釣り

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最初の職場に、魚釣りの好きな人がいて、何度も連れていかれて、竿を川や谷や湖や海におろしたことがありました。その職場の近くに、陣馬山の流れ、多摩川と合流する「浅川」が流れていて、昼休みに出掛けて、釣りをしたりしていました。

その川底には、「メタセコイヤ(学名: Metasequoia glyptostroboides)」の化石があって、学術研究の対象でした。その脇で、フナやハヤを釣ったわけです。それが面白くなって、「桂川(相模川の源流)」に出掛けて、天然の山女(ヤマメ)釣りまでする様になってしまいました。ある時、まだ寒かった明け方に出掛けて、岩場から釣り糸をおろしていて、足を滑らせて、岩壺にズボッと落ちてしまったのです。相模湖の駅前に友人がいて、そこで着物を乾かせて帰ったこともあったりでした。

それを契機に、日曜日が忙しくなってきたこともあって、釣りをやめてしまいました。海釣りまでしていたのですが、深みにハマって、魚釣りの趣味の深みから戻ったわけです。これって、釣り好きを「太公望」趣味と言いますから、趣味としても古いものに違いありません。確かに、多くの人を虜にしている様に、実に面白いのです。

小説家で、芥川賞を受賞した開高健(かいこうたけし)がいました。とびっきりの釣り好きで、魚釣りを題材にした小説や紀行文を表しています。その中に、「モンゴル紀行」があり、チンギス・ハンの墳墓の調査に出掛けて、「幻の大魚 イトウ」を釣り上げる作品があります。〈放送ライブララー〉で映像番組を見ることができます。
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一度だけ、内モンゴル自治区の呼和浩特(ふふほと)に行ったことがありました。中国領のモンゴル族の地で、草原と山だけの記憶しかないのですが、草原を潤すには、川があるはずですが、開高健は、外モンゴルの川に、釣行をしたのです。そこで見せた表情は、まさに釣り好きそのものでした。あのまま釣りをし続けていたら、自分も、あんな表情を見せていることでしょうか。

長く過ごした中部山岳の街で出会った方も、アラスカにまで出掛けて、釣りをしてきた人でした。病んで、病院の送り迎えをしたり、入院先を見舞ったり、よく交わりを持ちました。『治ったら、マス釣りとオーロラ見物に、一緒にアラスカに夫婦旅行を2組でしましょう!』と約束をしたほどでした。でも、その実現を見ないまま、亡くなられてしまいました。

眼下の巴波川は、魚釣りができそうにない、舟運をしてきた川で、瀬音は聞こえますが、魚影を見ることはありません。でも、今でも時々、一羽だけですが、白鷺が流れの中に立っているのを見かけますから、餌になる小魚がいるのでしょうか。長い竿を下ろせば、魚釣りができるほどの近くに流れがあります。外出禁止が求められるご時世、〈お出掛け〉を自由に楽しんだ頃を思い出してガマンの今です。

(モンゴルの草原、国花の「セイヨウマツムシソウ」です)

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