浪漫があって、nostalgic (懐旧の思いや望郷の念)なことってあります。昨夜、降誕節の夜でしたが、その朝、起きてみると、枕元に、綺麗に包装された present が置かれてあって、嬉しく解いたのは、子どもの頃の思い出なのです。
父は、拳骨おやじでしたが、四人の子を喜ばせることに心を向けてくれていたのです。そのゲンコツは、善悪の基準や従順を学ばせるための親爺の流儀でした。メソメソ生きたり、誤魔化して、狡く生きたりしないように、男らしく生きるようにと、躾けてくれたのです。
母がクリスチャンで、父も幼い日に、横須賀の街の教会に連れて行かれたりしたことがあって、この時期には郷愁を覚えていたのでしょうし、何しろ、親爺似のヤンチャな四人を、喜ばせたかったのです。カルメ焼を、コンロの上にお玉を置いて、ザラメと重曹で作っては、順番に『喰え!』と言い、会社帰りには、ケーキやソフトクリームやあんみつや佃煮、旅行帰りには、崎陽軒の横浜シュウマイ、福島の薄皮饅頭などを買ってきてくれました。
それと同じだったのでしょう、今朝の私の枕元に、その present はありませんでしたが、思い出がありました。二度と帰ってこない光景が、まぶたの裏に映し出されて、ちょっと泣けそうです。
私を育ててくれた宣教師は、アメリカ人なのですが、降誕節を祝いませんでした。異教の習慣であり、冬至の祭りの祝い日であったり、昔の有力部族の頭目の誕生日だったのを、ローマ教会が真似て、祝うようになったのだそうです。それで、ご自分の確信に立って、世の世の動きに流されずに、我が道を歩んだのです。
家内の家族を導いた、進駐軍のマッカーサー司令官が送った宣教師の教会では、お祝いをしていたそうです。そんな中で育った家内の家族なのですが、引越し先の教会では、降誕節を祝わなかったのです。
神が、人となられて、処女マリヤの胎に宿り、私たちの間に来られ、33年半のご生涯の後に、十字架に死なれ、葬られ、3日の後に、蘇られ、再びおいでになられると言う、イエスさまのご生涯は、聖書通りに信じ、感謝していますが、この世の習慣としての行事には、参加しないのです。
大分頑固な教義ですが、聖書の字義通りの解釈なのです。『三つ子の魂百までも!』で、教えられたことが事実なので、この世の習慣に戻っていくことが、私にはできないでいるのです。他の人の立場は認めますが、「三百六十五日の主」は、一日一日が、主の誕生日、死なれた日、蘇られた日なのです。
『降誕節を祝わない教会は、異端ではないか!』と言われ続けても、平気の平左で過ごしてきました。
パウロが、
『ある日を、他の日に比べて、大事だと考える人もいますが、どの日も同じだと考える人もいます。それぞれ自分の心の中で確信を持ちなさい。(ローマ14章5節)』
パウロは、降誕は信じましたが、降誕節を祝いませんでした。でも、他者の確信は、その人の決まりや習慣であって、それに干渉しなかったのではないででょうか。ただ、パウロが厳しかったのは、罪や虚偽であって、それはには容赦しませんでした。
でも父の present は懐かしくって、頬擦りしたいほどの「思い出」なのです。誰にも「ふるさと」があるように、nostalgie を呼び起こす出来事が、過ぎた日にあるのですね。
昨日の午後、県北で牧会される牧師のお嬢さんとお孫さんが、訪ねてくれました。定番はケーキなのですが、福島土産の「薄皮饅頭」と、美しい包装紙で包んだ「星野富弘カレンダー」を present してくれました。二組の夫婦で、美味しく一緒にコーヒーを飲んだことのあるお父さまは、同年生まれの同業者、今、肺炎ななられて、入院中とのこと、平癒をお祈りいたします。そう降誕節って、《祈りの日》に違いありません。
(“キリスト教クリップアート”から「祈り」です)
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