アッ!

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 『隠れているもので、あらわにならぬものはなく、秘密にされているもので、知られず、また現れないものはありません。 (ルカ817節)』

 隠された物は、いつか露わにされる、そう聖書は記しています。今年も、去年に引き続いて、コロナの蔓延で、世界中で、生きることの厳粛さを感じさせられたのではないでしょうか。顕微鏡でしか認めることにできないヴィールスが、感染症の猛威を、人類に思い出させました。そして世界を塗炭の苦しみや恐れの中に突き落として、なお年明けには、〈六波の到来〉に怯えいるのが現状です。

 でも今頃になると、必死さが感じられないで、『どうにかなりるのでは!』という空気が立ち込めていないでしょうか。昨日現在の統計で、感染者数が 27,990万人(前日比50.4万人増、死者が569.8人(前日比9,016人増)です。

 聖書を読んできて、

 『それから、イエスは彼らに言われた。「民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、大地震があり、方々に疫病やききんが起こり、恐ろしいことや天からのすさまじい前兆が現れます。(ルカ211011節)』

 言い知れず、人の心の中に潜んでいる「恐れ」や「不安」が、浮き彫りにされて、露わにされてきています。疫病の蔓延は、この「方々に疫病が・・・起こり」と言う預言の言葉と無関係ではなさそうです。時間が、この問題を解決してくれるのか、これまで以上の対抗措置によって終息させられるのか、それとも諦めてしまうのでしょうか。

 楽観論者は、年が明けると、どうにかなるのではという思いが感じられます。上京した翌日の今日は、買い物に誘われて、友人家族と出かけました。年末の正月用品の市場やスーパーマーケットは賑やかで、子どもの頃の賑わいを思い起こされ、これまで抑えられていた思いが、吹っ切れて、大挙して人が季節行事のさいまつの買い物に追われているのです。

 かく言う私たちも、我慢や禁を冒して、上京してしまい、買い物までも付き合ってしまいました。でも、言い知れぬ〈解放感〉を覚えている、晦日(三十日)の夕べであるのが事実です。買い物帰りの夕陽がくっきりと綺麗で、天空の自然界は、美しく輝いて、創造の美を楽しませてくれるのです。来年は、どんなと年になるのでしょうか。

 きっと、新しい年に、『アッ!』と叫んでしまうようなことが起こるかも知れません。それは、喜びだったり、祝福だったり、感謝だったりであるように願うのですが、何が起ころうとも、その現実の中で、精一杯に生きる覚悟でおります。

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東京にいます

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昨日、帰国以来、初めて二人揃って上京しました。迎えに来てくださった車に乗って、東北自動車道を東京に向けて走り、上り線でしたので渋滞もなく、友人夫妻とお嬢さんと一緒に、彼らの家に着くことができました。わざわざ彼の隣人所有の大きいバンの車を借りて迎えてくださったので、家内は横になれての上京でした。

 華南の街で手広くパン製造をしている夫妻で、今は、息子さんがその街の会社で働き、時々、夫人が行き来をしながらお仕事をしているのです。彼は、日本に支社を立て上げていて、そこを拠点に、新しい事業展開の準備中で、半加工品を中国などに向けて輸出しようとしているそうです。ネットで進学の学びもしている最中です。

 彼は、私たちと出会う少し前に、お父さまを亡くされ、お母さまは、私たちと会った時に病気されていて、ふるさとと彼の家を行き来して治療をされていました。家内と仲良しで、一緒にいてくれるのを、お母さまは喜んでいましたが、先年亡くなられたのです。

 海辺の実家で、彼の家族が所属する街の教会の牧師さんを迎えて、お母さまの葬儀がなされ、式中に私もお話しさせていただき、東シナ海の見える丘にある墓地に埋葬されたのです。その大きな墓地に、ことある時には、家内と私の遺骨を埋葬してくださると約束してくれるほどでした。

 彼の工場では、聖書研究会があって、私たちを迎えてくださって従業員のみなさんと一緒に過ごしたのです。その街にいた時には、よくお世話いただき、日本式面包mianbao(パン)を運んでくれました。母と父のように慕ってくれての今回のお迎えでした。

 5日の滞在予定ですが、『10日はいてください!』と言われて、長期滞在を薦められています。三階建の、三階に住むようにも誘われております。その情の深さは、親族家族のようです。

 その街は、家内が、中学生まで住んでいたことがあって、様変わりした街を車で走りながら、『西武池袋線の踏切の近くで、『ここに◯◯商店があったわ!』と、家内が感慨深げに言っていました。まさに、ここは、家内の「ふるさと」なので、出会いも回顧も、人生の不思議さを感じているようです。素敵な年の暮れです。

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安全

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 私たちの生活の舞台の「地球」が、悲鳴を上げているのが聞こえてきます。そして、その悲鳴は日々に強くなってきています。こんなに均衡の取れた世界を、人が破壊してきたからです。それは飽くことのない〈欲望〉によりました。大自然への畏敬や感謝を忘れたと言った方がよいかも知れません。かつては、自然と人は共存していたのです。古代の人たちは、大自然の神秘さを認め、そこに秘められた力の大きさの前に、頭を垂れていたのです。

 私たちは、大地に生え出た食物になる種を採って保存し、それを時季に応じて蒔き、収穫した物を食料とし、来年のために種を確保して、それを繰り返して、営々として農耕を続けてきたのです。適度の温度、適量の雨、バクテリアによって土が再生されます。土に鍬を入れずに休耕したり、堆肥を加えて沃土を作ったり、水を引いたりして、そこには労りの気持ちが注がれていました。

 ところがその循環がうまくいかなくなってしまっているのが現代です。自然が壊れたので、病気や疫病、自然災害が起こっていないでしょうか。『エツ、このトマト、昔の匂いがし、味がする!』と思ったら、生産者が土づくりに励んで、その土で栽培しているのだと答えていました。

 また、農薬は、必要最低限度の使用にしているのだとも言われます。リンゴも形状が歪だったり、擦り傷があったりなのです。でも美味しいのです。ただ甘いだけではなく、酸味が程よくて、これも昔ながらの味がしています。『どこから買うのですか?』と言いますと、長野や群馬や栃木周辺の農家が、量産するのではなく、見栄えを気にするのではなく、極力注意を払いながら栽培している農産品、さらには加工品を、購入して、それを販売している、「四つ葉生協」が扱っているのです。

 帰国後、私たちは、極力注意しながら生活をしてきています。友人が、この生協を紹介してくれたからです。ある時、新聞を読んでいましたら、〈苺の農薬使用料〉のことが載っていました。その苺が輸出されているのですが、台湾は輸入禁止をしているそうで、その理由も記されてありました。何と、台湾の農家の400倍もの殺虫剤を使っている、とありました。

 それに驚いたからです。病害虫から守らないと、商品価値を維持し、上げられないので、そのような使用をしているのです。昔、知り合った農家に招かれて行きました時、美味しい桃を出してくれました。『これは食い料で、家で食べてる物だから美味しいですよ!』と言われたのです。農協に出すのとは別な木から獲った物でした。農協企画があるのでしょうか、初めて聞いて驚いたのです。

 安いし安全だというので、曲がっていて、形状の悪い胡瓜(きゅうり)も、毎週注文しています。調理しにくい曲がりなど気にしないでいます。そういう農産品を食べることによって、安全を考えながら栽培する農家を支えていくことができるからです。華南に住んでいた時も、《三十家族》がかってくれたら、農家として生きていけると言って、農業をしようと考えておいでの方がいました。

 使っていない農地が増え、米余りの現代、安全で美味しい物作りをして、それを支持する消費者がいたら、農業は成り立つのかなって思っているのです。第一次産業が国家の根幹事業です。《食の安全》を踏まえた農業が再生できたらいいな、と思う年の暮れ、一人一人が反省しながら、新しい年、2022年を迎えたいものです。

 

saxophone

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 『わが子よ。あなたの父の訓戒に聞き従え。あなたの母の教えを捨ててはならない。   わが子よ。あなたの父の命令を守れ。あなたの母の教えを捨てるな。(箴言18節、620節)』

 『ヤワな音楽などしない!」と決めた日がありました。家のコタツに入っていて、父が話した言葉が、その動機だったのです。『ミュージシャン musician たちの多くがヒロポン(覚醒剤)をやっていて廃人になってしまうんだ!』と聞いたからです。タバコや酒の誘惑には負けたのですが、麻薬には誘われながらも、一度も手をつけなかったのは、その父の言葉によったのだと思います。

 それは、ものすごい抑止力として、自分の人生に働きかけて、守られて今日に至っているのです。様々に誘惑の激烈な力にさらされながら生きていく息子たちに、強烈な一本の釘を込んでくれた父には、今も感謝が尽きません。

 新宿のアングラ劇場に、学校の仲の良い友だちに誘われて行ったことがありました。チカチカとキラメクの動くように輝く照明を浴び、紫煙が立ち込めて、そればかりではない怪しい香を炊く匂いがする中に、男も女もゴチゴチャと踊ったり、体を動かして、陶酔しているようでした。

 『私は、こんな地獄の3丁目にいてはいけない。逃げ出せ!』との内なる声を聞いたのです。友を置き去りにして、ほうほうの体(てい)で、その場から出たのです。それ以来、それと怪しい場には、二度と近づきませんでした。呑み込まれるような、組み込まれるような麻薬の世界から、薄皮一枚で逃げ出られたのは、自分の意思の力ではなかったのです。

 それで、音楽は、男のすることではないとしてしまいました。それでもハーモニカ、ウクレレなどをは、やってみると気持ちがいいのです。教会の礼拝に出るようになって、母が連れて行ってくれた時に、歌い聞いた讃美歌が、思いに甦ってきて、懸命に賛美したのです。chorus と言われる黒人霊歌のような、ジャズのような、ブルースのように、聖書のことばを歌う教会歌を、歌うようになったのです。

 そうすると、ウキウキと、心が高揚してきますし、力がみなぎってきますし、心に喜びも湧いてくるのです。古来からの讃美歌のおごそかさ、言葉の重みと同じように、今の気持ちを率直に表現する、この手の賛美を、主はお喜びになられるに違いありません。教役者大会で賛美リード、司会を何度かしたことがあったのが思い出されます。

 ところが最近、父の訓戒を聞き過ぎて、損をしたように感じてしまうのです。もちろん薬物に、引きずり込まれずに過ごせたのは、本当に良かったのですが、楽器をしてこなかったことを、今になって悔やむのです。歌うだけではなく、楽器、たとえばtenor sax clarinet trombone tuba などの管楽器をやっておけば良かったなと思うこと仕切りだからです。

 三年前に帰国してから、尺八か saxophone をしたくて、友人から教わろうとして、指導していただいて始めたのです。尺八は難しいなと思って、tenor sax を友人から習い始めました。一曲の聖歌を練習し始めたところ、水害にあって、大きな家から越さなければならなくなり、それを中断してしまったのです。自分が吹く音に魅せられるというのでしょうか、今また、その音を思い出したのです。

 その友人に、『今度はオカリナはどうですか?』と言われて、ドレミファとやり始めたのですが、進歩なしでおります。そんな中、原信夫や渡辺貞夫の吹く sax 、北村英治の吹くclarinet、ジョージ・川口の打つ🥁、前田憲男のたたく 🎹、高校や自衛隊や警察隊の管楽器での吹奏楽演奏を聞いていたら、眠ってる子が目覚めてしまったのです。それって情操のためだけではなく、身体上の健康にも繋がりそうに思えるのです。来年こそはの年末です。

(サックスの宇都宮出身の「渡辺貞夫」です)

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1-800-273-8255

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 アメリカのフリーダイヤルで聞ける、「自殺予防」の電話サーヴィスの number です。多くの願望者を救済し続けています(「洋楽の歌詞をただひたすらに和訳する blog 」からです)。この number で、youtube で聞くことができます。

I been on the low
I been taking my time
I feel like I’m out of my mind
It feel like my life ain’t mine
Who can relate?
I been on the low
I been taking my time
I feel like I’m out of my mind
It feel like my life ain’t mine

落ち込んでた
時間は流れて
おかしくなっていると感じた
自分の人生が自分のものじゃないよう
誰も共感しないだろう
落ち込んでた
時間は流れて
おかしくなっていると感じた
自分の人生が自分のものじゃないよう

I don’t wanna be alive
I don’t wanna be alive
I just wanna die today
I just wanna die
I don’t wanna be alive
I don’t wanna be alive
I just wanna die
And let me tell you why

生きたくない
ただ今日死にたいんだ
ただ死にたいんだ
生きたくない
ただ死にたいんだ
なぜだか話そう

All this other shit I’m talkin’ ‘bout they think they know it
I’ve been praying for somebody to save me, no one’s heroic
And my life don’t even matter
I know it I know it I know I’m hurting deep down but can’t show it
I never had a place to call my own
I never had a home
Ain’t nobody callin’ my phone
Where you been? Where you at? What’s on your mind?
They say every life precious but nobody care about mine

おれが今から話すこと、やつらは知ったつもりでいる
誰かがずっと救ってくれないかと祈っていた、ヒーローなんていなかった
おれの人生なんて大事でもない
わかっていた、心の奥底で傷ついて見せられずにいた
自分のものと呼べる場所なんてない
家なんてない
誰もおれに電話かけてこない
どこにいたの?どこにいてるの?何を考えているの?
どんな命も大切だっていうけど、誰もおれのものに興味ない

I been on the low
I been taking my time
I feel like I’m out of my mind
It feel like my life ain’t mine
Who can relate?
I been on the low
I been taking my time
I feel like I’m out of my mind
It feel like my life ain’t mine

落ち込んでた
時間は流れて
おかしくなっていると感じた
自分の人生が自分のものじゃないよう
誰も共感しないだろう
落ち込んでた
時間は流れて
おかしくなっていると感じた
自分の人生が自分のものじゃないよう

[ロジック & アレッシア・カーラ]
I want you to be alive
I want you to be alive
You don’t gotta die today
You don’t gotta die
I want you to be alive
I want you to be alive
You don’t gotta die
Now lemme tell you why

あなたに生きてほしい
あなたに生きてほしい
死んだらダメ
死んだらダメ
あなたに生きてほしい
死んだらダメ
なぜか教えてあげる

[アレッシア・カーラ]
It’s the very first breath
When your head’s been drowning underwater
And it’s the lightness in the air
When you’re there
Chest to chest with the lover
It’s holding on, though the road’s long
And seeing light in the darkest things
And when you stare at your reflection
Finally knowing who it is
I know that you’ll thank God you did

それが初めての呼吸
水の下にあなたが溺れていてから
空にさす光
あなたがそこにいてくれることで
恋人と胸をあわせているよう
それは居続ける、道は長いけれど
暗いものの中にも光を見つけるの
あなたが自分の反射するのを見て
本当の自分を見つけたとき、
きっと神に感謝する

[ロジック & アレッシア・カーラ]
I know where you been, where you are, where you goin’
I know you’re the reason I believe in life
What’s the day without a little night?
I’m just tryna shed a little light
It can be hard
It can be so hard
But you gotta live right now
You got everything to give right now

あなたがどこにいたか、今どこにいて、どこに向かってるかわかってる
あなたがいるから生きることを信じられる
夜のない1日なんてない
小さな光をあてようとしてるだけ
つらいときもあるだろう
とてもつらいだろう
でも今生きなきゃ
あなたは今すべてを持ってる

[ロジック]
I been on the low
I been taking my time
I feel like I’m out of my mind
It feel like my life ain’t mine
Who can relate?
I been on the low
I been taking my time
I feel like I’m out of my mind
It feel like my life ain’t mine

落ち込んでた
時間は流れて
おかしくなっていると感じた
自分の人生が自分のものじゃないよう
誰も共感しないだろう
落ち込んでた
時間は流れて
おかしくなっていると感じた
自分の人生が自分のものじゃないよう

[ロジック & アレッシア・カーラ]
I finally wanna be alive (Finally wanna be alive)
I finally wanna be alive
I don’t wanna die today
I don’t wanna die
Finally wanna be alive (Finally wanna be alive)
I finally wanna be alive
I don’t wanna die
I don’t wanna die
(No, I don’t wanna die)
(I just wanna live)
(I just wanna live)

生きたいんだ
やっと生きたいと思ったんだ
今日死にたくない
死にたくない
生きたいんだ
やっと生きたいと思ったんだ
今日死にたくない
死にたくない

[カリド]
Pain don’t hurt the same, I know
The lane I travel feels alone
But I’m moving ‘til my legs give out
And I see my tears melt in the snow
But I don’t wanna cry
I don’t wanna cry anymore
I wanna feel alive
I don’t even wanna die anymore
Oh I don’t wanna
I don’t wanna
I don’t even wanna die anymore

痛みは同じじゃない
進む道は孤独に感じるだろう
でも足がなくなるまで進もう
涙は雪の中へ溶けていった
でももう泣きたくない
生きていると感じたい
もう死にたくない
生きていると感じたい
もう死にたくない

恩寵

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 『私のたましいは黙って、ただ神を待ち望む。私の望みは神から来るからだ。 神こそ、わが岩。わが救い。わがやぐら。私はゆるがされることはない。 私の救いと、私の栄光は、神にかかっている。私の力の岩と避け所は、神のうちにある。 民よ。どんなときにも、神に信頼せよ。あなたがたの心を神の御前に注ぎ出せ。神は、われらの避け所である。セラ(詩篇6258節)』

 九州福岡の教会の一人の方が、詩篇62篇のみことばから、素晴らしい chorus を作詞作曲されたのです。

   私は静かに神を待つ 私の救いは神から来る

 私は決して揺るがない 私の救いは神から来る 

 これは、わが特愛の賛美なのです。聖霊に触れられ、聖霊に満たされ、聖霊に導かれて、罪を赦されたことを知って、私は、今日まで生きて来れました。地獄に堕ちるべきであったのに、赦されたのです。父も、大人も、担任も、警察官も、裁判官もハッキリと赦してくれなかったのにでした。そして自分自身で、自分を責め、嫌い、諦めてしまっていたのです。どこに堕ちていくのか、震えるような恐怖と不安の中で、聖霊に満たされた時に、キリストの「十字架」が、自分の罪のためであったということが、電撃的に分かったのです。まさに、それは奇跡でした。

 2000年前に、エルサレムのゴルゴタの丘の上の「十字架」で、死なれたイエスさまが、「キリスト」だと信じられたのです。母を〈肉親の契りからの隔絶〉と〈孤独〉との中から救い、命の道を示され、教え、理解させてくれた、「十字架」を、聖霊なる神が、私にも働きかけて、その真意を示してくださって、そう確信できたのです。

 『あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。行いによるのではありません。だれも誇ることのないためです。(エペソ人289節)』

 奈落の底に引き摺り込まれるような、もう後戻りできないで、自暴自棄の危機の中で、無頼の群れ、獄門の門徒に誘われるような、恐怖の中に怯えていたのです。もう一歩、もうひと時のところで、首根っこを掴まれ、その泥沼から引き上げられたのです。そして望み溢れる世界に移し替えられた、その「恵み」に心が躍ったのです。

 パウロは、自分を、「罪人のかしら」だと言いました。アダム伝来の罪ばかりではなく、自らの内側の罪性は、如何ともしがたかったのです。ところが、ただ「一方的な神のご好意」によって赦された喜びは、彼の書き送った使信のことばに中に、満ち溢れております。その同じ喜びが、筆舌に記し難く、私の心の思いの中に刻まれたのであります。静かに深く、さらに強く内に覚えられるのです。こんな赦しや救いが、「十字架」にあったのを、理解でき、自分の体験にすることができたのは、驚きです。

 今日も、決して揺るがない確信の中にあることに感謝しております。『あなたは狂っている!』と思われてもいいのです。ただ、みなさんの上に、同じ「恩寵」が注がれ、生きる喜びが増し加えられますようにと願う、年の暮れです。

(”キリスト教クリップアート“から説教する「パウロ」です)

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確信

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 浪漫があって、nostalgic (懐旧の思いや望郷の念)なことってあります。昨夜、降誕節の夜でしたが、その朝、起きてみると、枕元に、綺麗に包装された present  が置かれてあって、嬉しく解いたのは、子どもの頃の思い出なのです。

 父は、拳骨おやじでしたが、四人の子を喜ばせることに心を向けてくれていたのです。そのゲンコツは、善悪の基準や従順を学ばせるための親爺の流儀でした。メソメソ生きたり、誤魔化して、狡く生きたりしないように、男らしく生きるようにと、躾けてくれたのです。

 母がクリスチャンで、父も幼い日に、横須賀の街の教会に連れて行かれたりしたことがあって、この時期には郷愁を覚えていたのでしょうし、何しろ、親爺似のヤンチャな四人を、喜ばせたかったのです。カルメ焼を、コンロの上にお玉を置いて、ザラメと重曹で作っては、順番に『喰え!』と言い、会社帰りには、ケーキやソフトクリームやあんみつや佃煮、旅行帰りには、崎陽軒の横浜シュウマイ、福島の薄皮饅頭などを買ってきてくれました。

 それと同じだったのでしょう、今朝の私の枕元に、その present  はありませんでしたが、思い出がありました。二度と帰ってこない光景が、まぶたの裏に映し出されて、ちょっと泣けそうです。

 私を育ててくれた宣教師は、アメリカ人なのですが、降誕節を祝いませんでした。異教の習慣であり、冬至の祭りの祝い日であったり、昔の有力部族の頭目の誕生日だったのを、ローマ教会が真似て、祝うようになったのだそうです。それで、ご自分の確信に立って、世の世の動きに流されずに、我が道を歩んだのです。

 家内の家族を導いた、進駐軍のマッカーサー司令官が送った宣教師の教会では、お祝いをしていたそうです。そんな中で育った家内の家族なのですが、引越し先の教会では、降誕節を祝わなかったのです。

 神が、人となられて、処女マリヤの胎に宿り、私たちの間に来られ、33年半のご生涯の後に、十字架に死なれ、葬られ、3日の後に、蘇られ、再びおいでになられると言う、イエスさまのご生涯は、聖書通りに信じ、感謝していますが、この世の習慣としての行事には、参加しないのです。

 大分頑固な教義ですが、聖書の字義通りの解釈なのです。『三つ子の魂百までも!』で、教えられたことが事実なので、この世の習慣に戻っていくことが、私にはできないでいるのです。他の人の立場は認めますが、「三百六十五日の主」は、一日一日が、主の誕生日、死なれた日、蘇られた日なのです。

 『降誕節を祝わない教会は、異端ではないか!』と言われ続けても、平気の平左で過ごしてきました。

 パウロが、

 『ある日を、他の日に比べて、大事だと考える人もいますが、どの日も同じだと考える人もいます。それぞれ自分の心の中で確信を持ちなさい。(ローマ145節)』

 パウロは、降誕は信じましたが、降誕節を祝いませんでした。でも、他者の確信は、その人の決まりや習慣であって、それに干渉しなかったのではないででょうか。ただ、パウロが厳しかったのは、罪や虚偽であって、それはには容赦しませんでした。

 でも父の present は懐かしくって、頬擦りしたいほどの「思い出」なのです。誰にも「ふるさと」があるように、nostalgie を呼び起こす出来事が、過ぎた日にあるのですね。

 昨日の午後、県北で牧会される牧師のお嬢さんとお孫さんが、訪ねてくれました。定番はケーキなのですが、福島土産の「薄皮饅頭」と、美しい包装紙で包んだ「星野富弘カレンダー」を present してくれました。二組の夫婦で、美味しく一緒にコーヒーを飲んだことのあるお父さまは、同年生まれの同業者、今、肺炎ななられて、入院中とのこと、平癒をお祈りいたします。そう降誕節って、《祈りの日》に違いありません。

(“キリスト教クリップアート”から「祈り」です)

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生きよ

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 『わたしは、だれが死ぬのも喜ばないからだ。──神である主の御告げ──だから、悔い改めて、生きよ (エレミヤ1832節)』

 『わたしを求めて生きよ (アモス54節)』

 人の一生って、瞬(まばた)きの間のように短いんです。死に急いではもったいないのではないでしょうか。すべきことが多いのです。し忘れないように、生きている間に一つ一つしなければなりません。

 戦時下、山奥の村で、村長さんの奥さんに取り上げてもらったのが、昨日のことだったかのように(これって記憶にないのですが、母に言われて知りました)思えるのに、もう喜寿を迎えてしまい、もういつでも、主の元に帰ってもおかしくない年齢になりました。

 先頃、同じ時代の空気を吸い、吹く風の中を生きてきた同世代の中村吉右衛門が亡くなったのを知って、そんなことを思っています。美男美女の子の美女に生まれて、誰もが羨むように生きてきたのですが、心の中の寂しさはどうしようもなかったのでしょうか。神田沙也加さんが亡くなってしまいました。

 恋に命をかけるのですが、みんな上手ではありません。結婚を急ぐのですが、失敗してしまいます。正しい女性性が育っていないからです。男を見る目が未熟で、少女のような恋愛をして、現実に対応できなくて敗れてしまします。寂しいので、また恋に恋しますが、自信がありません。

 そんな時に、どなたかに腹を割って話せる人がいたらいいのです。ところが、二親は離婚してしまって、正しい結婚観を持つ機会を失い、結婚の結末を考えて、『わたしも!』と不安に苛まれてしまうのです。同じようになる、言い知れない恐れを感じながらの恋は辛いでしょうね。

 『何でも話せる友を持て!』と、若い時に言われました。人生上の葛藤、戦いを、隠さず洗いざらい話せる人がいたら、大きな救いになるからです。自分の性、恋、悪癖、恐れなど一切合切です。話してしまって、問題の柵(しがらみ)から解放され、解決の糸口が見つけられるのです。

 車を運転して、愛媛県に出かけたことがありました。母と同世代の牧師さんでした。快く受け入れてくれ、一日共に過ごして語り、聞き、泊めていただいたのです。そんな若い日がありました。逃げず、隠さず、正直に物事に直面する術(すべ)を教えていただいたのです。

 それから今日まで生きてきました。昨日、『オギャア!』だったのに、今日は、同世代の知人の死の報を聞き、生を全うした同世代の死、死に急いだ女優の死のニュースを耳にし、「いのちの重さ」をひしと感じているのです。下の図表は、自殺に原因です。tap すると大きくなり見えやすいです。

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『それが今、私たちの救い主キリスト・イエスの現れによって明らかにされたのです。キリストは死を滅ぼし、福音によって、いのちと不滅を明らかに示されました。(2テモテ1章10節)』

 ドイツ人のルツ・ヘトカンプ宣教師が、1971年に「東京いのちの電話」を開始しています。電話による相談によって、悩んで苦しむ人や自殺願望者のお相手をして、人生の危機を回避する働きなのです。その協力者が、当時、東京下谷で牧会をしていた菊池吉彌牧師でした。

 背景はキリスト教ですが、日本社会では超教派が好いということで、今日まで続けられています。

「東京いのちの電話」

03ー3264-4343(二人で語ろうよ、しみじみ)

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特定非営利活動法人自殺対策支援センター「ライフリンク」

 この支援センターの相談員として、長男が奉仕に関わっています。苦しくっても人は生きなければなりません。生きていくための支援や援助はあるからです。究極は、《創造者とに出会い》です。なぜ生きているのか、どうして生きなければならないのかが、この出会いで、その極意やきっかけを見つけられるに違いありません。

(「キリスト教クリップアート」、「2013年度自殺白書」からです)

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桜花と新幹線

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 すでに十年近く経ちましたが、「日本文化と経済」の講座の担当を打診されて、承諾をしました。翌年の学期の授業に備えて、教材の準備をする中で、「東海道新幹線の開発」を取り上げたいと思ったのです。それで授業の中で、NHK制作の「プロジェクトX」を、中国の学生さんたちに観てもらったのです。

 この日本の新幹線を取り上げたのには、理由がありました。単に日本の技術を誇るためではなかったのです。その事業の責任者の一人で、設計を担当した、三木忠直氏のインタビューを知ったからです。この方は、こう言いました。

 『とにかくもう、戦争はこりごりだった。だけど、自動車関係にいけば戦車になる。船舶関係にいけば軍艦になる。それでいろいろ考えて、平和利用しかできない鉄道の世界に入ることにしたんです。』

 技術畑ではありましたが、戦争責任者であった人が、敗戦後をどう生きるかを考えた時に、《平和》を希求したことに、私は共感を覚えたからでした。三木忠直は、父と同じ学年でした。二人とも技術畑で働こうとしていて、三木忠直は東大の工学部で船舶工学を学び、父は、秋田高専で鉱山採掘学を学んだのです。

 そして二人とも戦時下で、軍事産業に従事したのです。三木忠直は、爆撃機の桜花や銀河の開発に携わりました。上官の命令で製造した「桜花」には、地上を滑走する車輪が取り付けてありませんでした。大型機に抱えられて飛び立ち、ちょうどglider のように滑空しながら敵艦に体当たりする片道飛行の爆撃機だったのです。


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 そんな無謀な戦争に加担して、多くの同世代の犠牲を生み出したことへの悔恨の思いが三木忠直にありました。そん中で、戦後間もなく、銀座教会に渡辺善太牧師を訪ねて、その交わりの中で入信し、バプテスマを受けて基督者となるのです。それで戦後を新しい気持ちで生きる覚悟を決めたわけです。

 誰もが暗中模索だったわけです。三木や父の同学年に、青森県津軽の出の太宰治がいました。何度も自殺未遂を繰り返し、ついには玉川上水で情死を遂げてしまいます。文壇の寵児、優れた小説家でしたが、生き方を見つけられなかった人だったのです。

 ところが生き方を見出した三木忠直は、その設計に没頭します。殺人機を生み出した頭脳を平和に利用しようとしたのです。新幹線開業の時を同じくして、私はアルバイトをしながら、電車内の buffer(ビュッフェ/食堂車)の食材搬入のアルバイトを、東京駅でしていました。

 私の父も、その桜花に搭載した防弾ガラスの製造に関わり、あの戦争に加担したこと、その飛行機が、東アジア諸国を爆撃して、人や物に被害を与えた者の子として、償いの思いで、中国に参りました。私の計画にはなかったのですが、天津での一年の語学の学びを終えると、華南に導かれ、そこで日本の大学院で博士号を取られて、大学の法学部で教師をしていた方が訪ねて来られ、お交わりに中で、日本語教師を認めているとのことで、その機会を得たのです。

 日本文化や経済なども教える機会が与えられて、戦後の日本のあり方が、平和を願い、戦争相手国への謝罪といった意味でも、鉄道事業を紹介できたのは、中国版の新幹線が開業しようとしていた頃で。時宜を得たことだったと思ったのです。その授業を終えて、帰国して、京都から新幹線に乗った時、何度も乗ったのことがあり新幹線でしたが、なんとも重い気持ちと、平和の響きがレールの上を走る車軸の擦れる音から聞こえたのです。

(「初代の新幹線」、「桜花」、「プロジェクトX」です)

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冬至

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 今日は、二十四節気の「冬至」で、お姉さんのような家内の友人が、庭になっている「柚子(ゆず)」を2個届けてくれました。余所者の私たちに、日本情緒にひたれるようにとのお気持ちが嬉しかったのです。

 「南瓜」も、この日に食べるのだそうで、これはスーパーで買って来ましたので、オイル焼きして、夕食で食べました。いつもよりも美味しかったのです。母が、煮干しで煮しめにしてくれた南瓜の味とは違っても、冬至気分を満喫できました。

 折角のご好意に、風呂をたてて、「柚子湯」にしたのです。湯船に、ゆずを浮かべてひたりました。『あゝニッポンジン!』と言う思いが湧き上がって来て、ああ誰にもふるさとがあーると、湯船の中で、鼻歌を歌ってしまいました。こんな気分は何年ぶりでしょうか。

 数年前に、一人で帰国した時、「菖蒲(しょうぶ)湯」を、弟が立ててくれて、『入って!』と言ってくれました。帰国するのが分かって、「端午の節句」は終わった五月末になっていましたが、乾燥させた菖蒲で用意してくれていたのです。優しいもてなしに感涙してしまいました。

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