防人の思いを

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 あきかぜの福井の里にいもをおきて安芸の大山越えかてぬかも 

 日本最古の和歌集の「万葉集」が、編集されたのが、奈良時代末期、七世紀後半〜八世紀後半ごろです。作者は天皇、皇族、朝廷の官員、農民、芸人、防人などによって、4500首も詠まれています。無名の作者もいて、多種多様に詠まれ、生活感が溢れているようです。その時代には、すでに方言があったことも分かるような、和歌もあるそうです。

 カナンの町に住んでいた時に、週に一度やって来ては、半日ほど過ごして帰っていく青年が出入りしていました。ある時、高知県下の高校の校長と不思議な出会いがあって、お話をしている間に、この方の学校に、この青年が留学がすることになったのです。所要があって帰国した時に、時間を合わせて、彼の入学式に、ご両親の代理で出席しました。校長室に案内されて、私の弟と共通の友人がいると、校長のお話を聞いて、驚いたりもしたのです。

 室戸岬に行く途中の安芸市に、大山岬にあって、そこが万葉集の研究をし、その成果を書物に著した、高知藩の下級武士であった鹿持雅澄(かもちまさずみ)の勤務地だったのです。そこを訪ねたのです。勤務をしながら、鹿持は、万葉の研究に打ち込んだ人でした。高知城下に残した奥方、「いも(妹と書いて夫人をそう言います)」を思って詠んだのが、この冒頭の短歌なのです。その岬の突端に、歌碑が残されてありました。

 江戸時代の末期、遠い高知にあって、妻を思う男の心を詠んだ鹿本が、愛妻家だっと言うわけです。この鹿本雅澄の研究をされたのが、早稲田大学の教授で、その方が所長をしていた職場で、自分は3年ほど働いたのです。そんな関係で、高知に行ったら、寄ってみたい思いがあって、それが実現したのです。

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 かつての日本人の心や生活を詠んだ「万葉集」に、いささか関心があるのですが、ここ下野国の国でも、万葉集に収められた和歌が詠まれていました。

 下野の三毳(みかも)の山の小楢(こなら)のすまぐはし児ろは誰が笥(たがけ)か持たむ

 『下野の三毳山のコナラの木のようにかわいらしい娘は、だれのお椀を持つのかな(だれと結婚するのかな)』、という意味の歌なのです。ここから北九州の防備のために遣わされた防人が、遠い故郷の愛しい娘を思いながら、そう詠んだのでしょうか。今は公園になっていて、低山登山をする人が多くおいでです。

 その他に、下野国出身の防人の歌11首が収められているのです。そのもう一つは、寒川郡、現在の小山市寒川の川上老(かわかみのおゆ)が詠んだ歌があります。

 旅行きに行くと知らずて 母父(あもしし)に言(こと)申さずて 今ぞくやしけ

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『二度と会えない旅に行くと知らずに、両親に別れの言葉も言わなかった。今はそれがくやしいことだ。』、国の防護のために遣わされた人が、『もしかしたら故郷に帰れないかも知れない!』と言う思いで、父や母を思いながら詠んだのでしょうか。切々たる思いが伝わって来ます。再び、大陸からの侵入があるのでしょうか、キナ臭さがしてきそうな昨今の世情です。

(“ウイキペディア“の高知の海、温故創生乃碑(熊本県山鹿市)に見る防人、コナラの雄花、博多湾です)

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