気になること

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この三週間ほど、巴波川対岸にある旅館の解体工事が行われています。5人ほどの作業員で、息の合ったチームワークで解体作業が行われてきて、建物の大部分をほぼ終え、基礎部分を残すのみとなっているところです。昔は、ツルハシやスコップなどでの手作業がほとんどでしたが、この工事では、“ KOMATSU” と印字されたパワーショベルの大中小の三台が、フル稼働で6階建ての鉄筋コンクリートの廃屋を解体しているのです。

近所に配慮して、散水を行いながら、破砕時に出るコンクリートの粉塵を防いでいたり、騒音を最小限にしての道路脇の現場の作業です。この解体工事を、わが家の窓際から眺めていて、一つの建物のことが、気になってきたのです。それは、ニューヨーク市のシンボル “ のエンパイヤ・ステート・ビルディング “ です。1929年3月17日着工、1931年4月11日竣工で、102階建、443.2mのオフイスビルです。

この築九十年の建物も「解体工事」が、いつか必要な時があるのでしょうか。2001年9月1日「9.11」の “ ワールド・トレイド・センター・ビル ” が、崩壊して行く様子を、テレビで観ていましたので、今、隣でしている工事を見ながら、『ニューヨーク名物を、どうやって解体工事をするんだろうか?』と、心配になってしまったのです。

実は、1965年の3月に、私は、家を解体したことがありました。父が買った家が、日本道路公団の「中央自動車道」の道路予定地とされて、立ち退かざるを得なかった時、父から解体を請け負って、その解体をしたのです。木造平屋でしたので、大き目の片手持ちのバールを使って、弟の学友たちに手伝ってもらってやりました。

市の消防署に連絡をし、解体した木片や板などを焼却しながら進めました。怪我もなく、無事に終えることができたのです。解体の会社を建て上げる自信と野心もありましたが、まだ十九の私は、それは諦めました。父から貰った、公団からの解体費は、バイト代と昼飯代とおやつ代とで、みんな消えてしまいました。そんな経験があって、鉄筋コンクリート建の解体の大変さを眺めてきたのです。
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この解体工事には、下準備、足場の設営、重機の運転、ガスバーナーでの鉄筋の切断、瓦礫の分別(コンクリートと鉄筋の種分け)、瓦礫の搬出、さまざまな工事が手際良くなされているので、450mもある建物を、あの密集したニューヨークの繁華な地で解体するには、至難の業のように感じるのです。一体建物は、建てる時に、解体時をはるかに計算して建てるのでしょうか。

人の人生にも、〈終活〉をする必要があるのでしょう。10年ほど前から、「断捨離」などという言葉を、よく耳にします。見える物も見えないものも、元気な内に整理したり処分したりした方がいいそうです。もう一度くらい引越しをしそうな予感がしてならないのですが、その処分を、子どもたちにさせないように、今の内に持ち物の簡素化、スリム化が必要でしょう。在天の故郷に帰る前に、人間関係にも、心の中にも、どうも整理や処分も、する必要がありそうです。

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