オランダ

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去年の秋、腱板断裂箇所の縫合手術後の6ヶ月検診で札幌に行きました。その検診の結果は、順調に回復途上にあるとの事だったのです。翌日一緒に行ってくれた家内を誘って、「北海道大学」の校内を散策したのです。私の学んだ学校は、都内の港区にあったのですが、敷地の中に中学校も高等学校もあって手狭でしたので、東京郊外に運動場や教室を持っていました。ところが北大は、札幌駅の至近にあって、羨ましいほどの広さで、自然が溢れるキャンパスを誇っていたのです。

その校内に、いくつもの胸像が置かれていたのですが、その中に、国際連盟の事務次長を歴任した「新渡戸稲造」のものがありました。『太平洋の橋にならむ!』と、札幌農学校(北大に前身です)」の第二期生として学んだ人です。盛岡藩の侍の子でした。その若き日の彼の夢が実現して、国際人として活躍したのです。

この新渡戸が務めた国際連盟は、戦後、「国際連合」となりますが、その中に、世界中の子どもたちの命と健康を守るために活動をする「ユニセフ(国際連合児童基金)」という機関があります。健全に子どもたちが成長する事を願うために、様々な努力をし続けてきているのです。

この「ユニセフ」が、最近、世界の先進31カ国を対象にして、『世界で一番幸せなのは、どこの子どもでしょう? 』と言う調査をしたそうです。その調査結果、「オランダ」の子どもたちが、最も幸せを享受していると言う結果でした。住、教育、安全と言う各国の環境を調べたのです。どの項目も、「オランダ」が上位を占めていました。

子どもたちを、大人や教師ががいじくり回したり、過度に心配をしないで過ごさせているのです。そんな様子が、「世界一幸せな子どもに親がしていること(日経BP社刊/イギリス人とアメリカ人のお母さんの共著)」にあります。教育の圧力の強い日本や中国では考えられない事ですが、教育実績を上げていると聞くと、真似たい気持ちがいたします。

「オランダ」って、領土の"3分の2"が海岸線よりも低くいとの問題があって、「風車」で海水をかい出す風景を、子どもの頃に見て、『どんな国なんだろう?』と思い続けてきた国です。牧畜業が盛んでチーズなどの乳製品や木靴を吐く事でも有名でした。サッカー選手なども多く輩出していて、体が 大柄な国民なのです。

この様なオランダの学校には、東アジアの子どもたちが羨ましく思う事でしょう。ここには宿題も制服も受験戦争もないのだそうです。良い成績を取る事が教育の目的ではなく、どの様に仲良く楽しく、級友たちと過ごすかが優先されているそうです。だからと言って学習が疎(おろそ)かになってはいないで、学習効果はずいぶんと高い水準を示している様です。

「教育」というラテン語は、『人の内側にある可能性を見つけて引き出す作業』だと学んだ事があります。一面的な画一教育ではなく、"ユニーク"な教育によって、これからの子どもを育てて行ったら、内に隠れた素晴らしい特質を見つける事ができ、有為な人を生み出せそうですね。

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暗記

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先日、「読書会」に出席していた時の事です。20人ほどの大人が、そこにいたでしょうか。終わりかけた時、大切な箇所を一箇所取り上げて、暗記する事になったのです。5分ほどの間、二節ほどの文章を、一人一人が、ブツブツ言いながら覚え始めていました。『お終い!』の声が掛かって、全員で暗唱し始めたのです。ほとんどの方が覚えてしまっていて、家内と私は、モグモグしてるだけでした。

みなさんのすごい能力に、今更ながら驚いたのです。この国の学校教育は、授業時間の間に、多くの事を暗記する時間をとって、記憶の中に、その重要な文言を刷り込むのだそうです。家内の日本語クラスに来ている高校生も、日本語の会話の箇所を、難なく覚えてしまうのです。私たちが受けた日本の教育では、『この事を、あなたはどう思うか?』と先生に言われて、ああでもないこうでもないと考えて、自分なりに思い付く、そういった授業が多かったと思うのです。

基礎教育の時期から高等教育までの間に、こちらのみなさんは、『何故ですか?』とか『どうしてですか?」などと理屈を考えも、言いもしないで、ひたすら「暗記」されて、記憶力を鋭敏にされてきているのです。大人になっても、暗記が難儀ではない様です。若い日に覚えた文言も、最近ではおぼつかなくなってきてしまっている私にとっては、羨ましい限りです。

「多听duoting/多く聴く」、「多说duoshuo/多く話す」、「多读duodu/多く読む」様にと、私が日本語を教えていて、「会話」の授業で、学生のみなさんに言った事でした。『夏目漱石の書いた本には、日本語の基礎となったものがあるから、それを読んでみなさい!』、『ネットでNHKニュースを聞いて、耳を慣らしなさい!』、『こちらで生活をしてる日本人を路上でつかまえて、話し掛けなさい!』と、教科書通りの事を勧めていました。

江戸から明治期にかけて、落語界の「中興の祖」と言われた三遊亭圓生と言う噺家を、あの漱石が好んで、寄席通いをして聞いたのだそうです。圓生と漱石の二人は、今日の日本語を作り上げた恩人だと聞いた事があります。同じ圓生を継いだ、六代目は、子どもの頃に、すでに二十以上の演目を覚えてしまっていたそうです。そして名人の域に達した頃には、二百以上の演目を、身につけていて、いつでも演じる事ができるほどだと語り継がれています。

人にされたよくない事は、よく覚えているのですが、肝心な事を覚えていない私は、何か損をして生きてきた様に感じてしまうのです。でも、《楽しかった事》、《喜ばしかった事》がたくさん思い出されてくるのは感謝な事です。その方たちの輝いた顔が目に浮かび、塩味の聞いた言葉が思いの底から湧き出して参ります。懐かしい!

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