昭和ノスタルジーのあふれていた頃

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 幼稚園児だった長男を連れて、芝公園の近くある「東京タワー」の見学に行きました。展望台に上がる料金の高さに驚いて、上の展望台に息子を連れていって上げることができませんでした。慎ましく生きていた頃で、貧乏性の私は、『もうすこし奮発すべきだった!』と、後になって悔いてしまいました。

 神の子にされていたのに、神の教会の働きに就いていたのに、その上、この神さまはRichなお方なのに、ちんまり生きる様になっていました。その惨めさに、『もう貧乏くさく生きるのをやめにしよう! 』と決心したほどでした。

 万物の所有者の神の子であり、神のいのちで買い取られた教会での奉仕に召された者なのだと、自分の意識を改めたのです。それでも息子は、そこで買って上げた飲み物を、実に美味しそうに飲んでいて、満足そうにしていたのです。私の通っていた学校は、この1957年に竣工した「東京タワー」に近かったのです。

 当時、「都電(路面電車で今の地下鉄の路線の上にその多くが走っていたと思います)」に乗るとすぐの所にあったのですが、長男と訪ねるまで、一度も行ったことがなかったのです。2012年に、東京スカイツリーが押上にできるまで、東京のシンボルでもあったのです。高さが、ムサシ(634m)のタワーは、333mの東京タワーの倍ほどもあって、東武鉄道株式会社が設計し、竣工した電波塔です。

 あの東京タワー見学から、何年も経って、「ALLWAYS  三丁目の夕日」が劇場公開されました。2005年のことでした。この映画に、この東京タワーの建設工事の様子が、CGで描かれていたのです。

 その他に、都電や「ミゼット」と言う小型三輪車も登場していました。とくに印象的なのは、東京オリンピックの開催に伴う「インフラ整備」でした。おもに北関東や東北地方からの労働者を、「出稼ぎ」で、「山谷」などの「ドヤ街」が受け止めたのです。「タコ部屋」と言われた悪どい社会現象もありました。

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 それと共に、産業界が活発になって、その担い手となる働き手を、中学校卒業者に求めて、大挙して東京に呼び求められた、「就職列車」に乗って、親元を離れてやって来た「集団就職」の若者たちでした。関東圏や関西圏などで見られた、これも社会現象でもありました。関西圏然りでもありました。

 上野駅に迎えに出た、鈴木社長が運転していたのが、その「東京タワー」の見える道を「ミゼット」で、自動車修理工場に連れて行かれたのが、「六子」でした。大きな会社に行くものだと思っていたのに、六子が着いたのは町工場だったのです。その近所に、駄菓子屋をしながら、懸賞小説を応募し続けている、出しても当選しない常連の小説家の茶川竜之介と、居候の古行淳之介少年たちが繰り広げる、大きく変化していく東京のど真ん中の「夕日町三丁目」の街の出来事が描かれていました。

 「昭和ノスタルジー」のあふれる街の佇まいと、そこで生活する、豊かになる前、昭和33年(1958年)の庶民の生活ぶり、「古い東京」のにおいがプンプンとしてくる街模様、人模様が、とても懐かしく感じられたのです。どうも古行淳之介は、自分と同世代かも知れません。ビルが林立する前の東京タワー建設は、東京の一大変化の発端となったのでしょう。東京人には東京が故郷で、よそに故郷を持つ人たちが住んでいる街なのです。

(ウイキペディアの1961年当時の東京タワー、駄菓子屋です)

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