今夏の雷様も

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 線状降水帯という、新しい呼び名は好みませんけど、さながら、中国大陸に轟き渡り、雷光が西から東に飛雄馬の如く走って、大雨を降らせる「雷様(らいさま)」が大好きな私は、昨日も、雷鳴を聞きますと、すぐに窓を開けてベランダに出て、雷鳴と雷光と雷雨とに、思いを向けたのです。

 晴れない気分でもあって、気晴らしをもたらす、この天体気象が好きなのです。宇都宮人が、「雷様」と読んだのは、恵みの雨はpもたらされることへの溢れるような感謝があったからなのでしょう。

 米作農家によっては、恵の雨は、何にも替え難いものであり続け、間もない秋の収穫への序章曲だったに違いありません。自然現象への畏敬、大自然の神秘さへの感動、創造の神への賛美のように思えるのでしょうか。時として自然は敵ともなりますが、母のように父のように慈愛に溢れた世界で、親しみを込めた表現で、そう呼ぶのは、溢れる感謝があるからなのでしょうか。

 華南の町の師範学校の教員住宅で、その光と音と雨の雷は、驚くほどに大規模でした。天が裂けるのではないかと思わせるほどの雷光、空が割れるのではないかともわせる雷鳴、車軸どころか家も押し流すほど雷雨に見舞われたのです。

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 日本の箱庭のような、盆栽のような、コンパクトな雷ではなく、地球をひっくり返すのではないかと思わせるほどの雷には、驚かされました。よく春雷と言いますが、春だけではなく、一年中鳴り響くのが、大陸の雷でした。

 今日の午後の雷様は、それを思い起こさせるように、大きかったのです。地上に起こる、人や国の争いなど、比べようがないほど、大暴れで、気分がスカッとさせられた午後でした。私たちの幼き友人が、私の好きの真反対で、この雷が大嫌いで、怖そうに電話をしてきました。家内が、慰めていた夕方でした。

(ウイキペディアによる俵屋宗達の「風神雷神図」、いらすとやの「雷におびえる少女」です)

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