憂慮

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私は、子どもの頃の病弱を跳ね返して、悪戯小僧で、運動を好んでする様になりました。足は鈍(のろ)かったのですが、結構運動神経が好かったのか、小学校の頃に、全校の体育委員長に選ばれて、朝礼のラジオ体操の時に、あの校庭の朝礼台の上にのって、やらされていました。その後は、バスケット、ハンド、テニスなど、ボール競技をして過ごしました。

そんな風に体を使う事が好きでしたので、アルバイトも「肉体労働」をよくしました。沖仲仕、倉庫作業、穴掘り、看板張り、ホテル業務、配送、電気溶接、警備など、ずいぶんいろんな事をしました。労働といえば、「頭脳労働」があって、手や足の代わりに、頭を使う仕事ですがあります。結局、今日に至るまで、「頭脳労働」を、私はしてきているのです。

最近聞いたのですが、「感情労働」と言うものがあるそうです。航空機の客室乗務員、ホテルの業務員、病院の看護師、電話のオペレーター、介護や保育や教育に携わる人たちの労働を、そう言うのです。神経を擦り減らし、サーヴィスを受ける人の横暴さを我慢し、『このー、何言ってやがるんだ!』なんて思っていても、言い返す事もできずに、我慢して、ニコニコしている仕事です。

肉体労働は、疲労の回復は容易なのですが、「感情労働」は回復が難しく、疲労を蓄積してしまう様です。それが嵩じてしまうと、病気になったりするそうです。最近、介護や障害者施設で働いている方が、突然暴力を働く様な事件が起こってしまう背景です。そう言えば、アジア系や欧米系の航空会社の客室乗務員はともかく、日系の航空会社の方は、過剰なサーヴィスや作業が、自他共に課せられているのを感じてなりません。

仕事と言って仕舞えば、それまでですが、子どもの頃に聞いた、「東京のバスガール」の歌詞に、

酔ったお客の意地悪さ
いやな言葉でどなられて
ほろり落としたひとしずく
それでも東京のバスガール
発車オーライ 明るく明るく走るのよ

とありました。怒鳴られ、罵倒されても、「それでも」仕事を続けなければならない「東京のバスガール」の重い責任を自認するの気持ちが、よく分かって、「ほろり」の塩っぱさが共感できます。以前は、忍耐とか我慢ができる人が多かったですし、また《プロ意識》が強かったかも知れません。でも、我慢を要求するだけでは、立ち行かない時代になっているのかも知れません。

"スマホ"ばかりを相手にしていたら、人と接触する機会がなくなってしまって、会話などのコミニケーションのできない人になってしまうのではないかと、古今東西、現代の若者を心配しています。この街でも、おじいちゃんもおばあちゃんも、おじさんもおばさんも、お父さんもお母さんも、最近では、人を見ないで画面に、目が釘付けにされています。それと同時に、感情が露わになり、爆発することも多くなっていませんか。どうも憂慮すべき事態の様です。
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