東京にいます

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昨日、帰国以来、初めて二人揃って上京しました。迎えに来てくださった車に乗って、東北自動車道を東京に向けて走り、上り線でしたので渋滞もなく、友人夫妻とお嬢さんと一緒に、彼らの家に着くことができました。わざわざ彼の隣人所有の大きいバンの車を借りて迎えてくださったので、家内は横になれての上京でした。

 華南の街で手広くパン製造をしている夫妻で、今は、息子さんがその街の会社で働き、時々、夫人が行き来をしながらお仕事をしているのです。彼は、日本に支社を立て上げていて、そこを拠点に、新しい事業展開の準備中で、半加工品を中国などに向けて輸出しようとしているそうです。ネットで進学の学びもしている最中です。

 彼は、私たちと出会う少し前に、お父さまを亡くされ、お母さまは、私たちと会った時に病気されていて、ふるさとと彼の家を行き来して治療をされていました。家内と仲良しで、一緒にいてくれるのを、お母さまは喜んでいましたが、先年亡くなられたのです。

 海辺の実家で、彼の家族が所属する街の教会の牧師さんを迎えて、お母さまの葬儀がなされ、式中に私もお話しさせていただき、東シナ海の見える丘にある墓地に埋葬されたのです。その大きな墓地に、ことある時には、家内と私の遺骨を埋葬してくださると約束してくれるほどでした。

 彼の工場では、聖書研究会があって、私たちを迎えてくださって従業員のみなさんと一緒に過ごしたのです。その街にいた時には、よくお世話いただき、日本式面包mianbao(パン)を運んでくれました。母と父のように慕ってくれての今回のお迎えでした。

 5日の滞在予定ですが、『10日はいてください!』と言われて、長期滞在を薦められています。三階建の、三階に住むようにも誘われております。その情の深さは、親族家族のようです。

 その街は、家内が、中学生まで住んでいたことがあって、様変わりした街を車で走りながら、『西武池袋線の踏切の近くで、『ここに◯◯商店があったわ!』と、家内が感慨深げに言っていました。まさに、ここは、家内の「ふるさと」なので、出会いも回顧も、人生の不思議さを感じているようです。素敵な年の暮れです。

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安全

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 私たちの生活の舞台の「地球」が、悲鳴を上げているのが聞こえてきます。そして、その悲鳴は日々に強くなってきています。こんなに均衡の取れた世界を、人が破壊してきたからです。それは飽くことのない〈欲望〉によりました。大自然への畏敬や感謝を忘れたと言った方がよいかも知れません。かつては、自然と人は共存していたのです。古代の人たちは、大自然の神秘さを認め、そこに秘められた力の大きさの前に、頭を垂れていたのです。

 私たちは、大地に生え出た食物になる種を採って保存し、それを時季に応じて蒔き、収穫した物を食料とし、来年のために種を確保して、それを繰り返して、営々として農耕を続けてきたのです。適度の温度、適量の雨、バクテリアによって土が再生されます。土に鍬を入れずに休耕したり、堆肥を加えて沃土を作ったり、水を引いたりして、そこには労りの気持ちが注がれていました。

 ところがその循環がうまくいかなくなってしまっているのが現代です。自然が壊れたので、病気や疫病、自然災害が起こっていないでしょうか。『エツ、このトマト、昔の匂いがし、味がする!』と思ったら、生産者が土づくりに励んで、その土で栽培しているのだと答えていました。

 また、農薬は、必要最低限度の使用にしているのだとも言われます。リンゴも形状が歪だったり、擦り傷があったりなのです。でも美味しいのです。ただ甘いだけではなく、酸味が程よくて、これも昔ながらの味がしています。『どこから買うのですか?』と言いますと、長野や群馬や栃木周辺の農家が、量産するのではなく、見栄えを気にするのではなく、極力注意を払いながら栽培している農産品、さらには加工品を、購入して、それを販売している、「四つ葉生協」が扱っているのです。

 帰国後、私たちは、極力注意しながら生活をしてきています。友人が、この生協を紹介してくれたからです。ある時、新聞を読んでいましたら、〈苺の農薬使用料〉のことが載っていました。その苺が輸出されているのですが、台湾は輸入禁止をしているそうで、その理由も記されてありました。何と、台湾の農家の400倍もの殺虫剤を使っている、とありました。

 それに驚いたからです。病害虫から守らないと、商品価値を維持し、上げられないので、そのような使用をしているのです。昔、知り合った農家に招かれて行きました時、美味しい桃を出してくれました。『これは食い料で、家で食べてる物だから美味しいですよ!』と言われたのです。農協に出すのとは別な木から獲った物でした。農協企画があるのでしょうか、初めて聞いて驚いたのです。

 安いし安全だというので、曲がっていて、形状の悪い胡瓜(きゅうり)も、毎週注文しています。調理しにくい曲がりなど気にしないでいます。そういう農産品を食べることによって、安全を考えながら栽培する農家を支えていくことができるからです。華南に住んでいた時も、《三十家族》がかってくれたら、農家として生きていけると言って、農業をしようと考えておいでの方がいました。

 使っていない農地が増え、米余りの現代、安全で美味しい物作りをして、それを支持する消費者がいたら、農業は成り立つのかなって思っているのです。第一次産業が国家の根幹事業です。《食の安全》を踏まえた農業が再生できたらいいな、と思う年の暮れ、一人一人が反省しながら、新しい年、2022年を迎えたいものです。