それでも人生にイエスと言う

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 画期的な発見だと言えそうです。先週、ノーベル生理学・医学の分野での受賞者が発表され、大阪大特任教授の坂口志文さんらの研究者グループに決まったと、ニュースが伝えていました。どんな分野での研究への表彰だったのかと言いますと、『過剰な免疫反応を抑えるブレーキ役の細胞が存在することを発見した!』と言うのです。

 人の存在、誕生自身が神秘に満ち溢れているのですが、良いものもそうでないものも、両方とも、私たちは両親から受け継いで生まれてきているわけです。父と母から、よいものと、そうでないものを受け継いで、この私があります。身体も性格も、全人的にです。父に似たもの、そして母に似たものに、これまで思い当たって苦笑することがよくありました。

 夜空を見上げては、宇宙が、どんなに神秘にあふれているかを、固唾を飲んで驚くことが多いのですが、この五臓六腑の身体、この性格、自分の神秘的な存在こそが不可思議でなりません。先日、豊漁のキラッと輝いていた秋サンマを買って、母がしていたように焼いて食べたのです。もちろん七輪の上の焼き網の乗せて、モクモクしてたのとは違ったのですが、フライパンで焼いて、懐かしくも美味しく食べたのです。

 ところが、子どもの頃に何度もやった様に、小骨を喉に引っ掛けてしまいました。ご飯を飲み込んだり、エッエッ!と、やっても取れませんでした。『まあいいか!』で忘れていましたら、よく朝には取れていたのです。人の体は、異物の侵入にさえも、それを吐き出されることを、経験的に知っていたから、喉の小骨のことを考えないで、と寝ついたわけです。そんなことも処置してくださること、これでさえも神秘なのではないでしょうか。

 いわんや細胞の中に、ガンやアレルギーなどと闘う働きをして、ガン細胞の増殖を抑制したり、駆逐してしまう細胞が、生まれながらに、人に備えられていると言うのには驚いてしまいました。

『それはあなたが私の内臓を造り、母の胎のうちで私を組み立てられたからです。
私は感謝します。あなたは私に、奇しいことをなさって恐ろしいほどです。私のたましいは、それをよく知っています。 私がひそかに造られ、地の深い所で仕組まれたとき、私の骨組みはあなたに隠れてはいませんでした。(新改訳聖書 詩篇139篇13~15節)』

 昨日、新しいiPadの購入を子どもたちが話し合ってくれて、買って送ってくれました。さっそくsetupのために次男が駆けつけてくれたのです。新製品で、新しい機能が搭載されていて、使い勝手が一段と良くなって満足なのです。大空に飛んでいる電波を、こんな小さな機械がキャッチし、この文字を打ち込んで、ブログを作成し発信したり、ノーベル賞の受賞のニュースを読んだり、見たりできる機会にも、目を見張る様な改良にも驚かされています。

 この驚くべき文明の機器が、Macによって作られているのですが、iPad以上の精密なものが、この人体、生命、臓器、人なのです。偶然の積み重ねで出来上がったとは、決して思えません。綿密に意図され、計画され、さらには愛に溢れた願いで造られた以外に、私には考えられないのです。

 人類の敵のガンが、もう制圧されるのでしょう。ガンを恐れずにいられる、そんな発見への表彰だったのです。坂口夫妻が、研究を始めたのは、『そんな細胞は存在しない!』とされた時代だったそうです。さらには、どんなに研究を重ね、続けても、うまくいかなかったのだそうです。理解されずに、むだな研究だと言われ続けても、この夫妻は諦めませんでした。まさに「朴念仁(ぼくねんじん/むくちで無愛想な人やがんこで物わかりの悪い人のこと)」になりきって、「99%の努力」を実践した結果の発見だったのです。

 この坂口さんは「志文(しもん)」と言う名を、お父さんにつけていただいたそうで、出典は聖書なのです。また愛読書は、「夜と霧(ヴィクトール・フランクル著 みすず書房刊)」を上げておいでです。以前に読みましたが、なくしてしまいましたので、市の図書館から借り出して、また読み始めているところです。心理学者で医師の著者が、極限のアウシュビッツ収容所での体験を著された著書です。

 収容所での体験一つは、収容所から出られたら、何かを学ぼう、結婚しようという望みを持ち続けていた人たちが、極限を生き抜くことができたのです。その体験から、『それでも人生にイエスと言う!』と言うのが、フランクルのHolocaustで得た教訓だったのです。収容所から解放されると言う望みを持ち続けた人こそが、悪夢の様な時を通過させてくれたことになります。

 その言葉に励まされて、人の内に備えられたものと、心の中にある「希望」を持ち続けて、今日まで生きてこられ、「信仰」や「愛」をも持てたことも、神秘や奇跡に違いありません。生きるって素晴らしいことなのですね。

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