大雪

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 今日は、二十四節気の「大雪(たいせつ)」、ここ栃木市は、奥日光や那須に比べて、降雪量は少ないそうです。住み始めて、これまで、空に舞う雪はあったのですが、積もったのはまだ見ていません。

 雪景色が見られる前に、雨混じりの「霙(みぞれ)」の素手に触る冷たさの記憶があります。そんな中、丘陵の崖から、兄たちが作った橇(そり)で雪遊びをしたのが楽しい思い出です。

 中国に行く数年前に、古着をたくさん持って冬の大連に、家内と2人で、知人を訪ねました。ちょうど日本の正月で、中国の春節には、まだもう少し日がありましたが、街中は、降った雪が踏み固められていて、路面凍結でした。

 雪の多い土地に住んだことがないので、冬用の spike の付いた靴を履いたことが無かったので、まさか大連で、歩いたことがないほどの氷の上を歩かされたのには、驚きと、油断だったのです。

 覚悟をしてましたが、厳冬の大陸の寒さは聞きしに勝るものでした。降り積もった雪が、ice burn (路面凍結)で、家内が何度も転びそうになったのです。それで、天津の語学学校に留学する時に、次女の婿殿に、靴にはめる spike と、降雪時用のコートを送ってもらい、備えをしました。

 生乳工場のアルバイトで、アイスクリームの貯蔵庫に、箱入りの製品を積む作業をした時、零下35の冷蔵庫にいたことがありましたが、あの痛寒さを、大連で感じたのです。靴屋を探して家内に靴を買いましたが、spike は天津では不要だったのです。中国にいる間中、押入れのケースの中にしまったまま、帰国時に、置いて帰って来てしまいました。

 いくつも街に住んで、大雪(おおゆき)の経験は、子どもの頃と、中部山岳の街の三十数年の間に、2回ほどあったでしょうか。ここでも山を越すと、新潟県に寄った地には、これから積雪の季節がやってくるのでしょうか。そうしたらローカル線に乗って、駅弁を持ち込んで、車窓から雪景色、窓ガラスを打つ「霙」を眺めてみたいものです。

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物を大切にする

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 『わが子よ。あなたの父の訓戒に聞き従え。あなたの母の教えを捨ててはならない。(箴言18節)』

 『負うた子に教えられ!』、行き道に迷った時に、背中の子が、『お父さん右の方!』と言って教えられることなのですが、長男と同い年の一人の野球人から教えられたことがあります。

 今、時の人となった日本ハム・ ファイターズの監督に就任した新庄剛志のことなのです。就任以降の言動でもありません。BIGBOSS が、プロ野球選手として、阪神タイガースや日本ハムやMLB(米リーグ)で活躍していた現役時代のことなのです。

 私の育った街の家の近くの空き地、旧国鉄の貨物の積み込み積み下ろしに作業上の空き地で、学校から帰ると、三角ベース野球をやっていました。軟球で、ほとんどが素手で球を取り、棒切れを加工したバットででした。庶民の子たちが夢を見ながらの遊びだったのです。

 私たちの長男が、『野球をしたい!』と言うことで、「スポ少」に入った時に、練習着とクローブとバットを買って上げました。『プロの選手になったら、お父さんとお母さんに自動車と家を買って上げるね!』と、野球小僧の常套句を言っていましたが、その言葉は果たすじまいに、野球から、息子は離れてしまいました。

 新庄剛志は、プロ野球選手になった時に、初任給でグローブを買いました。大阪に本社のあるZETT社製で、7500円だったそうです。プロ野球選手としての17年の間、修理を重ねながら、それを使い続けたのです。NLB日本プロ野球では、守備への高評価の《golden globe 賞》を、「10回」も獲得していた選手でした

 プロともなれば、〈使い捨て〉が当然のように思われますが、17年もの間、同じグローブを使い続けると言うことの中に、驚くべき決心や物への愛や感謝などがあるのが感じられるのです。お父さんが、『商売道具は大切にしろ!』が言った、その一言が、その動機付けだったのです。

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 《物を大切にする》と言うと、私の弟の使っている皮の肩掛けバッグを見て、その言葉の意味が分かるのです。当に処分すべき代物で、皮はハゲ縫い目はほつれたのを、自分の手で縫い直しては、手入れをして、今なお現役で、誇らしく使い続けているのです。ほんとうに見栄えの全くない、老いぼれたバッグです。それなのに、教え子たちが、恩師への感謝で贈答してくれた《宝物》は、捨てられないでいるのです。教え子のみなさんが知ったら、どんなに嬉しいことでしょうか。

 家を持たない家内と私のために、中国にいる間中、帰国時に過ごすために、彼の退職金などで買ったマンションの一室を、《私たちのための部屋》として用意してくれていたのです。なんと兄夫婦想いの優しいことでしょうか。家内の帰国時の通院、そして発病、入院、通院で、さらにはコロナ禍で、この部屋は使えないままでいます。

 彼は、シャツの襟を裏返しにして、自分の手で、針と糸で縫い直して着続けているのです。そう言った事を、父を見てたのでしょう。良質な物を使うのを旨としていた父は、誂えたワイシャツの襟が擦り切れると、裏返しにしてもらって着続ける人でした。一棹(ひとさお)のタンスと本箱だけを持つだけの《簡素な生き方》をし続けていたのです。そのタンスの上に背広や小物を入れた紙箱が二つほどあったでしょうか。天に召された時、何も持っていませんでした。物への執着のない人で、持っている物も大切にしたわけです。新庄剛志と弟と父の生き方を思い出した、物の溢れる師走です。

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