話を聞いていて、上手だなっと思った人が、これまで何人かいました。森繁久彌は上手でした。NHKと旧満州の放送局でアナウンサーをしていた過去があったようです。話に「間(ま)」があったからでしょうか、聞きやすかったのです。また若い頃に、「活動辯士」をしたことがある、徳川夢声は、その上を行くのでしょうか。ラジオで、その話を聴いた覚えがあります。この方が、「座談十五戒」を上げておられます。
①一人で喋るな、②黙り石となるな、③反り返るな、④馬鹿丁寧になるな、⑤世辞を言うな、⑥毒舌になるな、⑦こぼすな、⑧自慢するな、⑨法螺を吹くな、⑩酢豆腐になるな、⑪賛成だけするな、⑫反対だけするな、⑬軽薄才子になるな、⑭愛想を欠かすな、⑮敬語を忘れるな、というものです。
聴いてくれる人のことを考えながら、話すための自戒だったのです。こう言った話し上手から学んだのでしょうか、NHKのアナウンサーに、中西龍(りょう)がいました。わが家にはテレビがなかったので、子どもたちと食事を終え、後片付けが終わって、九時過ぎには床に入ったでしょうか。
毎晩とはいかなかったのですが、こっそり小型ラジオを布団の中に入れて、九時半になると、イヤホーンで、NHKの「にっぽんのメロディー」を聞いていました。早口の喋りなら敬遠していたのでしょうけど、一日が終わって聞くには、ふさわしい話ぶり、独特な「間」のある話で、三曲ほどのリクエストの歌謡曲を流す番組だったのです。
聞いて、色々な光景を、私が思い描くのは、学校に行けなくてラジオを聞いて育ったからでしょうか、懐かしさもあって、その番組の隠れ大フアンだったのです。この方が、同じ学校の卒業生であったのも、贔屓の原因だったに違いありません。
『歌に思い出が寄り添い、思い出に歌は語りかけ、そのようにして歳月は静かに流れて行きます。みなさま今晩は、〈にっぽんのメロディー〉、中西龍でございます!』と語り始め、最後に俳句を紹介し、「赤とんぼ」の曲が流れて終わるのです。徳川夢声や森繁久彌を聞いて知っている私は、その話の「間」に倣った話し振りだったのに気付いたのです。
自分が話をすることを仕事にしていましたので、「間」の置き方に注意しながら話したのを追い出すのです。教員をしていた時には、学校中で一番大きな声だったそうで、生徒がそんなことを言っていました。話す訓練を受けたわけではなく、見様見真似でやっていたので、大声で誤魔化していたのかも知れません。教壇で「間」なんか必要ありませんでした。
『それから、イエスは彼らにこう言われた。「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。(マルコ16章15節)』
「福音」を語る説教者にならせていただいてから、話し方に気をつけていました。救世軍の山室軍平は、説教上手だったと聞いていました。それを聞いた多くの人がが、イエスさまを「キリスト」と信じて入信しています。この方の説教集を手に入れ、手元にあります。「いのちの電話」を日本で始められた菊池吉弥牧師の説教は、何度聞いたことでしょうか。また中国には、宋尚節(Son Shang gjie )と言われる伝道者がいて、中国各地から東南アジアにかけて、福音宣教で訪ね、夥しい人々を「キリスト」に導いたと言われています。
説教集は読みますが、音声の説教で、印象深かったのは、改革派教会の岡田稔牧師でした。話される態度を学びたかった方です。ホーリネス教会の村上宣道牧師も、説教内容と話の展開が素晴らしかったのです。この方を模範に、このホーリネス派に属する牧師の話し方が似ています。私を育ててくださった宣教師は、話の組み立て方が理路整然としていて、実に聞きやすかったのです。
説教者の模範としては落語家は違うかも知れませんが、「間」の取り方は素晴らしく、真似たいと思いつつ、今日に至りました。若い頃、寄席に行ったことがあったからでしょうか。その落語家、噺家に、「名人」とか、「名席」とか言われる方がおいででした。橘屋圓喬(たちばなやえんきょう/四代目、慶応元年生まれ、御家人の子、七歳で三遊亭圓朝の弟子になっています)が、数ある噺家の中では最も評価が高いそうです。音源があって、聞くことができます。
圓生、小さん、馬生、志ん生などは、本当に上手な噺をしていました。今では、youtube で聞くことができますが、笑わせるだけではなく、納得させられたり、うなずかされる話っぷりがあって、『うまいなあ!』というのが、正直な印象です。聖書に出てくるパウロや、聖書から話をしたスポルジョンは、どんな話し方だったのでしょうか、聞いてみたいものです。
(「キリスト教クリップアート」からです)
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