アッ!

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 『隠れているもので、あらわにならぬものはなく、秘密にされているもので、知られず、また現れないものはありません。 (ルカ817節)』

 隠された物は、いつか露わにされる、そう聖書は記しています。今年も、去年に引き続いて、コロナの蔓延で、世界中で、生きることの厳粛さを感じさせられたのではないでしょうか。顕微鏡でしか認めることにできないヴィールスが、感染症の猛威を、人類に思い出させました。そして世界を塗炭の苦しみや恐れの中に突き落として、なお年明けには、〈六波の到来〉に怯えいるのが現状です。

 でも今頃になると、必死さが感じられないで、『どうにかなりるのでは!』という空気が立ち込めていないでしょうか。昨日現在の統計で、感染者数が 27,990万人(前日比50.4万人増、死者が569.8人(前日比9,016人増)です。

 聖書を読んできて、

 『それから、イエスは彼らに言われた。「民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、大地震があり、方々に疫病やききんが起こり、恐ろしいことや天からのすさまじい前兆が現れます。(ルカ211011節)』

 言い知れず、人の心の中に潜んでいる「恐れ」や「不安」が、浮き彫りにされて、露わにされてきています。疫病の蔓延は、この「方々に疫病が・・・起こり」と言う預言の言葉と無関係ではなさそうです。時間が、この問題を解決してくれるのか、これまで以上の対抗措置によって終息させられるのか、それとも諦めてしまうのでしょうか。

 楽観論者は、年が明けると、どうにかなるのではという思いが感じられます。上京した翌日の今日は、買い物に誘われて、友人家族と出かけました。年末の正月用品の市場やスーパーマーケットは賑やかで、子どもの頃の賑わいを思い起こされ、これまで抑えられていた思いが、吹っ切れて、大挙して人が季節行事のさいまつの買い物に追われているのです。

 かく言う私たちも、我慢や禁を冒して、上京してしまい、買い物までも付き合ってしまいました。でも、言い知れぬ〈解放感〉を覚えている、晦日(三十日)の夕べであるのが事実です。買い物帰りの夕陽がくっきりと綺麗で、天空の自然界は、美しく輝いて、創造の美を楽しませてくれるのです。来年は、どんなと年になるのでしょうか。

 きっと、新しい年に、『アッ!』と叫んでしまうようなことが起こるかも知れません。それは、喜びだったり、祝福だったり、感謝だったりであるように願うのですが、何が起ころうとも、その現実の中で、精一杯に生きる覚悟でおります。

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