『昔ある村に、直吉という一人暮らしの漁師がいました。月のない暗い夜に、かがり火をたきながらシラウオ漁をしていると、沖の方から沢山の人の掛け声が聞こえてきました。
きっと何か重いものを運んでいると思った直吉は、手伝うために着物を脱いで海に飛び込みました。そして声のする方へ泳いでいくと、大勢の人たちが泳ぎながら大きな流木を押し運んでいました。
きっと難破した船の人たちだろう、と思った直吉は、さっそく流木を押して島まで押し上げてあげました。岸に上がった直吉が、あらためて人々の顔を見ると、それは男か女か人間か化け物かわからない、真っ黒い疫病神が立っていました。
「この島に熱病を運んできた」と言う厄病神は、流木運びを手伝ってくれた直吉に「夜鳥が鳴いたら杵(きね)で臼(うす)を叩きなさい、その音がする家には熱病を持って行かないから」と言い残し、すぅっと消えていきました。
これを聞いた直吉は、大急ぎで村の総代の家に村人たちを集めて、今までの事を全部話しました。そして村人たちは、夜鳥が鳴くとどこの家でも杵で臼をたたき、厄病神が家に来るのを阻止しました。結局、疫病神たちはどこの家にも熱病を持って行けず、やがて夜明けとともに大慌てで海の向こうへ逃げていきました。
この事で村人たちから感謝された直吉は、あちこちから良い縁談が舞い込んで、めでたく所帯を持つことができました。(「厄病神」〜日本昔ばなし〜)』
この疫病神は、《杵で臼を叩くこと》によって退散してしまうのですが、21世紀の「新型コロナウイルス」は、「杵」ではなく、科学的な方法で終息するでしょうか。この渦中にある私は、次の様に、古の書に記されるところに、騒ぐ心を置くことにしています。
『あなたは夜の恐怖も恐れず、昼に飛び来る矢も恐れない。
また、暗やみに歩き回る疫病も、真昼に荒らす滅びをも。
千人が、あなたのかたわらに、万人が、あなたの右手に倒れても、それはあなたには、近づかない。
わざわいは、あなたにふりかからず、えやみも、あなたの天幕に近づかない。』
この臼(約束)を、私は自分の杵で打ちたいのです。「私の天幕」、つまり《私の住む家》、《私の家族》に近付かない様に願っています。古代イスラエル民族が、エジプトに寄留していた時に、「滅びの使い」が、全エジプト中の家の「長子」を打ち滅ぼしたことがありました。人も家畜もでした。ところが、家の門柱と鴨居に、羊の血が塗られた家々は例外でした。「滅びの使い」は、入ることができませんでした。この出来事の様に、今日日の「えやみ(疫病み)」から免れる様にと、家長である私は、願うのです。
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