願い

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私の愛読書に、次の格言があります。

“ ・・・あなたの家、あなたの家族のところに帰り・・・(祝福を)知らせなさい。”

これは、私たちが、帰って行く地理的な場所だけではなく、心理的に帰れる場所のことも含めて言っているに違いありません。一日の出来事を語り合える者たちのいるところです。外には敵や邪魔者がいて、親だって、子どもだって、けっこう傷ついて帰ってくることだって多いのです。そんな緊張を解いて、ホッと安心できるのが家族のもとです。

“ 一切れのかわいたパンがあって、平和であるのは、ごちそうと争いに満ちた家にまさる。”

これは、持ち物や食べ物が質素であっても、平和な雰囲気が満ち溢れているのが好いのです。また贅を尽くした持ち物や食べ物があっても、諍(いさか)いや、喧嘩でギクシャクした家よりも好いのです。4人の子育て中のわが家は、贅沢をさせることはできませんでしたが、〈分け合うこと〉や〈待つこと〉や〈赦すこと〉を目指した家庭でした。たまにはラーメンや焼き鳥屋ケーキも食べさせてあげられたのです。

“ 互いに和合して暮らしなさい。”

これは、家族間には衝突や兄弟喧嘩もありましたが、仲良くすることや和解や、家の中で相手を尊ぶこと、どう振る舞うかを学べたのだと思っています。そして、今や4人の子たちが、それぞれの家庭を持って、子育てや家庭建設に励んでいるのです。

今夕、新型コロナウイルスの蔓延についての「緊急事態宣言」が、東京、神奈川、埼玉、千葉、大阪、兵庫、福岡の7つの都府県に、総理大臣から発令され、いよいよ厳しい事態に突入したのですが、この機会を、家族結束のために、逆手にとって、これまでになく夫婦、兄弟姉妹、親子の関わる時間が増えたのですから、よりよく家族を理解しながら、この急場を乗り越えられたら素晴らしいのです。

家族でいる時間って、けっこう短いのです。忙しい時代の只中で、家族の関わりが希薄なっていますので、この時期は、その関係を太く、深く、強固にする、絶好の機会なのではないでしょうか。コロナに家庭、家族の破壊をさせてはなりません。〈和合〉って自動的にはできないので、互いが少しずつの努力をして、関係を深くできる様に、日本の全ての家庭、世界中の全ての家庭を、今夕祝福したいと願うところです。

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いのち

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新型コロナウイルスによる肺炎が、世界中に蔓延して、危機的な状況にあります。そんな中で、私たちの内にある《いのち》に、今や目を向ける時なのではないでしょうか。私は怪我ばかりする “ 負傷の子(不肖)” で、母の心配の種でした。そんな私は、傷口が化膿したことが、一度もないのです。

その理由は、母がすぐに傷口を、オキシフルで洗って、当時の傷万能薬の〈アカチン〉を塗ってくれたことによります。しかし、母の目の届かない家の外で、負う怪我の方が多く、手当もしないのに、化膿しなかったのが不思議でならなかったのです。それで、血液のことを調べると、《白血球》が、バイ菌に向かって働いて、化膿を防ぐんだということを知ったのです。

人間の体の中には、「抗原」とか「抗体」と言うものもあるのだそうです。

 『抗原は、病原性のウイルスや細菌、花粉、卵、小麦などの生体に免疫応答を引き起こす物質で、抗体は、体内に入った抗原を体外へ排除するために作られる免疫グロブリンというタンパク質の総称です。

 抗原と抗体の反応は、私たちにとって病気の予防と発症の2面性を示します。例えば、ワクチンは、無毒化した病原性細菌やウイルスを投与することで、体内で病原体に対する抗体産生を促し、感染症に対する免疫を獲得します。一方、アレルギーや花粉症は、アレルギーを引き起こす抗原に対して作られた抗体に体が過剰反応する病気です。また、免疫には、自己と非自己抗原を区別する機構があり、自らの細胞には反応しない仕組みが備わっていますが、誤って自らの細胞(自己抗原)に対して抗体が作られてしまうと、自らの組織が抗体に攻撃され病気が誘発されることがあります。これを自己免疫疾患と呼び、I型糖尿病や膠原病などが該当します(ヤクルト研究所)。』

生命誕生の時点で、体内を駆け巡る血液の中に、体外からの攻撃に対しての防御装置が、すでに組み込まれていることになります。それは人間が作り出したものではなく、心臓や肝臓や腎臓などがある様に、「抗原」が備えられていたことになります。私は、初めは理工系の学びをしたかったのですが、それをやめて、文系の道に行きました。就学前に、肺炎で何度か死に損なって、生きることができたので、人一倍、哲学的だけではなく、全人的に《いのち》の不思議さに関心がありました。

今、“ iPad ” を使って文章を書き込んでいますが、アップル社が設計し、製造を委託し、製造したのです。下の息子が買ってくれました。毎日使うタブロイド機に、設計者がいて、製造者がいて、販売者がいて、購買者がいて、使用者の私がいるのですから、人間の設計者、血液の製造者がいて、外敵に向かって、24時間、毎日、一生の防御が、絶え間無くなされているに違いありません。

軍隊に指揮官がいて命令が下ると、兵士は戦闘の任意当たるのですが、この七十年、私は指揮権を発動しないのに、血液中の白血球は、私の負った怪我の箇所に急行して、任に当たり続けてくれたのです。《賢き者》がいて、人の一生を見守っていてくれる事を、実感として、今朝も覚えて仕方がありません。だから感謝が湧き上がってくるのでしょう。

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