暗記

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先日、「読書会」に出席していた時の事です。20人ほどの大人が、そこにいたでしょうか。終わりかけた時、大切な箇所を一箇所取り上げて、暗記する事になったのです。5分ほどの間、二節ほどの文章を、一人一人が、ブツブツ言いながら覚え始めていました。『お終い!』の声が掛かって、全員で暗唱し始めたのです。ほとんどの方が覚えてしまっていて、家内と私は、モグモグしてるだけでした。

みなさんのすごい能力に、今更ながら驚いたのです。この国の学校教育は、授業時間の間に、多くの事を暗記する時間をとって、記憶の中に、その重要な文言を刷り込むのだそうです。家内の日本語クラスに来ている高校生も、日本語の会話の箇所を、難なく覚えてしまうのです。私たちが受けた日本の教育では、『この事を、あなたはどう思うか?』と先生に言われて、ああでもないこうでもないと考えて、自分なりに思い付く、そういった授業が多かったと思うのです。

基礎教育の時期から高等教育までの間に、こちらのみなさんは、『何故ですか?』とか『どうしてですか?」などと理屈を考えも、言いもしないで、ひたすら「暗記」されて、記憶力を鋭敏にされてきているのです。大人になっても、暗記が難儀ではない様です。若い日に覚えた文言も、最近ではおぼつかなくなってきてしまっている私にとっては、羨ましい限りです。

「多听duoting/多く聴く」、「多说duoshuo/多く話す」、「多读duodu/多く読む」様にと、私が日本語を教えていて、「会話」の授業で、学生のみなさんに言った事でした。『夏目漱石の書いた本には、日本語の基礎となったものがあるから、それを読んでみなさい!』、『ネットでNHKニュースを聞いて、耳を慣らしなさい!』、『こちらで生活をしてる日本人を路上でつかまえて、話し掛けなさい!』と、教科書通りの事を勧めていました。

江戸から明治期にかけて、落語界の「中興の祖」と言われた三遊亭圓生と言う噺家を、あの漱石が好んで、寄席通いをして聞いたのだそうです。圓生と漱石の二人は、今日の日本語を作り上げた恩人だと聞いた事があります。同じ圓生を継いだ、六代目は、子どもの頃に、すでに二十以上の演目を覚えてしまっていたそうです。そして名人の域に達した頃には、二百以上の演目を、身につけていて、いつでも演じる事ができるほどだと語り継がれています。

人にされたよくない事は、よく覚えているのですが、肝心な事を覚えていない私は、何か損をして生きてきた様に感じてしまうのです。でも、《楽しかった事》、《喜ばしかった事》がたくさん思い出されてくるのは感謝な事です。その方たちの輝いた顔が目に浮かび、塩味の聞いた言葉が思いの底から湧き出して参ります。懐かしい!

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