忘年か歳忘れか

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 今日は12月1日、『もう!」という、時の過ぎゆく早さです。老朽化と、一昨年の台風被害で、家の取り壊しが、この街のあちらこちらで行われ、通りに両側が歯が抜けるように、更地が増えている昨今です。かつては、『〈〇〇通り〉と呼ばれて、それはそれは賑やかでした!』と聞きます。先頃、〈銀座通り〉のアーケードの屋根が、取り払われ、昔の繁栄を知る地域の人は、肩を落としています。

 そんな駅前空洞化の進む街の外れに住み始めて、3年近くなります。江戸時代には、日光例幣使街道の宿場で賑わい、江戸との物資の輸送を担う「舟運」で栄えた地域なのに、お年寄りの多さが、目立ちます。日曜日の朝の〈ラジオ体操会〉に誘われ、〈脳梗塞に気をつけましょう!〉の講習会にも誘われ、先頃は〈老人会〉にも誘われ、紅葉狩り&蕎麦食べ会に参加するようになっています。

 すっかり地域に馴染んでしまいました。刻の野菜や果物を頂いたり、お土産のお裾分けも分けてもらい、なんだか父母の時代に住んだ街の〈隣組〉のような関わりができて来ました。そうしましたら、今度は、〈忘年会〉なのだそうです。お酒は飲まないし、今年だって、〈忘れてしまいたいこと〉など皆無な私たちで、感謝して生きた年だったので、参加を躊躇しています。

 この「忘年」という言葉は、中国の故事「忘年の交わり」に由来するのだそうです。もともとは「歳(とし)忘れ」の意味だったのだそうです。それが、過ぎて行一年の苦労を忘れる「年忘れ」に、摺り替わってしまったようです。

 昔は、高貴な人たちが、「歳忘れ」という会合をもっていたのだそうです。そこで和歌を詠み合い、連歌を詠む会が、いつの間にか定着してしまった〈忘年会〉なのです。職場にいた頃、言いたいことを普段は言えない人が、酒の勢いで何でも言ってしまうような無礼講になってしまって、責め合いになるので、嫌いでした。

 〈感謝会〉の方がいいですね。家族で参加するような食事会になるような会社もあったようです。まあ〈ご苦労様会〉で、賞品がもらえたり、プレゼントの交換会になるのならいいですね。そんな意識改革があったらいいのに、こう言ったことは旧態依然が、日本の社会なのでしょうか。

 昔の賑わいを忘れられないのは人の常、先日の年配者の紅葉狩りの遠足で、会長の床屋さんが、『俺のオヤジが、学童疎開の子どもたちの頭を刈って上げるために、バスに乗ってやって来たのは、この村だったよ!』と、オヤジさんの出身の村を語っていました。奥深い村から、賑やかな栃木の街に出て来て、丁稚奉公をして、〈暖簾分け〉で独立したのでしょうか、お嫁さんをもらって店を出して、二代目を継いだ会長も80後半のお爺さんです。折角の出会い、正月前に、二十年来自分で刈ってきた坊主頭を、綺麗にしてもらいに行こうか、思案中です。

(賑わっていた頃の栃木市の繁華街です)

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