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作詞が百田宗治、作曲が草川信で、「どこかで春が」という童謡が、1923年に発表されました。作曲家の草川伸は、「夕焼け小焼け」や「揺籃(ゆりかごの歌)」を作曲しています。
どこかで春がうまれてる
どこかで水が流れ出す
どこかでひばりがないている
どこかで芽のでる音がする
山の三月 東風(こち/春風の事です)吹いて
どこかで春がうまれてる
真冬に大陸から吹いて来る季節風は、シベリヤ上空の寒波を、日本に運んで、人々を震え上がらせたのですが、東寄りの風に変わる頃に、春が到来するのでしょうか。百田宗治(ももたそうじ)は、大阪の出身ですから、水や木の芽や雲雀(ひばり)を眺められ、「東風」を頬にな感じられる、どこかの山村で迎えた、「春」を思い出していたのでしょうか。
この方が、「民衆」と言う雑誌を発刊させたのですが、その創刊号に、次のように寄稿しています。
君達に送るー新しい民衆の精神
ー雑誌『民衆』の創刊号にー
いま僕は君達に書く、
最も新しい名で君達をよび、
僕のあらゆる精神をこめて。
君達は知っているか、
いま僕等がどんな時代にいるかと云うことを、
いま時代がどんな方に動いているかと云うことを、
おお君達の生誕を待っていた世界、
君達はあの声をきくだろう、
澎湃(ほうはい)として起ってくる声、
いまや世界のあらゆる隅々から、
あらゆる国土を充して、
すべてのものの胸を開かしめる、
新しい民衆の精神を。
おおいま君達を求めてきたこの声、
君達の窓の外に一杯になっているこの声、
あらゆる国語で、
あらゆる個々の発想で、
いまや世界を領有しにゆく声、
六合を一切の迷蒙(めいもう)から救いにゆく声、
あらゆる文化の偶像を根本から転つがえすこの声、
自由と新しいこの声。
おお君達は耳傾ける、
おお君達が求めつつあったものは之れだ、
君達の精神のうちに鬱積しつつあったものは之れだ、
おお既に君達はこの声を叫んでいたのだ、
君達の生命は既にこの精神のうちに目ざめていたのだ、
ここに生きつつあったのだ、
新しい生命に充されていたのだ。
民衆!
何と力強い人間の言葉だ、
一切の誤った文化の迷蒙から剥脱した真人、
宏大なるマッス、
めざめた精神、
それは深く開かれた人間の眼だ、
新しい精神だ、
鬱積していた久しい土上の爆発だ、
埋れていた真の人類の覚醒だ、
新しい相互扶助の世界だ、
正しい人類の意志だ、
正しい針路だ。
見よ裸の僕達を、
新しき世界魂を、
若き魂を、
自由の僕達を、
一切の哲学的迷蒙から自由な僕達を、
一切の宗教的迷蒙から自由な僕達を、
一切の科学的迷蒙から自由な僕達を、
一切の支配と圧制から自由な僕達を、
一切の伝統的因習から自由な僕達を、
一切の階級、不当の権力、一切の他動意志から解放された精神を、
僕等を圧倒し、押え、
僕達に強いさせられた一切の約束から
いま全く別物の上に立つ精神、
新しい世界の築造。
吾々の胸は開け、
吾々の上には宏大な空があるばかりだ、
吾々は自然に対して生きるのだ、
太陽に対して、
月、そして無限の星斗、
雨、そして暴風、洪水に対して、
稲妻、雷鳴、海嘯
つなみに対して、一切の媒介物を排し、
真裸かで夫等
それらのものに面接するのだ、
彼等のうちに正しい人間を拡大しにゆくのだ、
真の人間の実現
レアリザッシオンだ、
真の人間の幸福と平和と事業をうち立てるのだ、
正しい旗じるしをひるがえすのだ、
共働の精神を生きるのだ。
民衆の声こそは世界の声だ、
一切のものが更新されるのだ、
一切の組織が人間自然の意志に帰るのだ、
人間と自然が抱き合うのだ、
そしてそれを高めてゆく世界、
そこに民衆的文化――正しき人間と自然との結合、
強い意志――永遠の生長。
(1917年11月10日作)
25歳の宗治は、「働く者(労働者/額に汗し、節くれだった指で働く働く者)」への思い入れが強い人だったようです。青年の強い意気込みが溢れていて素晴らしいですね。宗治(実は私の父と同じ名前でペンネームですが)は、多くの学校の「校歌」の作詞をしています。
(土筆です)
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