天狗党

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 「出流天狗党」の事件が、幕末維新にあったようです。ここは水戸藩が近かったからでしょうか、そこでも「水戸天狗党」の蜂起があったと言われています。さらに北関東で江戸との関わりが強かったからでしょうか、討幕の拠点とされたのでしょう。「戊辰(ぼしん)戦争」の発端になった事件だったのです。鍋山村(今の栃木市出流)の出流山万願寺に立て籠って、尊皇討幕を期す一団が、慶応3年の晩秋に蜂起をしたのだそうです。

 今では、平和な村で、蕎麦が名物で名を馳せていますが、幕末に起こったことも、150年も経つと忘れられてしまっているように、蕎麦祭りに大勢の人が訪ねていました。市営の「ふれあいバス」に乗るために、幸来橋のたもとの停留所から、紅葉狩りに出かけたのですが、巴波川に架かる、この橋は、以前は、「念仏橋」と呼んでいたそうで、ここで、「念仏橋の戦い」があったのです。そこには、栃木宿の四方にあった一つの「木戸(宿場の入口)」があり、その辺での戦だったそうです。

 住んでいるアパートのそばに、「うずま公園」があって、そこに一基の供養塔があります。石塔に「西山尚義(謙之助)」と刻まれています。美濃国の人で、勤皇の志士、23歳で、その戦いで戦死した後、そこに葬られたのです。イギリス支配で、麻薬中毒者で溢れていた、清国の上海の街の植民地支配の惨憺とした窮状を、つぶさに見た高杉晋作の恐れは、当時の若者たちに共通する思いであったのでしょう。

 家族連れの子どもたちが遊具に乗ったり、お年寄りが談笑したりする、長閑な公園の近場で、そんな戦闘があり、死者が出たとは思えないほど、隔世の感がいたします。

 こんな近くに、幕末を感じさせ、その激しい時代の動きが、北の方の鍋山や出流山、日光例幣使街道の宿場町にもあったわけです。日本の歴史の中で、最も大きな動きのあった時期でした。

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