もっと

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私が生まれた頃に、よく歌われていた歌に、次の様な歌詞の歌がありました。

朝だ夜明けだ潮の息吹き
うんと吸い込むあかがね色の
胸に若さの漲る誇り
海の男の艦隊勤務
月月火水木金金

赤い太陽に流れる汗を
拭いてにっこり大砲手入れ
太平洋の波、波、波に
海の男だ艦隊勤務
月月火水木金金

度胸ひとつに火のような錬磨
旗は鳴る鳴るラッパは響く
行くぞ日の丸日本の艦だ
海の男の艦隊勤務
月月火水木金金

どんとぶつかる怒濤の唄に
ゆれる釣床今宵の夢は
明日の戦さのこの腕試し
海の男だ艦隊勤務
月月火水木金金

これは海軍の兵士を鼓舞する歌でした。ところが令和の御代になって、新コロナウイルス禍では、

♯ 日日日日日日日 ♭

今日日、毎日が日曜日の様な時代になってしまいました。「日曜日」と言うのは、創世の過程が、6日間で、その6日の後に、休みがあって、その日が「日曜日」でした。その後、ヨーロッパの社会では、礼拝を守る日(ローマ帝国に制定)でした。日本には、明治維新以降、明治政府が、西洋歴を導入してから、「七曜表(calendarカレンダー)」の最初の日が、「休業日」に定められたのです。この「七曜」とは、次の様な起源があります。

「七曜(しちよう)は、古代中国の天文学で、五惑星(木・火・土・金・水)と太陽(日)と月を併せたものである。「曜」本義日光と、後の日、月、星を「曜」を理解して明るい天体。古代中国の占星術にも重視された[1]。後漢の宗室劉洪(りゅうこう)乾象暦と七曜術を編纂したことで知られる。」

英語の “ Sunday ” も、〈太陽の日〉を意味しています。アメリカ大陸の西海岸の開拓が許されて、多くの人が、新天地を求めて西海岸に向かいました。ある人たちは、土曜日の夕刻には、幌馬車を水辺に止め、馬を休ませ、洗濯をして、日曜日を迎えました。古の書を紐解き、歌を歌い、願いをささげて、休んだのです。これがアメリカ社会の伝統とされ、今日までにも及んでいます。

そんな日が7日もあるのですから、もっと近く親しく家族と一緒に、時と場所を共に過ごし、古の書などを読み合ったり、願いをささげる日にし、それが終わったら団欒を楽しむ様にしたらいいのでしょう。昔は、一日中、一週間中、一月中、一年中、家族は共にいたのです。それが復古したのですから、それを楽しまないではもったいないではありませんか。一日を大切に思い、迎える日毎に感謝を持ったらいいのです。そうしよう!

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暗闇から

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私たちの住む街の隣が、「小山市」です。以前、そこに「小山ゆうえんち」がありました。テレビやラジオのCMソングで、『小山ヘルスセンター・・・』聞き覚えがあったのです。1960年5月に開園して、関東圏では人気を博した遊園地でした。2005年2月に、残念なことに閉園されてしまっています。

現在では、その遊園地跡に、一大商業施設の「おやまゆうえんハーヴェストウオーク」ができています。敷地内には、入湯料が、ちょっと高いですが、入浴施設の「思川温泉」も営業しています。

子どもたち家族が、昨年末から正月にかけて、13年ぶりに、栃木にできた実家に、里帰りして来て、14人が参集して、日光の宿泊施設で、家族の交わり会を持ちました。その折に、若い友人が、案内してくれて、次女の家族が家内を連れて、このショッピングモールに出掛けたことがありました。

今、そこに、自転車で行こうと「自転車保険」に加入し、ヘルメットも買い求めて、待機中なのです。ただ、息子が、親の感染を心配して『外出しないで!』と言うことで、行動規制がかけられていまして、ただいま、それで待機中なのです。この小山市の西に、「思川」という、日光山地を源流とする川が流れています。よく洪水で氾濫し続けてきた川です。

この河岸に、「オモイガワ」という種類の桜があるそうです。例年、染井吉野よりも開花時期が遅く、四月の中頃の見頃ですから、今頃咲く花だと聞いています。四月と十月の年に二度咲く「ジュウガツザクラ」からの突然変異の桜です。ぜひ天気がよかったら、思川の流れの堤に、人を避けて自転車で出掛けたいと、満を辞しているところです。

今日日のニュースばかりでは、気が滅入ってしまうので、大自然が内に秘めている命が、真っ黒な暗闇の土の中から躍り出て、えも言われない色を見せて咲く「オモイガワ」を見て、花に魅入られてみたいものです。

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チューリップ

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嵐の翌日の快晴の下、ベランダで咲きました。散歩中に道端には、もうすでに咲いていたのですが、ここでも咲きました。真っ黄色ですが、真っ赤も真っ白も綺麗です。

さいた さいた
チューリップの花が
ならんだ ならんだ
あか しろ きいろ
どの花見ても きれいだな

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誰に

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 『若い予報官のチャールズ・ピアスは、ふたつの前線の影響でハリケーンは、ニューイングランドまで北上すると、1938年9月21日の正午の会議で警告しました。ところが、上司たちは一蹴しました。熱帯低気圧はそれほど北上しないからです。しかし、2時間後、ロングアイランドで地滑りが発生。ハリケーンは‪午後4時に‬はニューイングランドに到達していました。船は座礁し、家は破壊されて海に飛ばされ、600人以上が亡くなりました。確かなデータと詳細な気象図に基づいたピアスの警告が公表されていればと悔やまれます。』

このところ、新型コロナウイルスの蔓延で、様々な所見、意見、予測が公表されています。我田引水なものも多くあって、公平性を書いたものもあります。保身や立場の保持で、隠されたり曲げたりされたものもあり、その結果、取り返しのつかない結果を招くことがあります。

私たちは、誰に聞くべきでしょうか。「近代日本医学の父」と称される北里柴三郎は、医学や防疫に、大きく功績を残した人でした。彼が持ち続けた信念は、

『病気を未然に防ぐことが医者の使命です!』

『研究は目的の如何に関わらず、実際に役立つ医療・予防の上に結実されるべき!』

と言うものでした。それで、破傷風の血清療法を確立し、狂犬病やインフルエンザ、赤痢などの血清開発を続けました。要請を受けて、香港に渡って、その研究の手を広げた北里は、ペスト菌を発見し、ペスト伝播につながるネズミの駆除を徹底させていきます。それで、ペスト菌による伝染を終息に導いています。

今も、コロナ感染者の治療に当たる、医師や看護師、保健師、病因を究明する研究者が、危険を顧みないで、世界中で、職務に当たっておられます。これまでどんな疫病、伝染病も駆逐されたり、後退させられてきています。お一人お一人に、そのたゆまない研究努力に加えて、天来の知恵が与えられて、目を見張る様な治療と防疫との結果がみられるように、祈念しています。

かの細菌学者のパスツールは、次のように言いました。

『科学と平和が、
無知と戦争に勝利することを、
私は確信している。』

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本来

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これは、ロサンゼルスの写真です。新型コロナウイルス禍の旋風の吹き荒れる〈以前〉と〈以後〉の比較写真です。生産や外出が少なくなっていることの違いです。これこそが、本来の姿なのです。古代の詩に、次の様にあります。

“天は・・・栄光を語り告げ、大空は御手のわざを告げ知らせる。
昼は昼へ、話を伝え、夜は夜へ、知識を示す。
話もなく、ことばもなく、その声も聞かれない。”

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マスク

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数は多くないのですが、父の若い頃の写真が、母のアルバムの中に残っていました。今も、老後の母をずっと世話してくれた次兄夫婦の家に残っていると思います。その中に、「黒マスク」をかけたものがあって、東京の街中を歩く父が写っているのです。多分、戦中か戦前に撮影されたものと思われます。

最近、息子の嫁御から、家内用と私用に、手縫いの花柄や濃紺のマスクをもらいました。なかなかの出来です。そうしましたら、昨日は、若い友人が、ミシン縫製のものを、ポストに入れて、『お使いください!』と下さったのです。

そればかりか先日は、中国の上海から、政府にマスク製造を依頼された、知り合いからも、使い捨てのマスクが寄贈され、航空便で送られてきています。近々、華南の街の知人が、4000枚のマスクを送ってくださるとのことで、到着したら、配分を考えています。

わが家では、家内が闘病中ですから、家内に感染しない様にと、マスク嫌いの私も、外出時に、マスクをする様に心がけています。自転車に乗っていて、小虫が二、三度目に入ったことがあってから、自転車に乗る際は、サングラスをかける様にしていますので、耳には、負担が大きくなっているこの頃です。

さらに昨日から、一人宛二枚の布製マスクが、国から支給されるとかで、なんだか〈マスク大尽〉になりそうです。家内を気遣ってくださる、件の知人が、コロナ騒動の起こる前に、100枚入りのマスクをくださったり、娘がアメリカから医療用を送ってくれたりで、大いに助かっています。

多くのみなさんが、危険を顧みないで、防疫や医療に携わっておられことに、感謝でいっぱいです。また内外の多くの哲学者や医療関係の専門のみなさんが、《どう対処するか》について意見を公表しておられます。恐れ過ぎず、体力を保持し、人類の歴史に起こった疫病伝染が、みな終息してきてるのですから、今回のコロナ禍も、必ず終息することを願って、今の時期を通り過ぎて行きたいものです。

このことが、明るく話せる様になる日が早く来る様に願う、コロナ騒動渦中の四月の私です。

(カルフォルニアに咲く「ハイビスカス」です)

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コロナ禍のアメリカ合衆国の主海岸に咲いている 「石楠花(シャクナゲ)」です。野に咲く花は、騒がずに、人を慰めるかの様に、静かに咲いています。昨日、買い物の出先で、真っ黄色な色彩に魅せられて、「キララ」を買ってしまいました。
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ニュースも、人の表情も、恐れや不安で暗さでいっぱいですから、健気に咲く花に慰められたり、励まされたりしたらいいなと思ったのです。ベランダでは、シクラメンの咲き残り、長生きのラベンダーの間で、「チューリップ」が、今日あたり開こうとしています。特に、ラベンダーは、昨年の台風19号で洪水に見舞われ、一緒に避難した鉢植えで、まだ咲き続けています。

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釣り

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最初の職場に、魚釣りの好きな人がいて、何度も連れていかれて、竿を川や谷や湖や海におろしたことがありました。その職場の近くに、陣馬山の流れ、多摩川と合流する「浅川」が流れていて、昼休みに出掛けて、釣りをしたりしていました。

その川底には、「メタセコイヤ(学名: Metasequoia glyptostroboides)」の化石があって、学術研究の対象でした。その脇で、フナやハヤを釣ったわけです。それが面白くなって、「桂川(相模川の源流)」に出掛けて、天然の山女(ヤマメ)釣りまでする様になってしまいました。ある時、まだ寒かった明け方に出掛けて、岩場から釣り糸をおろしていて、足を滑らせて、岩壺にズボッと落ちてしまったのです。相模湖の駅前に友人がいて、そこで着物を乾かせて帰ったこともあったりでした。

それを契機に、日曜日が忙しくなってきたこともあって、釣りをやめてしまいました。海釣りまでしていたのですが、深みにハマって、魚釣りの趣味の深みから戻ったわけです。これって、釣り好きを「太公望」趣味と言いますから、趣味としても古いものに違いありません。確かに、多くの人を虜にしている様に、実に面白いのです。

小説家で、芥川賞を受賞した開高健(かいこうたけし)がいました。とびっきりの釣り好きで、魚釣りを題材にした小説や紀行文を表しています。その中に、「モンゴル紀行」があり、チンギス・ハンの墳墓の調査に出掛けて、「幻の大魚 イトウ」を釣り上げる作品があります。〈放送ライブララー〉で映像番組を見ることができます。
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一度だけ、内モンゴル自治区の呼和浩特(ふふほと)に行ったことがありました。中国領のモンゴル族の地で、草原と山だけの記憶しかないのですが、草原を潤すには、川があるはずですが、開高健は、外モンゴルの川に、釣行をしたのです。そこで見せた表情は、まさに釣り好きそのものでした。あのまま釣りをし続けていたら、自分も、あんな表情を見せていることでしょうか。

長く過ごした中部山岳の街で出会った方も、アラスカにまで出掛けて、釣りをしてきた人でした。病んで、病院の送り迎えをしたり、入院先を見舞ったり、よく交わりを持ちました。『治ったら、マス釣りとオーロラ見物に、一緒にアラスカに夫婦旅行を2組でしましょう!』と約束をしたほどでした。でも、その実現を見ないまま、亡くなられてしまいました。

眼下の巴波川は、魚釣りができそうにない、舟運をしてきた川で、瀬音は聞こえますが、魚影を見ることはありません。でも、今でも時々、一羽だけですが、白鷺が流れの中に立っているのを見かけますから、餌になる小魚がいるのでしょうか。長い竿を下ろせば、魚釣りができるほどの近くに流れがあります。外出禁止が求められるご時世、〈お出掛け〉を自由に楽しんだ頃を思い出してガマンの今です。

(モンゴルの草原、国花の「セイヨウマツムシソウ」です)

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動物の軽視

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★AFP記事  コロナパンデミックの原因は「動物の軽視」
霊長類学者グドール氏

【4月12日 AFP】世界的に有名な英出身の霊長類学者、ジェーン・グドール(Jane Goodall)博士(86)は、新型コロナウイルスのパンデミック(世界的な大流行)は、人類が自然を無視し、動物を軽視したことに原因があると指摘している。

 アフリカで先駆的な研究に取り組み、チンパンジーの本質を明らかにしたことで知られるグドール氏は、ナショナルジオグラフィック(National Geographic)の新ドキュメンタリー番組「ジェーンのきぼう(Jane Goodall: The Hope)」公開に先駆けて行われた電話会見で、今後の災難を防ぐために過去の失敗から学ぶよう世界に訴え、誰もが変化を起こすことができると語った。

■今のパンデミックについてどう考えますか?

グドール氏:われわれが自然を無視し、地球を共有すべき動物たちを軽視した結果、パンデミックが発生した。これは何年も前から予想されてきたことだ。

 例えば、われわれが森を破壊すると、森にいるさまざまな種の動物が近接して生きていかざるを得なくなり、その結果、病気が動物から動物へと伝染する。そして、病気をうつされた動物が人間と密接に接触するようになり、人間に伝染する可能性が高まる。
 動物たちは、食用として狩られ、アフリカの市場やアジア地域、特に中国にある野生動物の食肉市場で売られる。また、世界中にある集約農場には数十億匹の動物たちが容赦なく詰め込まれている。こうした環境で、ウイルスが種の壁を越えて動物から人間に伝染する機会が生まれるのだ。

■このような動物市場に対し、私たちはどんなことができますか?

 中国が生きた野生動物の市場を閉鎖したのは非常に良いことだ。一時的な禁止措置だが、われわれはこれが恒久的な措置になり、他のアジア諸国も後に続いてくれたらと願っている。

 しかしアフリカではブッシュミート(食用の野生動物の肉)の販売に多くの人の生活が懸かっているため、これを禁止するのは非常に難しいだろう。
 自分自身や家族を養うためのお金を全く持っていない人々に対して(食用野生動物販売の)禁止をどう行うべきかは、かなり慎重に検討する必要がある。ただ少なくとも今回のパンデミックはわれわれに、新たな流行を防ぐにはどんなことをすべきか教えてくれたはずだ。

■私たちは何に希望を持てば良いですか?

 私たちは自然界の一部であり、自然界に依存しており、それを破壊することは子どもたちから未来を奪うことに他ならないということに気付かねばならない。
 世界中で行われている前例のないロックダウン(都市封鎖)という対応によって、より多くの人が目を覚まし、ひいては、どうすれば自分たちの生き方を変えられるのかということを考えるようになればと思う。

 日々の小さな選択をする時にその選択がもたらす結果を考えるようにすれば、誰でも、毎日、影響を与えることができる。何を食べるか、その食べ物はどこから来たのか、その食べ物は動物を虐待して得られたものか、集約農業によって作られたものか(大抵の場合そうだが)、子どもの奴隷労働で作られたから安いのか、生産過程において環境に悪影響を及ぼしたか、どこから何マイル移動してきたのか、車ではなく徒歩で移動できないか。

 それから、貧しいとこういった倫理的な選択ができないため、どうすれば貧困を和らげられるのかも考えてほしい。貧しい人たちは生き延びるために、自分たちにできることをせざるを得ない。どれを買おうかと考える余裕はなく、最も安いものを買うだけだ。食べ物をもっと栽培できる土地を必死に探し、最後の木を切り倒してしまうのだ。
 私たちが生活の中でできることは、一人一人少しずつ異なるが、私たち皆が変化を起こすことができる。誰もがだ。(c)AFP/Stéphane ORJOLLET

要契約

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こんなニュースが気になったことがありました。「暴行容疑で摘発された国内の高齢者は、20年前と比べて約50倍に増えている」と言うものでした。その一つの原因を、機能や生理的な変化だとされている様です。食べ物の成分の中に、それを摂取し過ぎて、忍耐力が弱くなって、粗暴な行動をしたり、暴力行為に走ってしまうのだと言うのです。その様な相関関係があるのでしょうか。

戦争が終わって、戦地に出征していた男子が帰国し、結婚したり、妻の元に帰って、第二次世界大戦後の世界各国で共通した、一つの社会現象として、"ベビー・ブーム"が起こりました。本来の家庭が、健全に回復されたからです。日本では、その時期に生まれた子どもたちを、「団塊(だんかい)の世代」と言いました。この団塊の世代のみなさんは、激しい競争の中を生き抜いて、今や、年を重ね、職を辞して、老人の枠の中に入ってきたわけです。

日本の高度成長期を支えた世代で、豊かな日本の国を産み出した原動力であって、その貢献の度合いは計り知れないのです。職を辞してホッとしている今と、激烈な競争体験と、馬車馬の様に鞭を当てられて休むことなく働き続けた日々とのギャップが大きいに 違いありません。そう言った環境変化も、そう言ったことが起ってしまう要因の一つと考えられるのでしょうか。栄養の偏りだけではなさそうですが。

目は口ほどにものを言う

雨降りのあの朝、華南の街で、バスを乗り換えて、リハビリのために病院に出掛けた時のことでした。そのバスに、途中から乗ってこられた年配の男性(私より一回り年上に見えました)が、前の席に座られたのです。そして、その方の視線が、私の隣に座っている若い女性の膝に、釘付けになって、瞬きもしないで見ているのです。

夏になると、意外と無防備で目のやり場に困る服装の女性が、あの街では多いのです。私も、チラッと見てしまうのですが、瞬間、目を反らせて、窓外の車の動きなどに目を移すのですが、この年配の方は、凝視していたのです。その様子を、私は見ていたわけです。

ある男性が、こう言っています。「私は自分の目と契約を結んだ。どうしておとめに目を留めよう。」とです。一瞥(いちべつ)は許されるのでしょうけど、<凝視>は反社会的な行為になってしまいそうです。みなさんに見守られて、席を譲られて、『年を重ねるって、思いのほか好いものだ!』と、そう自分に言い聞かせたのが、昨日のことの様です。

きっと若い時には、そんな見方はしなかったのでしょうけど、加齢と共に、『オットいけない!』との抑制力がなくなってしまうのではないでしょうか。自分も《注意》しなければならないな、と思わされたのです。そうしますと、目だけではなく、手、足、口とも契約が必要になりそうです。

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