感嘆の的

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 『目を高く上げて、だれがこれらを創造したかを見よ。この方は、その万象を数えて呼び出し、一つ一つ、その名をもって、呼ばれる。この方は精力に満ち、その力は強い。一つももれるものはない。(詩篇4026節)』

 華南の街の学校の同僚に、「茜(あかね qiàn )」と言うお名前の女教師がおいででした。就学前の男の子さんを連れて、わが家にやって来られたことがありました。日本語の教師をされていて、博士号を、早稲田大学に留学して取りたいと願っておられました。それでも、なかなか道が開かれなかったのです。

 きっと、真っ赤な夕焼けの綺麗な夕方に生まれたのでしょうか、ご両親が、そう命名されたのです。寒くなって来たのでしょうか、北関東の太平山に沈んでいく太陽が、未練を残すかのように、茜色になって沈んでいきます。

 この「茜」は、根の部分が、「赤根」と呼ばれる植物で、草木染めに用いられてきました。野原や道端のどこでも生える草で、蔓は3mくらいにもなるようです。「茜さす」と言うように、枕詞にもなっています。

 あかねさす日の暮れゆけばすべをなみ 千たび嘆きて恋ひつつぞ居る

 万葉集の中にもみられます。「紅」でもなく、「赤」なのです。私の生まれた村は、奥深い山峡の渓谷でしたから陽の光は乏しく、朝焼けや夕焼けの記憶は全くありません。七十前半から住み始めた北関東は、関東平野の外れで、東に筑波山が見え、晴れた朝は、新しい一日を祝すかのように、その周りから陽が昇ってくるのを眺めることができるのです。それだけで、心が躍って来ます。

 夕べには、富士山から太平山にかけて、稜線をクッキリと浮かび上がらせるように、日が沈んでいきます。それに宵の明星が煌めきを添えています。創世の昔から輝き続けている天体を、地球は、一日をかけて自ら回転しながら、季節によって角度を変えながら眺められ、いつも勇気付けられ、励まされ、また慰められるてきているのです。

 内蒙古の呼和浩特 Hūhéhàotè の草原で見た星空は、驚天動地でした。その深遠

な輝きは、まさに神秘的でした。星雲の中に吸い込まれそうな錯覚を覚えるほどだったのです。。八ヶ岳の自然の家の戸外で眺め、福岡の八女の星野村で見上げた星夜も素晴らしかったのですが、それとは規模が比べられないものでした。見上げる場所で、これほど違うものだと言うことに驚かされました。

 南十字星を見たかった私は、教会のセミナーに参加で行ったアルゼンチンと、義兄訪問で寄ったブラジルで、見る機会があったのですが、天気のせいでしょうか、眠かったからでしょうか、願いを果たせないまま帰国してしまいました。

 2006年の夏に、中国語の語学学校に留学するために、中国東北部の天津に出かけて、イギリスのNPO法人が探してくださったアパートの七階に住み始めたのです。。その 阳台 yangtai(ベランダ)から、大陸の地平線に沈んでいく真っ赤な色に染まった大きな太陽に、圧倒させられたのを、昨日のように覚えています。

 切なかったのは、子どもの頃に、枯れ草の中で見上げた夜空に輝いていた星々です。青く冷ややかだったのは、家出の身の上の寂しさゆえだったからなのでしょうか。同じ星の光なのに、境遇や立場によって、こんなにも違っていたのです。そう言えば、「星の王子様」も、星の追っかけをしていました。

 太陽を周回する「惑星」の一つの地球に、78億7500万もの人が住んでいて、様々な営みが繰り広げられているのですね。愛したり憎んだり、助けたり奪ったり、笑ったり泣いたり、喜んだり悲しんだりしています。宇宙旅行もできそうな時代を、私たちは迎えているのですが、神秘の世界に、どこまで入っていけるのでしょうか。

最高の神秘は「人」ではないででしょうか。万物の創造の最高傑作です。茜色の夕空を染める空を造り、それに感動する人を造られた創造者がおいでです。このお方は、私たちの「感嘆の的」でいらっしゃいます。

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