、国分寺や国分尼寺に植えられて、近隣の多くのフアンに愛されいる桜なのです。私たちが見たのは、七分咲きだったでしょうか、その散り際になると、押すな押すなの人盛りになるそうです。私たちが訪ねたのが、週日の水曜日でしたから、まばらにカメラを下げた数人の方がおられたほどでした。

 帰りに、ご夫妻と四人で、お蕎麦屋さんに入って、蕎麦を啜ったのです。江戸っ子たちは、蕎麦好きで有名だったそうで、花を愛(め)でては、蕎麦を食べたのでしょう。「来た春」を、親しく楽しく迎えることができました。ご主人は、タイムテーブルを、朝早くから作り上げておられ、朝一で、チャットで送信してくれていました。お心遣い満点で、感謝な春満喫の一日でした。

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