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呉市の郊外に咲く花です( HP「里山を歩こう」からです)。
「ヤマザクラ」、「クサイチゴ(身がなると食べられるそうです)」、「ショッカサイ(ムラサキハナナは中国原産です)」です。
月: 2018年3月
謙虚
ダグ・ハマーショルドは「道しるべ」の中で、謙虚さについて自分を戒める数多くの記述を残していますが、彼の名言を13の特徴にまとめてみたいと思います。
文章は本書そのままですが、漢字や送り仮名を読みやすくしています。例えば、較べる→比べる 情ない→情けない といった具合です。
耳を傾ける
おまえがけっして耳を傾けたがらないなら、聞こえるという能力を、おまえはどうして保持してゆくことができようか。
神がひまをかけておまえにかかずらうべきだ、ということがおまえには当然のように思われるらしいが、そのくせおまえのほうでは神にかかずらうひまがないとは!(p28)
自分の話をだれかに聞いてもらいたいなら、まず自分が耳を傾ける必要があります。
人生を見限らない
人生とはそんなにも情けないものなのか。むしろ、おまえの手のほうが小さすぎ、おまえの目のほうが濁っているのではないか。おまえのほうこそ、成長しなければならぬ。(p59)
辛い状況に直面しても、謙虚さがあれば、決してあきらめません。問題の原因を自分の外ばかりに求めず、自分の内なる問題を正して、成長しようとすることがうかがえます。
今あるものに満足する
彼は幼い娘を連れてやってきた。その子はいちばん上等の晴れ着を着ていた。…だが、…あれは前には別の幼い娘のよそ行きの外套だったのだ。
…しかしその子は満足していた。…それというのも、…もうある種の謙遜を知っていたからである。…おまえはまだこれからその謙遜を理解せねばならぬ。それは、決してひき比べることをせず、今あるものを退けて、“別のもの”や“もっと多くのもの”を求めようとすることの決してない謙遜である。(p73)
必要以上のものを求めたり、不平を言ったりせず、境遇に満足することも、謙遜さの一面であることがわかります。
賞賛を求めない
「我が心身をすり減らす」―自分の仕事をしながら、しかもほかの人たちのために。―それはそれでよい! しかし、そうしてよいのは、自分の姿をあたりに見せつける(おそらくは、他人の賞賛を得たいとさえ願いつつ)ためでない場合に限ってのことである。(p88)
彼は新しい道を切り開いた―それができたのは、他人が後からついてくるだろうかとか、せめて自分を理解してくれるだろうかとさえ自問することなく、ゆくべき道を進みゆく勇気が彼にあったればこそである。(p109)
何をしても感心してくれない、おまえに対する批評家たちに対して、感謝するがよい(。p159)
周りの人の称賛を求めず、純粋な動機で努力することも謙虚さの特徴だとハマーショルドは述べています。
あらゆる人から学ぶ
「あいつが俺にものを教えてくれるんだって?」―いいではないか。おまえに何かしら教えることができないような者は、誰ひとりとしていないのである。万人を通じて語りたもう神にとっては、おまえはいつまでも幼稚園の最低学級の子どもなのである。(p103)
だれの意見も頭ごなしに拒んだりせず、何かを学び取ろうと耳を傾けることも大切です。
権威を振りかざさない
おまえの職務は、支配する権利をおまえに与えてなどはいない。ただ、他人が屈辱感なしにおまえの命令を聞き入れることができるよう、自分の生き方を正してゆく義務をおまえに課するに過ぎぬ。(p105)
謙虚な人は、他人を正すためではなく、自分を正すために権力を用います。
自己吟味する
賛辞を得たい―あるいは、裁きたい―と思うときには、あの鏡に映ったおまえの姿を見るがよい。絶望に陥らずにそうするがよい。(p108)
だれかから称賛されたい、だれかを批判したいと思う場合は、自分を内省し、そんな資格が自分にあるだろうか、と考えるべきです。
できることをする
できることをせよ―そうすれば任務が手に余ることもなく、軽やかに片づけてゆくことができよう。
その軽やかさに力を得て、おそらくは次にやって来るかもしれぬ、より厳しい試練に向かって、希望を持って向かってゆくことができよう。(p121)
謙虚であれば、どんな困難な状況でも自分のできることを分析し、常にベストを尽くします。
慢心しない
さらに前へ! 山頂寸前のあと何歩かを登りつめるにあたっての注意こそ、それまでのすべてに価値があったかどうかを左右するのである。(p142)
謙虚な人は自分の能力を過信せず、注意深く事を進めます。
ためらわず与える
感謝し、そして用意を整えよ。おまえはなにもしないのにすべてを得たのである。求められたら、ためらうことなくおまえの有するすべてを捧げよ。それはつまるところ、全体と比べたら何物でもないのである。(p143)
感謝の気持ちを忘れず、出し惜しみすることなく能力や資力を活用します。
今を生きる
振り返るな。また未来を夢見るな。そんなことをしても、過去を返してはもらえないし、ほかの幸せな夢想をも満たしてはもらえないのだから。おまえの義務、おまえの褒賞―おまえの運命―はいま、ここにあるのだ。(p155)
今の状況が良くないと、つい昔は良かったと過去を振り返ったり、未来を夢想したりしがちです。しかし謙遜さがあれば、独りよがりな態度を避け、現実から目を背けたりせず、今できることに集中します。
比べない
謙虚とは、自賛の反対であるとともに、卑下の反対でもある。謙虚とは自己を他と比較せぬということに存する。自己は一個の実在であるがゆえに泰然自若として、他の何物ないしは何者よりも、優れてもおらず、劣ってもおらず、大きくもなく、小さくもないのである。(p168)
謙虚な人は、自分をだれか、あるいは何かと比較しません。自分を過大評価してだれかを見下げることも、自分を過小評価して価値がないと考えることもありません。
謙遜になりきれないことを知っている
これらの覚え書き?―これらはおまえにとって…断じて見失ってはならぬ定点にまで到着してから立てはじめた道しるべなのである。そして、いまもそのことに変わりはない。
しかし…いまでは、いつかは読者ができるかもしれぬことを、おまえは念頭に置いている。おそらくし、読者をほしがってさえいる!
…だれかほかの人にとっても意味があるかもしれない。さよう―ただし、それはただ、おまえが書きつづる言葉に、虚栄心や自己満足をたち超えた誠実さがこもっている場合に限られる。(p142)
自分は謙虚であると主張するなら、実際には、謙虚さを誇っていることになります。本当に謙虚であれば、自分が謙虚になりきれないことを自覚し、謙虚であろうとする努力を怠りません。
[引用先 HP「いつも空が見えるから」]
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これは、元国際連合の事務局長をされていた、ダグ・ハマーショルド氏の「日記」を、友人が編集して著した「道しるべ」から、このHPの著者、"SUSUMU AKASHI"氏が作成したものです。
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カタクリ
第2の人生
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高崎線の深谷の駅に停車している、205系の電車の最後部の表示に、「ジャカルタ」とあります。「ジャカルタ行」なのですが、海を渡って運行する事ができないのにどうした事でしょうか。先日のネットの配信記事にあった写真です。
この車両は、JR東日本の千葉車両基地から、新潟港まで運ばれて、海路をインドネシアに運ばれて、《第2の人生》を過ごすために、譲渡された336両の内の一部で、その最後部の車掌室(運転室)の表示に、「ジャカルタ」を掲出したものです。こんな《遊び心》が、日本の会社でできる様になったのが意外ですが、大喜びしています。
いつか武蔵野線で走っていた車両が、ジャカルタで走る姿を、この目で見たいものです。日本とインドネシアの関係が友好的で、有効利用で再利用をしてもらえるには素晴らしい事ですね。私も、《第2の人生》をしっかり過ごす事を忘れない様にしようと思ったところです、
(深谷駅の駅舎をバックにした205 系の電車。行き先表示は、「ジャカルタ」だ-写真は、◇はや◇@Hachiko110DCさん提供)
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オランダ
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去年の秋、腱板断裂箇所の縫合手術後の6ヶ月検診で札幌に行きました。その検診の結果は、順調に回復途上にあるとの事だったのです。翌日一緒に行ってくれた家内を誘って、「北海道大学」の校内を散策したのです。私の学んだ学校は、都内の港区にあったのですが、敷地の中に中学校も高等学校もあって手狭でしたので、東京郊外に運動場や教室を持っていました。ところが北大は、札幌駅の至近にあって、羨ましいほどの広さで、自然が溢れるキャンパスを誇っていたのです。
その校内に、いくつもの胸像が置かれていたのですが、その中に、国際連盟の事務次長を歴任した「新渡戸稲造」のものがありました。『太平洋の橋にならむ!』と、札幌農学校(北大に前身です)」の第二期生として学んだ人です。盛岡藩の侍の子でした。その若き日の彼の夢が実現して、国際人として活躍したのです。
この新渡戸が務めた国際連盟は、戦後、「国際連合」となりますが、その中に、世界中の子どもたちの命と健康を守るために活動をする「ユニセフ(国際連合児童基金)」という機関があります。健全に子どもたちが成長する事を願うために、様々な努力をし続けてきているのです。
この「ユニセフ」が、最近、世界の先進31カ国を対象にして、『世界で一番幸せなのは、どこの子どもでしょう? 』と言う調査をしたそうです。その調査結果、「オランダ」の子どもたちが、最も幸せを享受していると言う結果でした。住、教育、安全と言う各国の環境を調べたのです。どの項目も、「オランダ」が上位を占めていました。
子どもたちを、大人や教師ががいじくり回したり、過度に心配をしないで過ごさせているのです。そんな様子が、「世界一幸せな子どもに親がしていること(日経BP社刊/イギリス人とアメリカ人のお母さんの共著)」にあります。教育の圧力の強い日本や中国では考えられない事ですが、教育実績を上げていると聞くと、真似たい気持ちがいたします。
「オランダ」って、領土の"3分の2"が海岸線よりも低くいとの問題があって、「風車」で海水をかい出す風景を、子どもの頃に見て、『どんな国なんだろう?』と思い続けてきた国です。牧畜業が盛んでチーズなどの乳製品や木靴を吐く事でも有名でした。サッカー選手なども多く輩出していて、体が 大柄な国民なのです。
この様なオランダの学校には、東アジアの子どもたちが羨ましく思う事でしょう。ここには宿題も制服も受験戦争もないのだそうです。良い成績を取る事が教育の目的ではなく、どの様に仲良く楽しく、級友たちと過ごすかが優先されているそうです。だからと言って学習が疎(おろそ)かになってはいないで、学習効果はずいぶんと高い水準を示している様です。
「教育」というラテン語は、『人の内側にある可能性を見つけて引き出す作業』だと学んだ事があります。一面的な画一教育ではなく、"ユニーク"な教育によって、これからの子どもを育てて行ったら、内に隠れた素晴らしい特質を見つける事ができ、有為な人を生み出せそうですね。
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暗記
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先日、「読書会」に出席していた時の事です。20人ほどの大人が、そこにいたでしょうか。終わりかけた時、大切な箇所を一箇所取り上げて、暗記する事になったのです。5分ほどの間、二節ほどの文章を、一人一人が、ブツブツ言いながら覚え始めていました。『お終い!』の声が掛かって、全員で暗唱し始めたのです。ほとんどの方が覚えてしまっていて、家内と私は、モグモグしてるだけでした。
みなさんのすごい能力に、今更ながら驚いたのです。この国の学校教育は、授業時間の間に、多くの事を暗記する時間をとって、記憶の中に、その重要な文言を刷り込むのだそうです。家内の日本語クラスに来ている高校生も、日本語の会話の箇所を、難なく覚えてしまうのです。私たちが受けた日本の教育では、『この事を、あなたはどう思うか?』と先生に言われて、ああでもないこうでもないと考えて、自分なりに思い付く、そういった授業が多かったと思うのです。
基礎教育の時期から高等教育までの間に、こちらのみなさんは、『何故ですか?』とか『どうしてですか?」などと理屈を考えも、言いもしないで、ひたすら「暗記」されて、記憶力を鋭敏にされてきているのです。大人になっても、暗記が難儀ではない様です。若い日に覚えた文言も、最近ではおぼつかなくなってきてしまっている私にとっては、羨ましい限りです。
「多听duoting/多く聴く」、「多说duoshuo/多く話す」、「多读duodu/多く読む」様にと、私が日本語を教えていて、「会話」の授業で、学生のみなさんに言った事でした。『夏目漱石の書いた本には、日本語の基礎となったものがあるから、それを読んでみなさい!』、『ネットでNHKニュースを聞いて、耳を慣らしなさい!』、『こちらで生活をしてる日本人を路上でつかまえて、話し掛けなさい!』と、教科書通りの事を勧めていました。
江戸から明治期にかけて、落語界の「中興の祖」と言われた三遊亭圓生と言う噺家を、あの漱石が好んで、寄席通いをして聞いたのだそうです。圓生と漱石の二人は、今日の日本語を作り上げた恩人だと聞いた事があります。同じ圓生を継いだ、六代目は、子どもの頃に、すでに二十以上の演目を覚えてしまっていたそうです。そして名人の域に達した頃には、二百以上の演目を、身につけていて、いつでも演じる事ができるほどだと語り継がれています。
人にされたよくない事は、よく覚えているのですが、肝心な事を覚えていない私は、何か損をして生きてきた様に感じてしまうのです。でも、《楽しかった事》、《喜ばしかった事》がたくさん思い出されてくるのは感謝な事です。その方たちの輝いた顔が目に浮かび、塩味の聞いた言葉が思いの底から湧き出して参ります。懐かしい!
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早春の花
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広島県呉市の灰ヶ峰に咲く「タムシバ(ニオイコブシ)」と「アセビ(馬酔木)」だそうです(「里山を歩こう」から)。まるで「春の王者」のように咲き誇る桜に、誰しもが思いを向いてしまうのですが、分け入る山中に、ひっそりと春の訪れを知らせて、綺麗に咲いている花があるのですね。桜から目を反らせて、思いを、そこに向けて見たいものです。
瀬戸内海に面した呉市は綺麗な街なのでしょう。この町の高校の校長先生とお会いした事が、ずいぶん昔にありました。隣には江田島があって、旧海軍の兵学校があった様です。少女だった母の憧れの人が、そこにいて、国を守ろうと学んでいたのです。
一度訪ねてみたいし、里山も歩いてみたいものです。
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30年
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私たちの長男が15才(中3)、長女が13才(中1)、次女が11才(小6)、次男が7才(小2)だった、1988年の3月24日に、上海近郊で列車事故が起こり、高知学芸高校の一年生28名と、引率教諭の1名が、事故死をされました。今では中国版の新幹線網が中国の全域に張り巡らされていますが、当時の中国は多くが単線走行でした。信号無視をした機関士の停止信号無視の過ちで、上下線の列車同士が正面衝突して、大事故を起こしたのです。
高度経済成長期の海外旅行ブームの渦中の海外での大事故でした。子育て真っ盛りの私たちにとっても、大変悲しいニュースを耳にしたのです。この事故現場の近くは、今では「上海西站(駅)」が設けられています。もう《30年》の歳月が経つのには驚かされているところです。事故で亡くなられた方の世代は、今では46才、高校生たちの親御さんになっておいでです。ご両親も私たちの世代なのです。
私たちの国は、地形上、火山帯に位置していますので、火山の噴火や地震といった<自然災害>が多い事、台風の進路に位置しているために、暴風雨災害に多く見舞われるのです。でも人の過ちで発生する<人災事故>、<不慮の事故>は、ご家族にとっては諦めるに諦められない事でしょう。
事故が起きにくく、サーヴィスが良くなるために、《安全をもたらす秘訣》があります。その業務に携わる方の《待遇》の向上です。平たく言いますと、高給与が支給される事なのです。財政的な《潤い》が生活を安定させ、仕事をする意欲や喜びが増し、安全への思いが高まり、責任が強固にされるのです。自分の仕事への《正当な評価》こそが、仕事への誇りを増させ、安全を生む出す一番の対策です。
ずいぶん昔ですが、セミナーがあって宿泊したホテルのフロントや仲居さんの仕事ぶりが、以前宿泊したホテルに比べて、格段の良さを感じたのです。テキパキとしていて笑顔が素敵だったのです。そのセミナーの事務局の奉仕をしていた時、その同僚が、「何故か」を聞いたのです。その仲居さんが即答したのは、『給料がよいからです!』でした。
人は、自分が正しく、また、よりよく評価されるなら、勤労意欲や奉仕の気概が増すのです。家でも学校でも職場でも、さらにはクラブや愛好会でも、褒められたり、感謝されると、人は気持ち良くなって、より以上の務めを果たすようになります。いつでしたか中部山岳の山深い、平家の落ち武者の末裔が住んでいると言われた、ある部落の公共の宿泊施設に行った時の事です。『やっぱり平家の末裔なので、顔立ちが普通の人と違うんですね!』と、そこで働くおばちゃんに言ったら、パッと目と顔が明るくなって、喜びを満面にあらわしたのです。
労働環境、労働対価が良くなり、している仕事を感謝されたり、褒めれれると、事故は必ず減ります。子どもたちが、みんな独立して、それぞれに社会の中で生きているのを思うにつけ、30年前の悲惨な事故を思い出させられてしまいます。生き残った人たち、事故に遭わなかった人たちも、その事を忘れずに、今を生きるべきなのでしょう。そして今、課せられた職務を楽しく果たしてほしいと願う、大陸の父です。
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桜
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松尾芭蕉、四十五歳の時に、故郷の伊賀上野に立ち帰ります。その時、故郷は桜が咲き誇っていた様です。
さまざまな事おもひ出す桜かな
と、芭蕉が詠んだのです。桜にまつわる様々な思い出が蘇ってきたようです。芭蕉の名は名声を博して、江戸から故郷にも伝えられていた事でしょう。旧藩主の藤堂禅吟公は、すでに召され、若い子息が領主を継いでいたのです。主君に仕えていた頃のこと、幼い日から故郷を出奔するまでの様々な出来事を、走馬灯の様に思い出したのかも知れません。
2年生から卒業まで、私が通った小学校の校庭にも桜が咲いていたのでしょう、満開の桜を愛でるほどの感性は、まだ持ち合わせていませんでしたので記憶がありません。ただ子どもたちが、入学したり進級したり、卒業した小学校の校庭の端にあった桜には見覚えがあります。
芭蕉ならずとも、私にも桜にまつわる様々な思い出があります。知人に誘われて、県北の村に観桜に行ったことも、県東の著名なお寺の境内に、何百年と言われる樹齢の桜のきに花をつけているのを観に連れて行ってもらったこともあります。また、南信の「高遠」の城内の満開の桜を見上げながら、ご馳走に預かったこともありました。
二、三年前になりますが、弟の家のすぐそばに、野球場のある公園の回りに、桜の老木、巨木があって、その満開の桜の下に、ビニールシートを敷いた上で、スーパーで買った弁当や惣菜で、《花見昼食》をしたことがありました。桜吹雪が舞い始めていましたから、かえって趣があって、実に綺麗で美味しかったのです。兄弟で、そんな事をしたのは初めてでした。三日前の弟からのメールで、そこは『七分咲き!』と知らせてくれました。
昨年4月19日に、手術をして、リハビリに励んでいた頃、「大通公園」や「丸山公園」が桜の見頃だと聞いたのですが、満開の桜を観るための外出などさせてもらえませんでした。まだ肩に痛みがありましたし、夜、寝返りのたびに目が開いてしまう頃でした。病院の隣の市営団地の空き地に、一本の桜の若木があって、遠慮がちに咲いているのを、二階の窓から眺めて済ませてしまいました。
<花より団子>で、桜餅の上に、塩漬けの桜の花が載せられていて、実に美味しかったのも思い出します。これまで色々な所で、桜を観て参りましたが、観て満ち足りた気持ちになるというには、やっぱり「日本人」だからなのでしょうか。四人の子の内、誰かの卒業式に、桜が満開だった事がありました。先週、<丁稚羊羹(でっちようかん)>を手に訪ねてくれた友人が、京都は満開だと、昨日知らせてくれました。
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春の花
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『神田川付近の桜は今が満開を迎えている 後ろは東京さくらトラム(都電荒川線)=2018年3月25日午前、東京都豊島区(納冨康撮影)』と産経新聞にあった「桜」です。この交配種の「染井吉野(ソメイヨシノ)」は一番人気ですね。でも、中央線を信州に向かう列車から、山肌にポツリポツリと点在する「山桜」が遠望できるのですが、これも、通るたびに趣がっていいものでした。
そして、「里山を歩こう」にある、広島県神石郡神石高原町・帝釈峡で咲いている「ケスハマソウ」と「セリバオウレン」という花だそうです。渓谷の中で、人知れず咲き出す花の美しさに圧倒されてしまいます。お仕事か、趣味か、里山を歩いて、折々に草花や小動物などの様子を、「里山を歩こう」で発信されているのです。実際に里山歩きをしてみたい思いが、ふつふつと湧き上がってまいります。
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