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” Charles“ 、中国の一頭のアルファ犬に与えられた名前です。そして、この犬に、一つのTitle が与えられて、“ King Charles “ と呼ばれています。「実力者」であって、自ら群れの中の抗争をへて、その立場を得たのです。一つの中国の「犬社会」のリーダーだからです。YouTubeで、そのリーダーシップぶり、支配の様子を観たのです。
「実力の世界」と言うのは、人間の社会よりも、動物の世界の方が本物のようです。両親が見栄えが良く優れ、体格が良く、生まれながらに血統が優秀で、学問もあり、優秀な人材が、そういう立場を得るのですが、必ずしも優秀ではないのでです。いつも真価が試されるのです。“ Charles ”は、その犬のコミュニティーの中で、立場を実力で獲得し、堅持しているのです。
私たちの母親は、小学校を終えると、女学校に行きたかったのですが、養女で、養父母はそれを許してくれなかったそうです。それで諦めて、家の近くにあった、「群是(GUNZE)」の紡績工場で、靴下や下着の製作で働いたようです。そんなことで、織物に関心のあった私は、グンゼが、「女工哀史」のような金儲けの会社ではなかったのを知りました。また学校で、豊田佐吉の発明、成功の話を聞いていました。
母の時代に、製糸業や織物業に世界で、画期的な発明をしたのが、この佐吉でした。紡いだ糸で布を織る「織物」というのは、手と足とを使う、手動の織機が長く使われてきていました。苦労して布を織っている、母の姿を見ていた佐吉は、大工の子で、小学校を終えて、お父さんの仕事を継承していた人でした。
手先が器用な人でしたので、その織機に目をつけたのです。試作を繰り返して、自動織機の新鋭機を作り出して、一躍、q織物業界で画期的な発明を遂げました。日本の紡績業や織物業が、世界に通用し、世界を牽引するようになった、貢献者の一人でした。
人の社会では、何代も何代も家柄が良くて、資産に富み、政治力や財力があるなら、その立場を得られるでしょうか。例えば、トヨタ自動車ですが、トヨタ織機を生み出したことで有名な豊田佐吉は、努力の人、工夫の人で、才能の豊かな人でした。その「トヨタ」の名は、世界の製造業界、とくに自動車業界では、欧米の名だたる会社を凌ぐ、世界最高の企業になっています。
先日、トヨタ自動車の社長をされていた章夫氏の「ハブソン大学(マサチューセッツ州)」での卒業式でされた講演を聞きました。この方が留学し、学んだ母校で、同窓の学生たちの前で、お話をされていたのです。おおよそ二代目、三代目で、優秀な企業が、伸び悩み、負債を生み出すような経営になってしまうようなケースが多い中、自動車レースに熱中したような人で、『大丈夫かな?』と、思っていた人物でした。
ところが、蛙の子は蛙の子、実力を備えた経営者で、今は、経営を生え抜きの社員の中から抜擢して、その方に任せておいでです。講演内容は、機智に富み、トヨタの一時代を作り上げ、業績を大きき伸ばした、実力者である自身も実力も備えていて、母校での話の内容も豊富でした。人望もあり、一級の経営者だと言えそうです。
でも、良い祖父や父親を持ったから、実力者だとは言えません。犬の世界でも同じでしょう。高崎山の猿の社会も、まさに実力の世界でした。オレゴンの海岸に洞窟があって、そこはアザラシの群生地だったのです。そこに娘婿に連れて行ってもらったことがありました。夥しい数のアザラシが鳴く声と、動物臭の立ち込める世界でした。よく見ていますと、一段と高い岩の上に、一匹のリーダーがいました。
高き支配の座に君臨し、多くのアザラシが、傳(かし)仕えていて、まさにこの一頭の王国のような感じでした。高崎山も、そのオレゴンの洞窟も、その様子を見て知っていましたので、先日観た“ King Charles “ の統率力、支配力、仲間内の争いの調停などは、実に優れているのです。
動物の生態学者でなくとも、その実力に興味津々なのです。権力闘争を繰り返す様子が映し出されていて、その統率力に舌を巻きました。一度だけ、小学校五年生の時、クラスの番長だった自分としては、公平にクラスを統率できなかったので、器ではありませんでした。6年になった時に、色の浅黒い大きな子分に、立場を奪われてしまいました。
そんな自分に就いてきてくれたのがY君、ただ一人だけでした。6年を終えて、みんなは町の中学に行ったのですが、自分は、電車通学の私立中に、親に言われて行ったので、抗争は終了してしまいました。実力に欠けているのに、番を張ったのは間違いだったと、今は認めるのです。それでも、一対一の喧嘩は、兄たちに揉(も)まれたからでしょうか、強かったのです。
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その“ Charles “ は、大型犬に怯(ひる)みません。真正面から立ち向かい、背を見せません。打ち伏せて、上向きにさせた相手の腹や首に、足を一本、二本のせて、勝利宣言をしているようです。弱いものいじめをする犬は制裁しますが、傷を負わせるようなこともしません。まあ、真のりダーシップqを持っているのです。
怯まない心持ちは、いまだに自分は持ち続けていますが、大器でないことは十分承知しています。喧嘩の強さは、何にもなりませんが、上の学校に入った時に、他の学校の中で、自分のことが噂になっていたそうで、「喧嘩の強い準」なのだそうで、それを聞いて恥じました。男はこうへいなりダーでなければなりません。
それにしても、“ King Charles “ は、人間にしたいほどに、気持ちの良い実力者だと思えます。それでいて、ドーベルマンやチャウのような獰猛さも、威嚇もないのです。ちょっと不謹慎かも知れませんが、われらの救い主イエスさまは、真の実力者、指導者なのです。人を滅びの罪に誘った、地獄に堕ちる罪を、十字架で処分なさったからです。腕力でも、財力でも、知力でもない、「愛」と、「罪への憎しみ」、そして父なる神への「従順」によって、闇の力と対決し、自らを任せられたのです。
十字架の死は、人としては敗北なのですが、贖罪という人類救済事業としては、父の御心を成し遂げられた、「成功」と「勝利」の御業なのです。死と墓と黄泉から、父が、このイエスさまを蘇らせなさったのです。今は父の右に着座されておいでです。そこは、信じる者の救いの勝利の座なのです。
復活の主イエスさまは、今、信じた者のために執りなしの祈りをしていてくださり、また助け主、聖霊を与えてくださり、さらに私たちを迎えるために場所を設け、設けられたら迎えに来てくださると約束されておいでです。ご自分が罪となられて、信じる者の罪を負われて、罪のないお方が罪となられて、父の怒りを受けて、死の代価を払って、死んでくださったのです。
私たちを赦し、生かすために、そこまでしてくださった「キリスト」、「救い主」でいらっしゃいます。罪も裁きも滅びも、私たちにはないのです。これが「救い」なのです。それを確かにするために、主イエスさまは、死から蘇られて、生きておいです。今や、罪に立ち向かって勝利された、真のリーダー、友、「実力者」でいらっしゃいます。
(“King Charles”、”Christian clip arts“ノー十字架のイエスさまです)
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