「猿蟹合戦」、記憶に鮮明に残る物語です。ウキペディアによると、次のようです。
「蟹がおにぎりを持って歩いていると、ずる賢い猿がそこらで拾った柿の種と交換しようと言ってきた。蟹は最初は嫌がったが、種を植えれば成長して柿がたくさんなってずっと得すると猿が言ったので蟹はおにぎりとその柿の種を交換した。
蟹はさっそく家に帰って「早く芽をだせ柿の種、出さなきゃ鋏でちょん切るぞ」と歌いながらその種を植えるといっきに成長して柿がたくさんなった。そこへ猿がやって来て柿が取れない蟹の代わりに自分が取ってあげようと木に登ったが、ずる賢い猿は自分が食べるだけで蟹には全然やらない。蟹が早くくれと言うと猿は青くて硬い柿の実を蟹に投げつけ、蟹はそのショックで子供を産むと死んでしまった。」
狡賢い猿に、この子蟹たちが、親の敵(かたき)討ちをする話です。この<敵討ち>、<仇討(あだうち)>を快く思わない人たちによって、話の筋を変えて、改作し出版する人がいるようです。『<平和の時代>には、相応しくない!』と言うのが、その動機です。日本には、「曽我兄弟の敵討ち」、「高田の馬場の敵討ち」、「赤穂浪士の敵討ち」と、有名な仇討ち話があります。この「猿蟹合戦」は、中国、韓国、モンゴルにも、似た話が残っているようです。
この「猿蟹合戦」ですが、猿の子どもたちは、蟹たちに復讐をしなかったのでしょうか。ここには、「復讐の連鎖」が起こり得るのではないでしょうか。何代にも何代にも亘る<復讐劇>が繰り返されていくわけです。第三者が、仲介の労をとって、<和解>しないかぎり、永遠に続くに違いありません。
隣国の信じられないほどの日本嫌いには、驚かされます。戦前の統治への謝罪と賠償で、日本の援助や技術指導によって、工業立国となって行く時期には、このような激烈な憎悪に満ちた動きが見られませんでした。このところ、眠っていた獅子が目覚めたように、忘れていたのを、思い出した借金取りのように、俄かに牙を剥き、爪を立て始めているのです。全国民の総意でしょうか、それとも政治手法なのでしょうか、それに驚かされています。二十年ほど前に、三度ほど訪韓したことがありましたが、その時は、極めて親日的でしたが。
『親の仇を、長崎・・・』ではなく、<今>と言ったところでしょうか。憎しみよりも赦しの方が、争いよりも和解の方が、建設的なのですが。第三者の仲介の余地はないのでしょうか。次の世代に、互いに遺恨を残し、憎しみや敵対の連鎖が起こらないようにと願う、日曜の朝です。
(イラストは、「サルカニ合戦」-yahooイラストよりー)