狭間

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私が生まれたのは、山深い渓谷沿いの道を通って、昔かの信仰の対象となっていた神社に至る、参道沿いにあった、参拝客用の旅籠の離れでした。父が、その神社の氏子であったからではなく、そこからさらに奥まった場所に、旧日本軍部の軍需工場(戦闘機の防弾ガラス用の原石の採掘をしていました)があって、その場長を拝命した若き父が、家族の宿舎に借り受けていものでした。

山と山がせめぎ合った渓谷の"狭間(はざま)"で、山岳信仰の行われる、山深い神秘的な地でした。そこで生まれて以来、上下左右を部屋に囲まれた集合住宅に住む事が多く、ここ中国でも、九階建てのマンションの一部屋を所有者する方の留守に、依頼されて住み始めているのです。隣家の生活音が四方八方から、k漏れ聞こえてきます。こうなると大草原の一軒家には、"シーン"としてい過ぎて、そう言った所には住めないかも知れませんね。

今まで、結構長く生きてきたのですが、その日々を思い返しますと、三種類の人の《狭間》で生きてきた様に思えるのです。『渡る世間に鬼はなし!』と言われている《善人》、『人を見たら泥棒と思え!』の《良からぬ人》、そして《普通の人》です。もちろん70年もの間に出会った人々を、この三つの枠に押し込めてしまうのは、ちょっと乱暴かも知れませんが。

みなさんにも、おありでしょうか、木っ端や拳で殴り掛かられ、暴言を吐かれ、脅され、策略に遭わせられ、騙され、奪われ、意地悪され、石を投げられ、罵られ、唾を吐かれたこともありました。被害者であったばかりではなく、若くて未熟な頃には、自分が加害者であったのも忘れてはいけませんね。好くないことを受けたのも、そうさせてしまった落ち度が、多分に当方にあったかも知れません。

それに引き換え、助けられ、励まされ、慰められ、力づけられ、赦され、褒められ、与えられ、癒された事の方が、遥かに多かったのです。それがあって、今日の自分があるわけです。

先日、家内が出掛けようとして、余所行きに着替えて、用でベランダに出たら、普段着の時にしか会っていない右隣の家の奥さんが、『ハロー、 很漂亮henpiaoliang/とても綺麗ですね!』と、声を掛けてくれたそうで、喜んでいました。このご婦人と家内は、目を合わせると声を掛け合い、安否を問い合う間柄で、ご主人とお嬢さん夫婦、2人の幼いお孫さんを世話されておいでです。まだ、行き来することはありませんが、好い近所付き合いがあるのです。

過干渉にならないで、ちょうど好い距離を保って関われるのが、一番いいのでしょう。若い友人たちが、私たちにはあって、行き来は結構多く賑やかです。ところが家内はともかく、私の同世代の退職者の男性たちとの交流が少ないのです。娘が、FaceTimeで、『何でも話せる人が近くにいないの?』と言われて、そうだと思ったのです。男は退職すると、こちらでも誰もが篭りがちなのでしょうか。

そういえば、ここに引っ越したばかりの時に、日本語で声を掛けてくれた、日本で働いて、退職後に帰国された方が、この30棟もある小区の中にいますので、近いうちに訪ねてみる事にしましょう。

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