3.8%の良心、春の宵に思うこと

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 あるスーパーマーケットで買い物をした時に、知り合いの方が、レジ係をしていましたので、この方のレジに並んだのです。『お元気ですか?』と声を掛けて、レジ計算をしてもらったのです。2、3品の買い物でしたが、レシートで請求されたのが、ずいぶん安かったのです。

 スイカの分を、この方はレジ打ちしなかったのです。驚いて、どう言おうかと、ちょっと躊躇し、咄嗟に、『スイカも買っていますので!』と言いましたら、『あっ、ごめんなさい!』と言って、たぶんスイカの値段が千円ほどだったので、その額を、改めて打ち込んでくれ、二枚のレシートと交換で支払いを済ませたのです。

 そう言うことが、よくあると、聞いていたのです。従業員や友人などが自分のレジに来ると、サーヴィスのつもりで、そう言う不正が行われているのでした。それって詐欺行為で、いわゆる万引きよりも悪質なのです。内内で、空打ちをするのですから。

 今では、自分での手で、バーコードを機械に読ませて、会計をする自動レジが行われる様になって来ています。人件費を削減するために、そう言った店が多くなっている様です。先日、いつも行くスーパーで買い物をして、自分で会計を済ませて帰って来たのです。なにか安過ぎているのが気になって、家に帰って、買い物品とレシートを見比べましたら、牛肉のパックを自動レジに通したつもりが、通っていなかったのに気付いたのです。

 私は、すぐに、その牛肉のパックを持って、その店の会計カウンターに行って、『先ほど買い物をして家に帰って調べたら、この牛肉を通し忘れしていました。すみませんでした!』と言って、支払いをしたのです。すんでのところで、未払い分を払えて、ホッとしたわけです。『そんなやましい思いで、この店には買い物に行けないな!』と思っていたので、支払いを済ませて胸を撫で下ろせたのです。


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『もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。(新改訳聖書 1ヨハネ1章9節)』

 また、子どもの頃に、【キヨチャン】と言う店で、万引きを何度もした自分だったのが、教会に行く様になって、キリスト信仰をし始めてから、それを思い出したのです。それで、かつて住んでいた街の店に行きましたら、歳をとったキヨちゃんがおいででした。それで、『子どもの頃に、おばさんが向こうを向いている隙に・・・』と言って、『ごめんなさい!』と言って、3000円を入れた封筒を、キヨちゃんの手にねじ込んだのです。

 『そんなの、もういいわよ!』と、目を丸くして、おばさんは言っていました。よくないから詫びに行ったので、そのまま帰ったのです。何と30年ぶりほどの清算、いえ精算になんかなりませんね、何度も盗んだんだのだからです。

 でも、そうできたのは、罪の責めたてからの解放でした。もうやましい思いで、その店の前を通らないで済んだのを、また思い出したのです。その店のある街の教会で、宣教師さんと牧師になっていた上の兄から、自分はバプテスマを受けてからの「罪の精算」でした。過去の不始末を放って置けなくなったわけです。お詫びをしなければならないと、心に迫られたのです。

 今月、ある出来事がありました。その件について、ある新聞記事に、こう取り上げられてありました。
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「中央道や東名高速などの料金所にあるETCレーンがシステム障害で使えなくなった問題で、中日本高速道路(NEXCO中日本)は18日、15日午後10時までに後日払いの申し出をしたのは約3万6千件と明らかにした。 システム障害は6日午前0時半から約38時間続き、最大8都県、106の料金所でETCが使えなくなった。同社は料金所の渋滞を解消するため、通行料金を後日払いにする形で障害が生じている料金所のETCレーンを通過させる対応を取った。この間、使えなくなったレーンを含む料金所を通過したのは、障害が起きた前週の実績から96万台程度とみられるという。(以下省略)」

 96万台の車が、後日、自己申告で支払うという形で、ETCの利用を、許したのだそうです。それは大渋滞を避けるためでした。その後、精算をしたのが、3..8%だったのだそうです。そうしますと、96.2%の利用者は、後払いをしないでいると言うことになります。

 この一件は、ニュースで聞いていましたし、料金の後払いのことも聞いていました。でも、未精算というのは、いけないことだなあと思って、自分の過去を、また思い出したのです。確率からすると、「日本人の良心」が、鈍くなっているのだと言えるのかも知れません。子どもとはいえ、私も同じ良心の鈍さで、罪を犯したわけです。

 罪を、そのままにしてはいけないと言う思いが湧き上がって、キヨちゃんを訪ねたのです。そんな出来事を思い出すと言うには、罪の傷が、心に残っているからに違いありません。今は、自由を得た様に感じ、罪の呵責がなくなくなって、改めた生き方がができる様になりました。そんなことができたのは感謝だと思わされている、春の宵であります。

(ウイキペディアのスイカ、駄菓子屋、ETCです)

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