富の再分配

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 将棋の中に、「無駄駒」と言う手があるそうです。対局中に、何の意味もない一手を打つことだそうです。名人が、そういった手を打つなら、奥深い(手〉だと思われてるのでしょうけど、〈100億円の宇宙旅行〉は、男の浪漫なのでしょうか、金持ちの道楽なのでしょうか、ただの「無駄〈駒〉」ではないでしょうか。

 この広大な宇宙で、大気圏を飛遊する宇宙船に乗ったって、小山ハーベストのメリーゴーランドとさほど変わりがない、遊びに過ぎないのでしょう。科学の進歩のための研究者の飛行なら意味がありますが、そうではない門外漢にとっては、そんなことは不要なことでしょう。これって真似できない者のヒガミでしょうか。

 『今あなたがたの余裕が彼らの欠乏を補うなら、彼らの余裕もまた、あなたがたの欠乏を補うことになるのです。こうして、平等になるのです。(2コリント814節)』

 もう、それだけの経済的な資金や余裕があるなら、医療や福祉の遅れている国や地域に、それを提供できるインフラ(infrastructure)を整備し、そに働きをしていく人材育成のために、私だったら使ってみたいものです。そんな大金を、衣料販売で儲けることができる商業界の在り方自体が、おかしなこの世の仕組みなのではないでしょうか。

 商才があって努力した結果、それだけのものを得たなら、その才能や努力を祝福されたお方、神さまにご計画があります。何かと言いますと、《富の再分配》なのです。

 『あなたがたの土地の収穫を刈り入れるとき、あなたは刈るときに、畑の隅まで刈ってはならない。あなたの収穫の落ち穂も集めてはならない。貧しい者と在留異国人のために、それらを残しておかなければならない。わたしはあなたがたの神、主である。(レビ2322節)』

 「収穫と配分に原則」を、神様はイスラエルの民に命じています。生活手段を持たない者たちが生きていくための配慮です。この原則を、私が学学校で、外国人教師の最終講義で聴きました。社会的な弱者に手を閉じずに、手を開いて支えること勧めて、退職していかれました。それが恩着せがましくではなく、兄弟として、急場を凌いで生きていけるためにすべきことなのです。

 人は、立場を逆にするような機会に出会うことがあるからです。今の祝福を分け合うことによって、やがて、ある日の欠乏が補われるために、その善意が覚えられていて、祝福が帰ってくるのです。

 教会堂を建ている時、アメリカから、30ドルとか40ドルが、何度も何度も送金されてきました。日本の地方都市に、神を礼拝する教会の建物を建てるために、本当に小さな献金でした。そのわずかなものが祝福の基となって、13ヶ月後に竣工し、献堂することができたのです。今も、その会堂は、礼拝のために使われています。

 多くの方々の、小さな奉仕があって、その蓄積の上に、今も主が崇められているのです。19世紀以降、《2レプタ献金》が、世界宣教を推し進めてきたのです。神の国を推し進めていく力の源は、いつも《小さな献身》によります。その報いは大きいのでしょう。

 ある特攻兵士の言葉が、今でも思いの中に、ズシリと重く残っています、この方は出陣を待っていたのですが、終戦で、その機会を得ませんでした。しかし、多くの戦友が、特別攻撃の操縦桿を握って、突撃死を遂げました。戦後、それを〈無駄死に〉だと言われたのです。でもこの方は、『彼らは祖国の二親、兄弟姉妹、恋人、同胞を愛して、純粋な思いで敢行したのであって、決して〈無駄死に〉などではありません!』、『彼ら戦友たちの死を無駄にすることなく、これからを生きて行きます!』と言われたのです。これって、〈無駄口〉ではないと思います。

(“キリスト教クリップアート”から《2レプタ献金》です)

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