要契約

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こんなニュースが気になったことがありました。「暴行容疑で摘発された国内の高齢者は、20年前と比べて約50倍に増えている」と言うものでした。その一つの原因を、機能や生理的な変化だとされている様です。食べ物の成分の中に、それを摂取し過ぎて、忍耐力が弱くなって、粗暴な行動をしたり、暴力行為に走ってしまうのだと言うのです。その様な相関関係があるのでしょうか。

戦争が終わって、戦地に出征していた男子が帰国し、結婚したり、妻の元に帰って、第二次世界大戦後の世界各国で共通した、一つの社会現象として、"ベビー・ブーム"が起こりました。本来の家庭が、健全に回復されたからです。日本では、その時期に生まれた子どもたちを、「団塊(だんかい)の世代」と言いました。この団塊の世代のみなさんは、激しい競争の中を生き抜いて、今や、年を重ね、職を辞して、老人の枠の中に入ってきたわけです。

日本の高度成長期を支えた世代で、豊かな日本の国を産み出した原動力であって、その貢献の度合いは計り知れないのです。職を辞してホッとしている今と、激烈な競争体験と、馬車馬の様に鞭を当てられて休むことなく働き続けた日々とのギャップが大きいに 違いありません。そう言った環境変化も、そう言ったことが起ってしまう要因の一つと考えられるのでしょうか。栄養の偏りだけではなさそうですが。

目は口ほどにものを言う

雨降りのあの朝、華南の街で、バスを乗り換えて、リハビリのために病院に出掛けた時のことでした。そのバスに、途中から乗ってこられた年配の男性(私より一回り年上に見えました)が、前の席に座られたのです。そして、その方の視線が、私の隣に座っている若い女性の膝に、釘付けになって、瞬きもしないで見ているのです。

夏になると、意外と無防備で目のやり場に困る服装の女性が、あの街では多いのです。私も、チラッと見てしまうのですが、瞬間、目を反らせて、窓外の車の動きなどに目を移すのですが、この年配の方は、凝視していたのです。その様子を、私は見ていたわけです。

ある男性が、こう言っています。「私は自分の目と契約を結んだ。どうしておとめに目を留めよう。」とです。一瞥(いちべつ)は許されるのでしょうけど、<凝視>は反社会的な行為になってしまいそうです。みなさんに見守られて、席を譲られて、『年を重ねるって、思いのほか好いものだ!』と、そう自分に言い聞かせたのが、昨日のことの様です。

きっと若い時には、そんな見方はしなかったのでしょうけど、加齢と共に、『オットいけない!』との抑制力がなくなってしまうのではないでしょうか。自分も《注意》しなければならないな、と思わされたのです。そうしますと、目だけではなく、手、足、口とも契約が必要になりそうです。

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